『帰る』
宮本 賢治
第1話『帰る』
「ニコ、寒くない?」
美桜がニコに尋ねた。
「大丈夫です。すぐ、そこだから」
日が落ち、放射冷却が始まっている。晴れ着にファーを巻いただけのニコを美桜が心配した。
「それに美桜さんのモフモフあったかいです」
ニコがファーを撫でて言った。
「なら、良いけど」
美桜はオールブラックのカシミヤコートを着ていた。
美桜が好きなトゥモローランドコレクションの一品。
滑らかなタッチと美しい光沢感がある、最上級のイタリア産カシミヤ素材を使用したラップコート。
ややウエストを絞ったシルエットが美桜のプロポーションの良さを引き立ててる。
そのまま羽織っているだけなのにメッチャカッコ良い。
ニコは美桜に見惚れていた。
大人の魅力。
美桜はニコにとって、目標であり、憧れの存在だった。
コンビニの前で美桜が立ち止まった。
「ニコ、ゴメン。ちょっと良い?」
美桜はコンビニの店の前にある喫煙コーナーを指差した。
「あ〜!
わかりました。
ここ、行きつけのコンビニなんです」
ニコは店の中を覗き、知ってる顔を見つけた様子。
「顔見知りの店長がいるから、晴れ着見せてきて良いですか?」
「うん、行ってきなよ」
美桜がそう言うと、ニコは店の中に入っていった。
中年の店長らしき男性と、若いバイト店員らしき女の子と談笑を始めた。
美桜はその様子を見て微笑んだ。コートのポケットからアイコスのタバコデバイスを取り出した。
バイオレットのタバコデバイス。スライドさせ、キャップを開ける。現れた穴にタバコスティックを挿入した。
もちろん銘柄は
『ブラックパープルメンソール』
デバイスが加熱を始めた。デバイスが振動したことを確認すると、美桜はスティックを思い切り吸い込んだ。煙を一度口の中にとどめて、外の空気を吸いつつ、ゆっくり煙を飲み込むように肺に入れた。
ニコチンを欲していた欲求が和らいだ。
次はスティックを吸い込み、口を尖らせて煙を吐き出した。口の中にほのかな苦味とメンソールの冷たさが残った。
バカカップル、トムとニコが巻き起こした『御殿様と腰元のコントゴッコ』
その後始末に出向いた自分が急に滑稽に思えた。
「バカじゃん」
美桜はクスッと笑い、店の中で店長と写真撮影しているニコがかわいく思えた。
「美桜さん、お待たせ」
店から出てきたニコは何かが入ったレジ袋を下げていた。
「お買い物したの?」
美桜が尋ねた。
「店長が良いもの見せてもらったからお駄賃だって、じゃがりこもらっちゃった♪」
ニコは笑顔がかわいい。
その笑顔は周りを幸せにする。
美桜はニコの笑顔が大好きだった。
また、2人で歩き出した。
「ねぇ、美桜さん」
「ん、何?」
「美容師って、やっぱ、ステキなお仕事ですよね」
ニコが真っ直ぐに美桜を見て言った。美桜は優しく、問い掛けた。
「どうしたの?」
「今、コンビニのみんなにも言われたけど、
わ〜、スッゴいキレイ!
って言われるの良いですよね。
スッゴく、うれしくなっちゃう♪」
「だって、ニコ、ホントにキレイだよ」
「けど、それって、美桜さんのおかげじゃないですか!
キレイに着付けして、それに合うヘアメイクして。
美桜さんにキレイにしてもらった人はスゴく幸せになるし、そのキレイな人を見ると、周りも幸せになるし···だから、わたし、美桜さんみたいな美容師になりたいんです!」
ニコの目がキラキラしていた。
美桜は大きくうなづいた。
「ニコなら、なれるよ」
「はい、ガンバリます!
マイマスター!!!」
「店長とお呼び」
美桜がふざけて、空中海賊ドーラみたいなことを言った。
「はい、店長」
美桜が払うように手を横に振る。
「冗談、冗談。
店の外では美桜で良いよ」
「はい、美桜」
「さんをつけろよ」
アニメオタクの2人は一緒に笑った。
ニコの家に着いた。
「ただいま〜!」
ニコが玄関で元気良く言うと、ニコの両親が出迎えた。
「おかえり〜!」
ニコのパパ、ママは一瞬、目が点になった。
ニコの晴れ着は内緒だった。
サプライズ。
ニコの両親の顔が一瞬でほころんだ。
「わ〜! どうしたの、ニコ!
スゴい、キレイ!!」
喜ぶ両親にニコは答えた。
「でしょ〜!
今日のアルバイトのご褒美に美桜さんが着付けてくれたの〜!」
美桜がひょっこり顔を出した。
「ま〜、美桜さん、いつもうちのニコがお世話になってます!」
と、美桜はニコ家族にそのまま、軟禁された。
「スッカリ、ご馳走になっちゃった」
美桜はニコの部屋で、マグカップを口にした。
ニコは着物を脱いで、完全にダル着。
「美桜さん、ゴハンも食べたし、わたしの着替えもあるから、泊まってってください」
「う〜ん、それステキだね」
「でしょ!
夜更かしガールズトークしようよ!」
「うん、そうしたいんだけどさ···今から、ちょっと、実家に顔出そうかなって」
「え、どうしたんですか? 急に」
「ニコにも言ってあるよね、わたし、お父さんと仲悪いって···」
「···はい、聞いてます」
ニコが暗い表情になってるのに気づいた美桜。あわててフォローする。
「あ、そんな暗くなんないで。
わたしが高校中退したときからだから。
高校中退して、美容師になるって言った時も大喧嘩したし、わたしが独立して店始めるって時もスッゴい大喧嘩した。
その時に実家飛び出したんだ」
ニコはマグカップのホットミルクを一口飲んで、言った。
「でも、それって、美桜さんのお父さん、美桜さんのことが心配だからじゃないですか」
「うん、わかってるよ。
でも、わたしとお父さん、似た者同士で頑固だから···」
「でも、何で、今のタイミングで?」
「うん、今日、妹の美冬(みふゆ)、20歳の集いだったの」
「あぁ、美冬さんも着付けに美桜さんのお店来てましたもんね」
「お母さんも美冬も、うちの店の常連さんだし、あの2人とは一緒に買い物行ったり、ゴハン行ったりして仲良しだけど···
お父さんとはね···
お母さんも美冬もわたしとお父さんを仲直りさせたいみたいでさ。
だから、今日、実家においでって誘われてたの」
美桜の話を聞いて、ニコはあたふたした。
「え〜!
そんな大切なタイミングで、
わたしのせいで呼び出して、
しかも、うちで夕食まで無理強いしちゃったってことですか!」
あたふたするニコを落ち着かせるように美桜は首を横に振った。
「いや、ついさっきまで、まったく実家に行こうなんて思ってなかったから、気にしないで!」
「だったら、どうして急に?」
「何かね、ニコがただいまって言って、ご両親がおかえりって言ってるの見たら、ホームシックになっちゃった」
ニコは美桜の話を聞いて、大きくうなづいた。
「うん、美桜さん、帰ろ」
ニコは美桜を真っ直ぐ見て、言った。
「うん、帰ろっかな」
それから、美桜は実家の母親に電話を掛けた。
美桜は実家の前に立った。
閑静な住宅街の一画。
玄関には明かりが点いてる。
美桜は大きく深呼吸した。
ドアに手を掛け、中に入った。
「···ただいま」
『帰る』 宮本 賢治 @4030965
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