癖のあるマスカルポーネはいかがですか?
ろくろわ
マスカルポーネに宜しく
久し振りに予定の無い、ゆっくりと出来る休日。私は趣味である料理を作ろうと前日から楽しみにしていた。
キッチンには綺麗に整えられた道具。買ってきたばかりの食材を調理台の上に並べ、スマホで調べていたレシピのページを開いたが、朝の楽しみにしていた気持ちのまま料理をする気分にはなれなかった。と言うのも、レシピに書いてある食材を買いに行った商店街での出来事が、曇り空のように私の胸につかえていたからだ。
◇
自宅のマンションから徒歩十分ほどにある仲町商店街。古くからある小さな商店街だが、これが中々に色んな店が入っていて、品揃えも豊富。日用品から食材、衣料品など一式は全てこの商店街で揃えることが出来る。そんな商店街だから当然、同じマンションに住むご近所さんともよく会う。先ほど買い出しに行った時も、幼稚園の娘さんがいる顔見知りの親子と会ったので挨拶をしたのだが、その時、娘さんが私の顔を見ながら「熊さんの顔が怖い」と泣きながらお母さんの背中に隠れたのだ。
私の名前は
結局、お母さんとの挨拶もそこそこに、その場から逃げるように、私は買い物を理由にして商店街を回った。
だが胸がつかえる話は、それだけが理由ではなかった。買い物を終えてマンションに戻ってきた時、マンションのエントランスで話すお母さん達が「今日、うちの娘がレディーベアーを見て泣き出しちゃって」と話しているのが聞こえた。そしてその話していたのは、さっき挨拶し、泣き出した娘さんのお母さんだった。
と言うことは、お母さんが話しているレディーベアーと私の事だろうか。一瞬、テディベアの事を話しているかとも思ったが、他のお母さん達もレディーベアーと何の違和感もなく話している様子を見ると、私は普段から周りの人には、レディーベアーと呼ばれていたのだろう。
私にはレディーベアーと呼ばれている心当たりがあった。それは私の身に付けるものにレディース製品が多いからだと思う。と言うのも鞄も服も履き物もレディース製品の方がデザインが良かったり、お手軽だったりする。更に革細工や編み物といった手工芸も好きで、先の商店街にある手工芸店にだってメンバーズカードを作ってある程、通い詰めいている。今日、着ている既製品のレディースのパーカーにもお手製の刺繍を施してある。
私は良いものはメンズであろうがレディースであろうが全く気にしないのだが、周りのお母さん達から見たら異質なのだろうか。
それにしても私の名字の大熊と女性物を愛用する姿をあわせて『レディーベアー』と呼ばれているとは思っても見なかったが、これも心に堪えるものだ。
◇
冷蔵庫から昨晩作ったマスカルポーネを取り出し、一口、味を見る。私の作るマスカルポーネは少し酸味が強いが甘さとコクが出ていて美味しい。我ながら上手に出来ていて、少し気分があがってきた。
私は薄力粉と砂糖、バターと卵液を合わせてタルト生地を作る。作った生地を冷蔵庫で休ませている間、買ってきたマスカットを洗い、一粒ずつ半分に切り分けていく。甘いマスカットの香りがする緑色の宝石を綺麗に並べる。
十分に休ませたタルト生地をオーブンで焼く間、マスカルポーネにヨーグルトと生クリームを混ぜて、マスカルポーネクリームを作る。その後は焼きあがったタルト生地を冷やし、マスカルポーネクリームをタルト生地に流し込み、その上からマスカットを並べたら、マスカットのマスカルポーネタルトの完成だ。
私は出来上がったタルトと一緒にカモミールティーを淹れる。マスカットとマスカルポーネの色合いとカモミールの香りが、先程まで曇り空のようだった私の気持ちを掬い、晴天のように変えてくれた。
久し振りに予定の無い、ゆっくりと出来る休日を過ごした。
私の作ったマスカルポーネは少し酸味が強くて好き嫌いが分かれるかもしれない。でも 好きなものは好き。それで良いではないか。私はレディースのものだって好きだ。そうだ、今度買ったレディースの服に『レディーベアー』のロゴとキャラクターを刺繍してお母さん達の前に行ってみようかな。皆はどんな顔をするんだろう。驚くのだろうか?それとも笑うのだろうか?なんて、そんな事を考えると何だか楽しくなって、案外レディーベアーと呼ばれているのも悪くない気がした。
了
癖のあるマスカルポーネはいかがですか? ろくろわ @sakiyomiroku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます