零下草~氷華に咲き誇る~

高本 顕杜

零花

 零花はどうしても民族制圧を止めさせたいと思っていた。

 

 それは、その少数民族の中に、現地で出会い友情を育んだ友がいるからだ。


 


 植物生理学者である零花は、ある国家プロジェクトのため氷雪地帯に滞在していた。

 

 そのプロジェクトとは、次世代バイオエネルギーの原材料となる植物の生育に適した氷雪地帯を開拓、開発するという計画だ。

 零花は若くして才を見込まれ、プロジェクトのための組織、〈遠征開発団〉の一員として氷雪地帯に送り込まれていた。

 


 現在、氷雪地帯は、零花の所属する遠征開発団のような、多くの国や企業が入り熾烈な開発競争を繰り広げている。

 氷雪地帯のあちこちに、栽培施設、エネルギープラント、居住拠点などが次々と建設され、バイオエネルギー研究は日々発展し続けていた。

 

 しかし、栄光には必ず陰がある。


 この地において、人類史発展の犠牲となっているのは、氷雪地帯の自然環境であり、先住民族たちであった。


 彼らは、住む場所を奪われ、半強制的に労働力として雇われていた。

 それもまだいい方で、もし抵抗すれば敵対勢力とみなされ、各組織の軍事力をもって襲撃、制圧されてしまう。

 

 既に根絶やしにされた民族の数は、両手の指では到底収まらなかった。


 


 零花が、友となる先住民族のリューベリカと出会ったのは、研究のために入った雪山で遭難した時だった。


 零花の前に突然、年格好が同じくらいの先住民族の少女が現れた。零花は、その時、湧き出る興味のまま、叩き込んできた現地の言葉でコンタクトを取った。

 少女は、最初警戒していた様子だったが、現地の言葉を理解できる人間が珍しかったのか、程なくして警戒を解いてくれた。


 しかし、そのタイミングで、零花の身体は遭難して弱り切っていた事を思い出した。

 

 ガクガクと震え出したかと思えば、凍った様に動かなくなり、意識を失ってしまったのだ。

 


 目が覚めると、穴倉の様な所で少女に身体を包み込まれていた。

 彼女は、零花を安全な所まで運び、体を寄せ合い暖めてくれていたのだ。その機転がなければ零花は凍え死んでいただろう。


 そうして、零花はリューベリカに命を救われたのだった。


 その後、二人は、雪山にある零花が研究している零下草という草花の群生地を約束の場所として、幾度も同じ時を過ごした。


 零花は、つたない言葉で、リューベリカに様々な事を話した。温暖な地域や都会の事、世界の様々な動植物の事。リューベリカからも、彼女自身や民族の事、氷雪地帯の事などを多く教えてもらった。

 

 零花は、リューベリカに、まるで手付かずの自然の様な美しさを感じていた。


 洗練されたしなやかな身体。興味があるものには目を輝かせ、しかし、一たび狩りになれば凛とした姿で華麗に動物を仕留める。


 彼女への興味は尽きなかったし、日を追うごとに引かれていった。


 しかし、その感情に比例し、リューベリカへの罪悪感も肥大していた。


 先住民族からすれば、自分も非人道的に彼らを虐げる侵略者の一員。リューベリカと仲良くする資格などあっていいはずがないのだ。  

 

 いままでその想いに見て見ぬふりをしていた零花。しかし、そうは言っていられない事態が降りかかってきた。

 

 遠征開発団の意志決定をするための場である――中央議会に、リューベリカの民族を制圧する、という議案が上がったのだ。

 開発団はいつの間にか、リューベリカの民族にも手を伸ばし始めていた。


 零花は戦慄した。もし議案が可決されれば、彼女の民族は攻撃され、確実に犠牲者が出る。リューベリカは命の恩人で、掛け替えのない友だ。

 やらせるわけにはいかなかった。


 零花は、重々しい空気が支配する議会の中、震えながらも堂々と反論して見せた。


 すると、その甲斐あってか、次の議会で弁論をする機会を与えられたのだ。

 チャンスだった。この機をものにできれば、リューベリカを危険から遠ざける事が出来る。絶対にやり遂げてみせる、零花は強く誓った。


 しかし、この議案を否決させるのは険しい道だった。


 それは、中央議会を構成する遠征開発団の各部門の代表者や有権者たちが、既に賛成を表明しているからだ。

 

 それに加え、零花のいる研究部門は各部門の中でも立場が弱い。統括本部や、軍務部門などの立場の強い部門を相手取り、どこまで出来るかは未知数だった。

 

 それでも零花の決意は固かった。

 零花は次の議会までの間に、仲間を集め、戦略を立て、役立ちそうなあらゆる事を調べ、弁論資料を作り込んだ。

 

 そして、万全な準備を整え、議会の日を迎えたのだった――。

 

