もしも女神になったなら
雨戸紗羅
第1話 天条翼と女神様
「席、どうぞ…」
席の埋まった電車に、杖をついた老婆が乗ってきたので、俺は席を譲るために立ち上がる。
「い、いえ…大丈夫ですよ…ほほほ……」
老婆は冷や汗をかきながら、怯えたような表情で、俺の提案を断る。
いつもこうだ、俺はただ普通に生きていたいだけなのに、周囲の人々を怯えさせてしまう。それも、全てこの容姿が悪いのだろう。
二メートルを超える身長に筋肉質な身体。さらに、体重も百三十キロはある俺は、存在だけでも威圧感があるのだろう。
それに加え、俺は自覚があるほどに、とんでもない強面である。角ばった輪郭に、太く鋭い眉毛、切長で吊り上がった目は、俺のコンプレックスだ。周囲の人間が、俺の容姿について話しているのを聞くと、とても落ち込んでしまう。
電車を最寄駅で降りて、改札を出る。駅前の広場に出ると、数羽の鳩が地面をまばらに散りながら歩いていた。
鳩は人に慣れているのか、俺が近づいても飛ぶことはなく、どことなく餌を期待しているようにも感じられた。
動物はいい。俺を怖がらない。もちろん、警戒心の強い動物も沢山いるが、俺を見た目で恐れずに接してくれるだけでも、心が癒された。
「や、やめてください……」
近くで困ったような女性の声が聞こえる。
「いいじゃねぇかぁ!ちょっとだけだって!」
「は、離してください!」
若い女性の腕を、いかにもガラの悪そうな男が掴んでいる。恐らく女性の方は困っているだろうと思ったので、俺は助けに入る。
「あの…女性の方が困っているので、やめた方がいいと思いますよ」
「ああん?なんだ?今いいとこ…って、ヒィ!!すみませんでしたぁ!!」
男は俺の方を見た瞬間、横暴な態度を急変させ、どこかへ走って逃げていった。きっと、俺の顔が恐ろしかったのだろう。
「ひっ…!えっと、私!お金とか…持ってないので……すみません!!」
女性は冷や汗を流しながら焦ったようにそう言うと、脱兎のごとく逃げていった。
「やっぱり…俺の顔は怖かったか…」
いつもこうだ。お礼が欲しかった訳ではないが、こうも怯えて逃げられると、流石に傷ついてしまう。俺の顔は厄介ごとには有利に働く部分はあるけれど、それ以外で得をすることなんて一ミリもない。
「ちょっといいかい?」
誰かに肩をとんとんと叩かれる。
「はい?」
振り向くと、一人の警察官が立っていた。
「この辺りでガラの悪い男に女性が絡まれていると通報があってね、何か知らないかい?」
「あの…俺がそれを止めに入ったんですが…」
「はあ、そうかい?先程女性が逃げていくのが見えたけれども」
「それは…俺の顔が怖かったからじゃないですかね」
「うーん、なるほど。まぁ現場は見ていないし、被害者もいなそうだから今回はいいけど、あまり周りの人を怖がらせないようにね」
警官はそう言うと、訝しみながらもその場を去っていった。明らかに、俺を怪しんでいたようだ。俺の怖い顔を思えば、仕方ないのかもしれない。でも、理不尽な疑いをかけられると、どうしても心に小さな悪感情が芽生えてしまう。
俺は、一度悪の道に堕ちそうになったことがある。二十歳を過ぎた今でこそ、理不尽を許容する心があるが、思春期の頃は、顔や体格のせいで引き起こされる理不尽に、耐えられない時があった。
どうして俺だけがこんな目に遭わなければならないのか。どうして人は俺を悪人だと決めつけるのか。そのような思考で頭がいっぱいになっていた俺は、限界を迎えていた。
しかしその時、ある人に出会った。その人は、一度会っただけの存在で、女性であること以外は何も思い出すこともできない。でも、その人の言葉がずっと俺の支えになっている。
「貴方が何者であるかは、貴方が決めることよ。誰かが貴方を悪人って言ったからって、貴方が悪人になる訳じゃないでしょ?」
それは、理想論かもしれない。でも、その考え方があるからこそ、俺は悪事を犯さずに済んでいる。もし、その言葉がなければ、俺の人生はもっと暗いものになっていたかもしれない。
その人に出会って以来、俺はなりたい自分になるために生きている。それは、誰からも親しまれるような、優しい人間である。
