三章 いじわる少年の初恋

第11話

『テツってさ、変わってるよね』


『ここでこれやるの? ある意味すごっ』


『はりきりすぎぃ~』


 変わったことをしたら、何かを失敗したら。皆に笑われた。文字通り、その場にいる全員に。


 子ども特有の周りに合わせていく流れだろう。テツはしょちゅう、恥ずかしさや心の怒りを隠して一緒に”はは……”と笑ってみせていた。


 だが、彼女だけは何をしても笑わなかった。


 体育祭でコケても、ちょっとしたイベントで全力を出しても、部活で声を張り上げるのも。


 他の連中だったら”イタイ奴”とかくすくす笑っていただろうに。


 はじめはポーカーフェイスだから、と思っていた。初めて見かけた時、話す時以外は顔が動かない様子に”これが……”と妙に納得してしまった。


『あーあ。こんなんやるんじゃなかった』


『どうして?』


 中学校に入学してすぐの頃。オリエンテーションと称してクラスマッチが行われた。種目はドッジボールとバレーボール。テツはドッジボールを選択していた。


 ドッジボールくらいなら楽勝だろうと思っていた。普段はボールを蹴ってばかりいるが、たまには投げるのもいけるとおごっていた。


 いざ試合が始まると、地域のクラブでハンドボールをやっている連中に狙われまくって惨敗した。


 こなくそ、とボールを避けずにキャッチして投げても歯が立たなかった。


(超ダサかったな……)


 テツはグラウンドを離れ、校舎の昇降口に座り込んでいた。


 クラスマッチはまだまだ行われているが、同じクラスの試合を応援する気が起きなかった。全力を出す人間を笑う連中なんかに。


 そこにやってきたのがアルト。元々参加するつもりがなく、適当に出番を終わらせてサボりに来たらしい。彼女はバレーボールを選択したようだが、コートの隅で他人事のように眺めていた。