 零花は壇上で声高らかに語った。

 リューベリカの民族が持つ知識がいかに開発団に有益なのか、それを得てどう発展出来るのかを隙なく論じた。会場の受けも良く、弁論は誰が見ても完璧な出来だった。


 中止にできなくても、延期、再検討にはできるはず、と零花は確信した。



 決議の時が訪れた。


 結果は――。




 ▽▽▽




 民族制圧が、可決されてしまった。

 その決議には、買収や忖度の影がちらついていた。

 

 さらにそれは、軍務部門の発言で確定的なものとなった。

 彼らは、制圧作戦の準備は既に整っており、あと数刻で作戦を開始する、と公言したのだ。

 

 零花は絶望した。この弁論は最初から出来レースだった。「反対意見も検討した」という賛成派の口実に付き合わされただけ、どこまでもこけにされていたのだ。

 

 これで、リューベリカと彼女の民族がただでは済まない事が決まってしまった。


 零花は、心と体が裏返ったような、感情が体を介さず独り歩きしているような、奇妙な感覚を覚えた。


 気が付いた時には、議会ホールを飛び出し、走っていた。その足は、約束の場所、零下草の群生地がある雪山へと向いていた。

 

 走りながら、零花は考えた。

 

 いつもの約束の時間が近い。もしかしたら、リューベリカが仲間たちも引き連れて群生地に来てくれるかもしれない。そうしたら、彼らを安全な所まで逃がそう。


 もし、リューベリカしか辿り着けなかったとしても、彼女だけはこの命に変えても助けてみせる。



 雪山に入り、森を抜けた先、開けた場所に群生地はある。


 金色に輝く様な白い花を持つ零下草。それが海の如くに視界一面に広がっていた。


 幸いにも、群生地に辿り着いてすぐに、リューベリカを見つけることが出来た。

 しかし、目に入ったリューベリカの姿に、思わず呼吸を忘れた。

 

 リューベリカは、全身血まみれだった。

 さらに、左の肘から先が無く、欠損部から絶えず血が流れていた。右足はほとんど身体を支えておらず、引きずりながら歩いている。顔にも大きな傷が刻まれ、視界があるのかも怪しかった。


 その様子から、軍の攻撃を受けたのは明白だった。


 と、リューベリカの体がガクンと落ち、零下草の中に沈んだ。


「リュ、リューベリカ!!」


 零花は咄嗟に駆け出した。


 リューベリカの元まで辿り着くと、彼女を優しくかき抱く。


 零花の服がべったりと赤く染まる。


 触れてさらに実感する。この傷では助からない――。


 零花は悔しさにうちひしがれ、体を震わせ、唇を噛んだ。

 唇からの血と、涙が落ちるのを合図に、零花は叫ぶ。


「止められなかった! 奴らの動向にもっと敏感になるべきだった! もっと私が……上手く出来ていれば……」

 

 零花は必至過ぎて、民族の言葉で話す事も忘れていた。

 

 その時、リューベリカの口元が微かに動き、何かを告げた様に見えた。しかし、零花はその言葉を聞き取れなかった。


 零花は、包み込むようにして身を縮め、自身の額とリューベリカの額を合わせた。


 額から伝わってくる。リューベリカはもう生き絶えると――。


「なんで、あなたが死ぬのよ……」


 ――リューベリカは私の命を救ってくれた、なのに、私があなたを死なせてしまうなんて……。


「ごめんね……ごめんね、リューベリカ」


 零花の涙が、リューベリカの瞼に落ちる。


 その瞼は、涙が伝っていくのにつられる様にして、ゆっくりと、ゆっくりと閉じていく。

 

 零花は、息絶えていくリューベリカから目を離さなかった。

 その友の顔を瞼の裏に、脳裏に、心に焼き付けるようにして、涙をいっぱい貯めながら見つめ続けた。



 雲間から群生地に陽がさす。照らされた零下草が、まるで二つの哀しみを慰める様に煌めいていた。



 どれくらい経っただろうか。

 零花の頬を伝っていた涙もすっかり乾いている。


 零花は、リューベリカの亡骸を抱え、おもむろに立ち上がった。

 そして、群生地から氷雪地帯を見下ろす。

 

 ――私は、この地で起こっている問題を自分には関係ないと蓋をしていた。だけど、それは間違いだった。全て、私の問題だ。


 その表情には強い意志が灯り始めていた。


 ――私は、もう目を背けない。関わらない事を止める。これ以上、リューベリカの様な人を、一人だって出させない。絶対に。そのためにこの血肉と心を捧げ、歩んでいく。

 

 眼前に広がる荘厳さを称える零下草たちと、腕に掛かるリューベリカの重み。

 その悲壮感を零花は一生涯忘れる事はないだろう。


 


 友の存在は、零花の中の種を発芽させ、死という赤き水が、決意の花を咲かせた。

 それは、煌めく白き零下草の如く、儚く、しかし鮮烈に咲き誇ったのだった。

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