なので、なるべく他者の助けになるような行動をとっているつもりだが、いまいち上手くいくことはない。やはり、この見た目が悪いのだろうか。
もし、普通の顔に生まれていたら、もっと違う人生を歩めたのだろうか。
駅の広場から少し南に歩くと、住宅街に入る。塀のある家が立ち並ぶ住宅街を歩いていくと、よく犬や猫を見かける。大抵は家の敷地の中で寝ているが、たまにこちらを伺うように塀の上や柵の向こう側から顔を覗かせる仕草を見せるのが可愛らしい。
俺は今日も二、三匹の犬猫達と挨拶を交わしながら帰路を進んでいく。すると、道の少し離れたところにある、電柱の下に虹色に光る何かを発見する。俺は何故か、凄まじくそれに惹かれ、駆け寄ってみると、虹色に光るものは、なんと犬であった。
その虹色に光る犬は怪我をしているのか、病気なのか、元気なく項垂れていた。
「ああ、なんて可哀想なんだ……」
俺は落ち込んでいる人や動物を見ると、とても心が痛くなる。どうにか元気にしてあげたい。そんな気持ちに駆られる。
俺は犬の調子を確かめるために、ゆっくりとしゃがむと、犬の腹の方に手を伸ばす。そして、犬に触れた瞬間、俺の意識は彼方へと消えていってしまった。
朧げな意識の向こうで、誰かが呼んでいるような気がする。
目を開けると、真っ白い霧とその間から漏れ出る光が視界に映る。
俺は上体を起こすと、あたりを見渡す。周辺には物体と呼べるようなものは見当たらず、ただ霧と謎の光だけが見えた。
何処へ来てしまったのか考えていると、頭上から声が響く。
「天条翼…意識は戻りましたか?」
品性を感じる綺麗な声が、俺の名前を呼ぶ。
「は、はい…あの、どちらにいらっしゃいますか…?それにここは…?あなたは…?」
「はい、一つずつ説明しましょう。まず、ここは天界。神々が住む場所、と言った方がわかりやすいでしょうか?そして、私は女神です。……と言っても信じることは難しいですよね、貴方の前に行きましょう」
女神を名乗る存在がそう言った瞬間、目の前が光出す。俺はその眩しさで目を瞑る。そして、数秒経ってから目を開けると、目の前に二メートルの俺を遥かに超える大きさの、白い羽の生えた美女が立っていた。
「で、でかい…!!」
「あ、縮尺を間違えました。縮みます」
五メートルはあるかという美女は、両手を広げると徐々に小さく縮んでいき、最終的に俺と目線が合うくらいの大きさになった。
「こっちの方が話しやすいですよね?」
目の前の美女が少し頭を傾けながら微笑むと、虹色に光る長い髪が揺れ、なんだかお日様のような、心温まる匂いが俺の鼻腔に届く。
「あ、ポチと同じ匂いだ…」
「え?ポチって何ですか?」
「近所の犬です」
「犬!?私って犬臭いですか!?」
目の前の美女は自分の腕や肩の匂いを嗅ぎ、「犬に変化していたからかな…?」と呟いている。
「あ、いえ、すみません。決して臭いとか、そういう話でありませんよ。俺は好きです、お日様って感じがして」
「あはは、お気遣いどうも…。気にしてませんよ…、全く…」
美女は少ししょんぼりしたように目線を下げる。失礼かもしれないが、その姿がやっぱり落ち込んだ時のポチにそっくりで、思わず微笑んでしまう。
「ま、まあ!そんなことはさておき、私は女神です!信じて頂けますか?」
「あ、ああ。まぁ、突然現れたり、縮んだり…普通の人間にはできないですし」
「信じていただけたようで安心しました。突然、ここに連れてきてしまい、申し訳ございません!貴方をここに連れてきたことには理由がありまして、一つ頼みごとがあるのです。聞いて頂けますか…?」
女神は懇願するように手を握りながら、上目遣いでこちらを見ている。困っている人がいるなら、助けよう。それができる人間でありたくて、俺は生きているのだ。
「はい、とりあえず、聞きましょう」
「まぁ!ありがとうございます!」
女神は、背中の白い羽を揺らして喜びを露わにする。
「では早速、事の経緯をお話しします。貴方のいた世界とは別の世界、そこは神々がかつて住んでいた世界でした。新しく天界ができたため、神々はそこを去りましたが、神の血を引く人間達がまだそこには住んでいます。そして、神の力を受け継ぐ一部の人間達が、その世界で好き放題しまっている状態なのです」
「なるほど、それで、俺にそれを何とかしろということですか?」
「はい!理解が早くて助かります!」
「でも、なんで俺なんですか?神様が対処しないんですか?」
「ごめんなさい、詳しくお話しすることはできないのですが、簡単に言うと、神達も一枚岩では無く、自由に動くことが難しい状況なんです」
女神は俯きながら話す。肩を少し震わすその様子は、悔しさともどかしさが表れているようで、面倒ごとを押し付けようとか、そういった雰囲気には見えなかった。
「それに、貴方には資格があったのです!貴方が触れた虹色の犬は、心優しい人間にしか見えない生き物なのです。さらに、触れることができるのは、他者と心を通わせることができる人間。この問題は、心優しく、共感力のある人間にしか解決できません!私は、その犬に触れることのできる人間、つまり資格を持つ者をずっと探していました!」
「な、なるほど……理解はできましたが、そもそも俺が対処できる問題なんですか?」
「そこはお任せください!私が貴方に力を授けます!それに、もしこのお願いを聞いてくださるなら、貴方の叶えたい願いをお一つ、叶えてあげましょう!」
「願いを、何でも…」
その言葉に心が揺れ動く。俺には、何としても変えたい部分があった。
それは容姿。幼い頃から大きく、恐ろしい見た目。もし、それを変えることができるなら…。
「叶えたい願いはあります…。でもその前に、ひとつだけ聞かせてください」
「なんでしょうか?」
「俺は、元の世界に帰ることはできるんですか?」
「それはご安心を!問題が解決次第、元の世界にお返しします!」
「良かった…なら、その頼み、引き受けます!」
「やった…ありがとうございます!」
俺の返答を聞いた女神は、満面の笑みを浮かべる。
「では、まず、力を与えましょう!」
女神はそう言うと、両手を俺のほうにかざす。すると、女神の両手が白い神秘的な光を発し、その光が俺を包む。
「これで、力の譲渡は終わりました!」
「もう終わったんですか?実感湧かないですけど」
「貴方には、私の持つ力の一部を与えました。色々な力がありますが、特筆すべきものがあるとすれば、治癒の力ですね!どんな怪我や病でも、一瞬で治すことができます!」
「おー!それは凄いですね!」
もし別世界に行くのであれば、現代日本のように医学が発展しているとは限らないので、怪我や病気の心配が少なくなるのはありがたい。
「それでは、貴方の叶えたい願いを聞きましょう」
「は、はい…えっと、俺の願いは、その…怖くない…見た目になることです」
「なるほど…わかりました!では早速……」
女神はそう言いながら腕を振り上げる。すると、振り上げた腕の指先に、光が集まり始める。
「えっ?もう叶えてくださるんですか?」
「はい!もとから見た目は変えるつもりでしたので!あと、どうせなら可愛くしちゃいましょうか!」
「えっ、可愛く…?ちょっまっ」
「それ!」
俺の制止も虚しく、女神は可愛らしい掛け声と共に、俺の方へ手を掲げる。すると、先程と同じように白い光が俺を包む。そして、俺は身体がムズムズするような、心地いいような、奇妙な感触を覚えたかと思うと、いつの間にか目線が下がっことに気づく。
「あれ…?小さくなった?」
「うわー!可愛い!とっても可愛いですよ!天条さん!」
「………まぁ、よくわかんないけど、怖く無くなったんならいいか…。ありがとうございます!…って、あれ?なんか声も高くなってる?」
「はい!私に似てとっても可愛い感じになりました!これで願いも叶いましたね!では、神の力を乱用する人々を鎮めるため、頑張ってください!」
「えっ、ちょっと、もう少し詳しい話を…」
「では、いってらっしゃい!」
女神は人の話を聞かない性格なのか、俺が言葉を言い切る前にそう言うと、人差し指を俺に向ける。そして、その指先が光ると同時に俺の意識は飛んでしまった。
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