 テツのサッカー仲間であるタイムと唯一仲良くしている女子。同じ小学校出身だが、彼女とは話したことがなかった。


 だからこそ、だろうか。彼女に心の声を吐露してしまった。膝を抱え、額を手で押さえながら。


「クラスマッチなんて適当にやればよかった」


「私はそうしたけど……。テツは似合ってたよ。ボールキャッチできるのすごいもん」


 アルトは人見知りでタイム以外とは口を聞かないイメージがあった。だから初めて話す相手に心を開いたのは意外だった。


「空回りしてただろ」


 首を振った彼女は手を組み、昇降口の壁に背をついた。


「そんなことない。すごかった」


 すごかった。単調な褒め言葉なのに嬉しかった。率直にそう言ってくれる人に会ったことがなかったからかもしれない。


「他のヤツみたいに俺のこと笑わねーんだな。初めてだよ、そんなヤツ」


 アルトの横顔にニヤリと笑いかけると、彼女が真剣な眼差しになった。ような気がした。


「テツが真剣にやってたから。笑わないよ」


 表情は変わらないのに真摯な気持ちが伝わってくる。


 それは彼女の瞳のせいだろうか。


 赤茶色の透き通った瞳。切れ長でキツく見えるが、今は優しく細めているように見えた。目は口ほどに物を言う、を体現しているようだ。


 口数は少ないが寄り添ってくれているのだろうか。テツが無言でいても、アルトは気まずそうに身じろぎすることはなかった。早く教室に戻りたそうなそぶりも見せなかった。


 もっとアルトと話してみたい。彼女のことを知りたい。女子にそんなことを思ったのは初めてだ。


 見上げた横顔は誰よりも大人びていて綺麗だった。今までどの男子もアルトのことを噂しなかったのが不思議なほど。


 いや、タイムは時々アルトの話をしていた気がする。今まで真面目に聞くことはなかったが。


『アルトっておもしろいよ。よく話すし』


『マジで? てかなんで仲いいの?』


『ずっと前から知ってるから』


 テツは二人と校区は同じだが、離れた幼稚園に通っていた。なのでタイムとは小学校からの仲だ。


『ふーん。ポーカーフェイスと仲いいってすごいな』


『そんなことないよ』


 その時にタイムがやけに照れくさそうに笑っていたのをよく覚えている。鼻の下をかいて、ほほえむ様子は小学生らしからぬ微笑み方だった。


「なぁ、麗音。てかアルト────」


 気づけば立ち上がり、彼女の横に並んでいた。


 タイムだけが知っているのであろう、アルトのことをよく見てみたくて。


「あ。見つけたぞアルト! あれ、テツも?」


「げ……」


 邪魔に入ったのは川添だった。部活と同じジャージ姿で、首にホイッスルを提げている。アルトを探し回っていたのか、汗だくの生徒たちに負けないくらい顔が赤い。


「アルト……。中学校に入って最初の行事だぞ。新しい友だちを作るチャンスだろ」


「そういうのはいいです」


「お前なぁ……。人見知り激しくなりすぎだろ……」


 プイッと首を振ったアルトはどこか可愛くて。先ほどとは違う目の細め方はふてくされているようだ。


 ポーカーフェイスなんて嘘だと思った。彼女は顔全体が動かなくても表情がある。


 気がつけば彼女の腕を取っていた。


「先生、友だちなら俺がいます」


「あ、そうなん?」


「テツ?」


 少しホッとした様子の川添と、戸惑いがちなアルト。腕をつかまれて驚いたらしい。


 彼女の腕は細く滑らかだ。男子とふざけて掴み合う時と違い、力加減に気を遣わざるを得ない。


 ”な……何?”と小さくつぶやいているアルトを、勢いよく引き寄せた。


「ま、サボり友だちですけど!」


「おいコラ!」


「え、え?」


 ニヤッと笑うと、アルトの手をつかんだまま駆け出した。川添は追いかけようとしたらしいが、試合の審判と迷ったらしい。頭を抱えてその場にとどまっている。


「アルト、学校の畑の方にでも行こうぜ。そこなら見つからないだろ」


「後で怒られそう……」


「アルトは川添先生と仲いいんだろ、大丈夫だろ」


「それは……うわっ」


「あ、わりぃ」


 走りながら振り返るとアルトがつまずきそうになった。そういえばタイムから”アルトは結構ドジ”と聞いたことがある気がする。


 校舎の裏に回るとコケと雑草が地面を埋め尽くしていた。時々小さな蝶々が舞う。


 道っぽい隙間を縫って歩くと、敷地の外に出られるスライド式の門扉がある。テツはそれを開け放ち、アルトに手招きした。


 彼女は後ろを振り返りながら、”怒られたらテツのせいにするからね”とテツの後に続いた。






 アルトが全力な自分を受け入れてくれて嬉しかった。それ以来、心の声に従うようにした。そのせいか今の生意気な感じになっていった。


「テツって意外としゃべるよね。よく笑うし」


「いやお前もな!? 表情変わってねーけど」


