蒼穹のお使い 《お使い№1》
@saiha48
第1話 始まりの4月
さあ、また新しい一年が始まる。
俺は、古い石造りの校舎、木製の階段を一段一段ぎしぎし言わせながら二階へ上っていく。新しい年度が始まるこの瞬間は、教師七年目を迎える今になっても、独特の緊張と不安、そして、それを超える期待のようなもので心がいっぱいになる。まあ、また大変な一年が始まるという、どこかあきらめもあるのは確かだが。
今年は、どんな奴らか。ここまで会議や準備で慌ただしく過ごしたこの四月の頭は、毎年のことながら、いくら忙しくても期待が勝って、けっこう楽しかったりする。
特に今年は、この京都市立鴨川高校というなかなか個性ある高校へ転勤してきたばかりで、いろんなことが新しいことずくめだった。学校が変わるとほとんどのことをアップデートしなくちゃならない中、担当の国語は前と同じ一年で大いに助かった。
二階教室、一年一組、木の名札のかかった扉の前で、一呼吸おいて扉を開けた。
入学式を終えたばかりの新入生たちの顔が一斉にこちらを向く。高一、まだまだ青さを残した顔、そして期待と不安の顔たちだ。
うん、きらきらしてる感じ、いいねえ。
俺は、教卓に手をついて、生徒たちを見回した。
さあ、みんな、新しい一年を始めようか。
まず、最初は簡単な自己紹介が定番だ。「テーマは好きな食べ物」
ど定番な感じだが、これだけでもけっこう、いろいろと情報がもらえる。
とりあえず、自分から口火を切る。
「名前は葉山将大(しょうだい)このクラスの担任だ。教科は国語科で一年の現代の国語を担当する。名前はしょうだいと読むが、これは俺が生まれた時の体重が千三百グラムしかなくて、父親が小さく生まれても大きく育つようにと小大と付けた。字は母親がそれはあんまりだと言うので将の字に変えたらしい。
だが親の願いも虚しく、俺は小中と背が伸びず、いつも背の順番だと一番前だったんだ。だからいつも、周りからは、将大はいつになったら大になるのか、と言われたものだ。だが、大学に入ってやっと身長が伸びて179センチ、なんとかここまでになった。
誰だ、そこまで高くないだろって言ってるのは、これでも十分平均越えだろ」
クラスが小さな笑いに包まれる。
「まあ、というわけで大器晩成ってやつだ、あと1センチあれば、完全に大器と胸をはれたんだがな。あ、好きな食べ物はチョコパフェだ。これでも大学時代はチョコパフェ研究会会長だった。以上、よろしく」
笑いも多少はとって、場を少し温めたら1組は30名、クラスの出席番号順に、1番の天見(あまみ)からやってもらう。
教室の一番前、ショートカットの前髪からのぞく猫を思わせる切れ長の目が印象的だ。彼女は、すくっと立つと少し硬い表情で始めた。相当緊張しているのか、顔色も白く、両掌をぎゅっと握りしめている。
「天見空(あまみそら)です。ソラって呼んでください。好きな食べ物は病気になった時に食べるりんごです……」
彼女に続いて、それぞれが、最初の緊張感をもちながら第一声を発していく。
俺はそれを聞きながら、最初は、ざっと大きくタイプ別でインプットしていくのだが、話すのが苦手な者、いきなり受けを狙ってくる者と、いろいろだ。でも、この学校は美術が好きなという点では共通する。鴨川高校は、学年三クラスの小規模ながら、開校百年を超す京都でも有数の歴史ある学校だ。なんでも明治時代に、美術工芸を学ぶために開校したという。他の2クラスは美術専科で、この1組だけが普通科となっているが、それでも美術系の大学を目指す者が多いときく。
そして、全体に女子の比率がとても高いのも特徴だ。1組も、男子は9人。しかし、男子が少ないといっても、臆してる者は少ないようだ。
「俺は井澤誠吾、好きな食べ物は、やっぱ山で食べるカレー! これにつきるっしょ。みんなも一度くらいキャンプでカレー食ったことあるだろ。あれを超えるものはなしって感じで、もちろん入る部活はワンゲル。みんな、ワンゲル部をよろしく! 一緒に山でカレー、食べようぜ。うお〜、山が俺を待ってるぜ!」
椅子の上に立ちあがった、がっしりした体格の井澤を引きずり降ろすと、次に立ったのは、ボーイッシュで背の高い、伊山だった。
「私は伊山美紅、私の推しはオスカル様、そう宝塚を超えるものはないわ。あの光と影のあるお姿は、私のあこがれなの。この学校に決めたのも、ここの秋の文化祭の劇を見たから。あの半端ないクオリティーを、全クラスでやってるの見たら、ここだって思ったの。もう今から秋の文化祭が楽しみでしょうがないわ」
男子からの「食べ物と違うだろ」というつっこみも、全く無視してこいつも椅子に立ち上がらんばかりの勢いだ。なんか濃いやつが多いな。いや、これがこの学校なのか……。
その後も、個性の強い面々が目立つ。一見おとなしそうでも、しゃべり出すと、自分の好きを持ってるやつが多い、そんな印象だ。いや、それを言える雰囲気がすでにできつつある気がした。中学時代は、どちらかというとクラスで浮いてしまっていたのではないかと思われる者も目についたが、どこかで同じ匂いを感じたのかもしれない。誰も変なちゃかしは入れず、かといってしっかり、つっこみを入れてくれた。
やはり美術系っていうのは、芸術家タイプが多いというか、雰囲気が違うなというのを実感したクラス開きになった。
職員室に戻ると、隣のクラス2組の担任、中倉先生が、手作りと思われる、重厚で芸術的な湯呑でお茶をすすりながら、「どうでした?」と話しかけてきた。中倉先生は、美術科で洋画が専門だ。年齢でいえば一つ上、ここのことを色々と教えてもらっている。
「いやあ、なんか生徒の雰囲気違いますね。いい感じで個性的なのが多いですよ」
「そうでしょ、ここ選ぶ子って、やっぱり美術好きな子多いから個性強い子が多いですよ。でも、中学生って、そういう個性的っていうの、あまり出せない感じになりやすいじゃないですか。だから、中学時代は、けっこう苦労した子が多いですよ。そういう個性を尊重するってのが、うちのいいところでね。校長の口癖じゃないけど、個性をどれだけ表現するかが、芸術ですからね」
なるほどと思った。これまでも、そういうごたごたで、しんどい思いする生徒を何度も見てきたから、中倉先生の話を聞いて嬉しかった。
窓の外には、4月初旬で、すでに葉桜になりかけた桜の老木が、優しく葉を揺らしていた。
俺にとって、特大の一年が、こうして始まったのだ。
新入生を迎えた最初の一週間、学校生活や教科選択のガイダンスを終えて最後を締めくくるのが、週末の生徒会主催、新入生歓迎会だ。歓迎会といっても、ほぼ部活紹介のようなもので、各部が芸を披露して勧誘を行う。ただ、その運営を担う生徒会を、この学校に来たばかりの俺が担当することになってしまった。去年までもっていた日本画指導の西山先生が、やっぱりこういうのは若い者に任すよとか言って、赴任した初日に話をされ、わけもわからないうちに俺が担当になっていた。
聞いた話では、この学校は部活動のほとんどが本格的に対外試合をがんばったりする部活動はなく、同好会のようなものばかりだという。この学校に来た生徒は、そのほとんどが、美術が本命なので時間があれば自分の作品に時間を注ぐのだという。もちろん、普通科の生徒も、基本的には美術系大学を目指す者が多いから同様だ。だから、対外試合をするほどの部はないというわけだ。確かに、放課後の様子も、美術の実習室は、いつも賑わっているが、部活動は、どの部もぱらぱらと少人数で楽しんでいるという感じだ。そんな中、生徒会本部だけは大変だと、俺が受け持つと決まってから中倉先生が教えてくれた。