「はは。でもいろんなこと考えてるよ」


 その頃からアルトのことを見直すようになった。元々悪い印象を持っていたわけではないが。


「川添の授業つまんねーとか?」


「それは内緒」


 テツは実はアルトと家が近い。小学生の時は同じクラスになることはなかったので、接点がなかったので知らなかった。


 部活がないテスト週間なんかだと、誘われて一緒に帰ることもある。


「後でパン買いに行くわ」


「うん」


「アルト、顔出せよ」


「なんで?」


 テツは肩にかけたスクールバッグを持ち直した。


「アルトは店にいないよな。いつも何してんの」


「いつも通り」


「お前のいつもを知らねー」


「あー……。店に出ないのは……」


 答えになっていない返事にテツが吹き出す。アルトは口を開きかけたが、高く響いた口笛に押し黙った。


「おい、アイツら一緒に帰ってるぞ」


「ひゅーひゅー!」


 同じ中学校の先輩だ。男子三人がアルトたちのことを、いいものを見つけたと言わんばかりにニヤニヤしている。おそらく分かれ道だが話が尽きずに溜まっていたのだろう。


「う……」


 決して自分たちはそんなんではないしこういうのには慣れていない。


 居心地が悪くなって俯き、歩く速度を落としたらテツに腕を掴まれた。先輩たちはさらに”おぉー!?”と声を上げた。また勝手に盛り上がっている。


「テツ……?」


「見せつけてやればいいじゃん」


 何も言ってないのに。彼は堂々と前を向いて歩き続けた。


 距離を取ったはずなのに、いつの間にかポジションはすぐ隣に戻っている。


 強引に腕を引かれたまま先輩たちの前を通り過ぎた。


 面倒をやり過ごしたと思ったら、今度は二人の前に疾風が走り去った。


「待ってよ!」


「もう解散だろー!」


「わっ!?」


 後ろから来た小学生の自転車軍団がびゅんびゅんと飛ばしている。まるでミニ暴走族だ。


 アルトが目を白黒させていることに気づくわけがなく、立ちこぎをしたり片手を離している。


「じゃーな!」


「バイバイ!」


 立ち止まって見送ることはなく、大きな声を上げては一人ずつ別の道を曲がっていく。別れを惜しむ様子はない。


 それぞれ被ったヘルメットは一色もかぶっておらず、カラフルだ。


「はぁ……」


「大丈夫かよ」


 テツは腕から手を離し、疲弊した様子のアルトに笑った。


 子どもは苦手だ。


 生まれることはなかった妹のことを思い出してしまうので、できたら視界に入れたくないくらいだ。


「あーお前って人付き合い苦手だもんな」


「それもそうだし付き合い方分かんない」


「ふーん……」


 テツはスクールバッグを持った手を頭の後ろで組んだ。




 






『妹が生まれたんだよ』


『これ、ウチの犬。ペス』


 テツはことあるごとに自分の家族をアルトに会わせた。


「可愛いね……」


「だろ? 母さん、女の子が欲しかったんだってさ」


 ある時、アルトがテツの家を訪れた。玄関先で腰かけ、妹を抱かせてやった。


 おそるおそるテツから受け取ったアルトは、まるで壊れ物を扱うような優しい手つき。相変わらず表情はないが、無垢なものにふれて愛おしい気持ちにあふれているように見えた。


 可愛いね、は心の底からそう思っているようだった。子どもは得意じゃないと話していたのは嘘のようだ。


「あったかいね。赤ちゃんって重たいんだね」


「だろ?」


 彼女が感想を述べてくれるのが嬉しい。変わらない表情では伝えられない気持ちを、懸命に届けようとしているようだ。


「妹に会いたくなったらいつでも来ていいんだぜ。なんならパン屋に行くときはペス連れていくようにするし」


 アルトは特にペスが気に入っているらしい。ペスはプードルのオスで、初対面のアルトを大歓迎するように飛びついていた。


 膝に足をついたペスに、アルトはまんざらでもないようだった。頭を撫でて舐められそうになりながら、腰を落として目線を合わせようとしていた。


 表情では伝えられない、言葉では伝えられない者同士、通じるものがあるようだ。


 何度かそうしている内に、アルトの表情が崩れそうな瞬間を何度か見かけた。声がほがらかになり、頬がかすかに色づく。桜の花びらのように色らしい色はないが。


 それでもテツにとっては発見だった。学校ではこんな彼女を見ることはできない。


 それを彼女の幼なじみ、タイムに自慢するが相手にされない。


『だろ? アルトって完全にポーカーフェイスなんかじゃないんだよ』


 アルトのことで自慢すると、タイムの頬がピクっと反応するのがおもしろかった。引きつった笑みで、彼女のことで一言添えるのも。


 中学生になってからはそれがずっとマイブームだ。

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