「うわ、葉山先生、生徒会引き受けちゃったんだ。まあ、先生、独身で時間ありそうだし、なんといっても若いから、いいかもね。うん、今年の対抗戦、少しは期待できるな」
「どういうことですか、中倉先生」と俺が詰め寄ると。中倉先生は、にやりとして話してくれた。
なんでもこの京都市内にある三つの美術系コースを持つ学校、上賀茂高校、甲子社高校と、わが鴨川高校が集まって毎年夏休みに交流戦を行っているという。今でこそ、この京都市内だけでも美術を学べる学校は、私立など幾つもあるのだが、大正時代、全国でも珍しい美術を専門に学ぶ学校が、この京都に三校もあった。その三校が親睦を深めるために始まったのがこの三校対抗戦だというから、その伝統の長さは、さすが京都だ。
当初は美術の交流ということで始まったらしいが、いつの頃からか美術の本道ではなく三校の交流を目的として、毎年美術以外の競技を行っているという。なんの競技で競うかは、前年の最下位校が決めることになっている。ちなみに、わが鴨川高校は、この十年ほど一位をとったことはないらしい。まあ、あの部活動の様子をみれば、なんとなくわかる。毎年参加者を募っても、メンバーをそろえるのに四苦八苦、参加することに意義があるというレベルで、他の二校が互いに学校の名誉をかけてしのぎをけずるのを、いつものんびりと見ているのだという。
「とうわさをすればですよ。うちの生徒会長があそこに」
中倉先生の目の先を見れば、職員室の入口で、すらりと背の高い、やたら華やかな女子生徒が二人、こちらを見ていた。目があうと二人そろって深々と見事なお辞儀をされた。
やってきたのは、三年生の生徒会執行部の二人だ。ショートカットに大きな目がキラキラした精悍な立ち姿、生徒会長の日野咲良々(ひのさらら)、そして、日野より背も高く、銀縁眼鏡で涼し気な目で静かに立つのが、副会長の岡崎結愛(ゆあ)だった。
そんな二人から色々教えてもらいながら、俺は生徒会に関わることになった。まず最初の行事は、すぐにある新入生歓迎会だ。早速よくわからないまま、生徒会の打ち合わせに参加することになる。今年の生徒会のメンバーはしっかり者が、そろっているようで、俺はほとんど、ああだとか、うんだとか言ってるだけた。生徒会執行部の三人が各部に指示し、段取り良く準備を進めるのを見ているだけで良かった。
週末の金曜、午後から始まった新入生歓迎会は、俺の予想を超える出し物のクオリティーで大いに盛り上がった。体育館のステージで各部が次々と披露する出し物は、日頃は部活動というのもおこがましいサークル程度の面々とは思えない、凝ったものが多かった。どの部も日頃の活動よりこういうお祭り騒ぎのようなものが好きなのだというのがわかってきた。「こいつらは、みんな、何をやってるんだか」という感じだ。
今もテニス部が、ステージを降りて観客の中に入り込み、ボールのジャグリングや手品を披露して会場を沸かしていた。
次のアニメ研究会は、寸劇をやるようだ。
暗幕をひかれた薄暗い体育館会場は、スポットライトの光で舞台だけが鮮やかに浮かび上がり、前に一年生、その後に二、三年生という配置で、会場は賑やかに盛り上がっていた。
フロアの前から全体を見ていた俺は、自分のクラス、一組の生徒が、こっそりと抜け出そうとしているのに気付いた。
ん? あのマッチ棒のようにひょろりとした華奢な女子は天見か……、身をかがめて体育館の壁沿いを、ひどく慌てたように小走りで後ろへ抜けて行く。トイレかと思ったが、どうも様子がおかしい。
何かあったか? 天見は、真面目で、おとなしい静かなタイプ、という印象だっただけに、サボって抜け出すという感じでもないので、まあ大丈夫だろうと思っていると、続いてもう一人、今度は、それでも身をかがめて目立たぬようにしているのかと思える目立ちよう、あの長身で派手な動きは伊山だ。伊山まで小走りに後ろの出口へ抜けていく。
さすがに俺は、ほっておけず、彼女らを追って後ろの扉に向かった。
体育館は、丁度アニメ研のオープニングアニメの映像が始まって、スピーカーから流れ出す派手な音楽が洪水のように体育館を満たしていた。生徒たちは、何が始まるのかと、みな舞台に目がいっている。
俺は体育館から外へ出た。重い扉を閉めると大音量が遠のき、轟音から解放される。通路には誰もいない。あいつらどこへ行った? トイレの方を見ても人の気配はない。二階で物音がした。
俺は格技室のある二階へ上がる。格技室には誰もいず、観覧通路に出る扉が目に入った。今日は立ち入り禁止になっているはずだ。
俺は扉を開け、再び爆音と生徒たちの熱気の中に入る。暗がりの中、左右に回廊が続いている。回廊全体を見回したが、暗くてよくわからない。
会場がどっと盛り上がった。アニメ研のコスプレが舞台に見えた。笑い声と歓声が上がり、舞台に現れた二人がやたら大きな剣を振り回し戦っている。
俺は暗がりに伸びる通路を右手に進んだ。行き止まりになっている舞台近くまで行くが、誰もいない。
とその時、向こう側の左手通路に黒い人影が動くのに気付いた。あれか……、そう思って通路を戻り始めると、向こうの二つの人影は駆け足で後方に走り出し、あっという間に出ていってしまった。
遅かったか、後を追って外へ出てみたが、もう誰もいない。館内の一年生の席まで戻ってみると、一組に空席はなく、みんな舞台を楽しんでいた。
天見、伊山も、何事もなかったかのように、ダンス部のパフォーマンスを見ている。
俺は、無駄に動き回っただけだったかと、ため息を一つついた。
いつの間にか歓迎会は終わろうとしている。
生徒会長、日野咲良々が、スポットライトの中、閉会のあいさつを始めた。
「全校生の諸君、今日は素晴らしいパフォーマンスをありがとう。それでは、私も最後に一発芸を……、では変顔をしまーす!」
次の瞬間、会場が阿鼻叫喚に包まれた。
おい、日野、お前……。
慌てて飛び出してきた副会長の岡崎が、会長を無理矢理、舞台袖へ連れ去り、新入生歓迎会は、ため息と笑いの中、幕を閉じた。
結局、終わりのホームルームの後も、天見、伊山の二人に話を聞く機会もなく、俺は職員室に戻った。そこに生徒会の三人が、終わりの報告にきた。
「葉山先生、片付けも終わりました」
会長の日野が、やりきった感の火照った顔で、元気よく告げる。
「おう、ご苦労さん、まあ、あの最後は別にして、とにかく無事に終わって良かったな」
「いや、それが、ちょっと無事でもなかったんです……」
副会長の岡崎が、神妙な顔つきで話す。
会の終盤、二階通路の照明器具の固定が甘く、落ちそうになったというのだ。
機材はそれなりに大きなものだ。それが、暗がりの中、人で埋まった所に落ちたら……、想像するだけでも恐ろしい話だ。だが、それにいち早く気づいてくれた一年がいて、すんでのところで事故は防ぐことができたという。
「その一年って、もしかして、一組のか……」
「はい、先生も気づいてくれてましたか。一組の天見と伊山です」
「ほんと、頼りになる一年生です。さすが先生のクラス。きちんとお礼を言っておきました」
日野は、事の重大さに顔を引き締め、設置の担当だったバスケ部には、こってりと説教をしたということだった。明日の生徒会執行部会では、その反省もきっちりするという。
来て早々の俺も、今さらながら背筋が、ぞくりとする話だった。
赴任していきなりの事故を免れたことに胸をなでおろしながら、ふと思った。
しかし、会場はとても暗かった。あの暗がりの中、二階の異常にどうして気づくことができたんだ?
それが分かるのは、ずっと先のことになった。
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