02.不死騙りたち(Pret ers) その①
朝。
覚醒する意識。
目蓋を開く。
ぼやけた視界に映る天井は真っ白で汚れひとつない。
人面じみた模様が多すぎて新内閣発足の集合写真みたいになっていた我が家とはまるで違う。
見知らぬ天井だ。
……と言いたいところだけれど、この部屋に滞在して三日目になるわたしがそれを言ったら嘘になってしまう。
詐欺になってしまう。
三日目──そう、三日。
深窓の令嬢、赤良々安寿が所有する別荘、《不死鳥館》に審査の受験者として滞在してから、既にそれだけの時間が経過していた。
そんな風に書くと、あっさりと参加に漕ぎ着けたように思われるかもしれないけれど、シギタニに言わせれば、ここに来るまでの間にいくつもの難関があったらしい。詐欺師として持ち得る手練手管のすべてを駆使し、積み重ねればわたしの身長を超える量になる書類を偽装しまくったんだとか。想像するだけで気が遠くなる道程だ。
快適な寝心地のベッドとの別れに寂寥を感じつつ、わたしは起床する。起き上がる胴体。腰を軸として円弧を描くような運動には頭も追随する。
当然だ。
頭は普通、胴体と繋がっているものなんだから──昨晩の人体切断マジックは成功に終わった。
カウントダウンが終了すると同時に五体満足で現れたわたしを見た時の観客たちの顔といったら痛快この上なかった。この仕事をしていて久しぶりに達成感を嚙み締めたものである。
あの時シギタニは「余興だと思ってお楽しみください」と嘯いていたけれど、昨晩わたしたちがおこなったのはただの余興ではない──不死の実演だ。
《不死鳥館》に招かれたゲストはわたしたちだけではなく、他に三組いた。わたしたちを招いた赤良々安寿は受験者それぞれが披露する不死性を鑑賞し、堪能し、吟味し、審査し、最終的に誰が本物の不死者なのか──己の友人になるべき人物なのかを見定めるのだという。
一日一組。
大広間で全員揃っての夕食後に、その日担当の受験者が己の不死性を披露する。
全員の審査が終了するには四日間かかる計算だ──これが来館初日にわたしたちが聞かされた『友人審査』のスケジュールだった。
「つまり四日間も世間から離れて館に滞在し続けなきゃいけないってこと? ふざけるな。こっちだって生活があるんだぞ。金持ちの道楽なんぞに付き合ってられるか!」などと喚く輩はひとりもいなかった。
ここまで来て何も得ずに帰宅するなんて愚行もいいところ。
むしろ「自分以外の全組が帰ってくれないか」という考えで、当時のわたしたちの脳内は一致していたに違いない。
それに──財閥令嬢所有の別荘なだけのことはあり、《不死鳥館》の居心地は最高だった。
瀟洒な外観から抱かれる期待を裏切らない最高峰の設備。
一日三食提供される食事(食後のデザート付き)はどれも絶品で、これまでの人生で口にしてきたのは泥や石だったんじゃないかと思いそうになったくらいである。
地下の水脈から直接汲み上げているという温泉は入るだけで天にも昇る気持ちになった。
先ほどまで寝ていたベッドだって雲みたいにふかふかで、そのまま永眠したくなる寝心地だった。
さらに驚くべきことに、館内にはメイドと執事が常駐しており、日々の細かな所までサービスを提供してくれるのだ。
嗚呼、素晴らしき贅の極致。
いつか重要文化財に指定されそうなほどに古めかしい骨董アパートで暮らしているわたしにとっては極楽の如き環境だった。
帰るだなんて、とんでもない。
四日と言わず、一生住みたいくらいである。
そうでなくとも──
「こんな場所から勝手に出ていくなんて、不可能だからね」
窓の外に目を向ける。屋敷の庭が見えた。並んでいる植木はどれも整っており、財閥令嬢の庭園に相応しい景観が出来上がっている。デスサイズさんの仕事かな?
そして、木々の緑の向こうには──青が広がっていた。
海だ。
《不死鳥館》をぐるりと囲むように海岸線が走っている──というより、島の中央に《不死鳥館》が建てられている、と言うべきか。
別館や物置を除けば、島内に《不死鳥館》以外の建物はひとつもない。関係者から直接聞いたわけではないが、おそらく屋敷のみならず島そのものが赤良々安寿の所有物なのだろう。金持ち恐るべし。
水平線に目を凝らす。
対岸の陸地は影すら見当たらない。わたしが人体切断マジックではなく脱出マジックのスペシャリストだったとしても、この島からの脱出は到底不可能だろう。
「絶海の孤島に聳え立つ、財閥令嬢の館──ね」
まるでミステリーの舞台みたいだ。
そのうち謎の怪人が現れて、連続殺人事件とか起こしそう。
普通なら身の危険を感じて然るべき状況なのかもしれない。
ひょっとして……、このシチュエーションは赤良々安寿からわたしたちへの挑発なのだろうか?
「本当に不死身なら、ミステリー小説じみた環境でも不安にならないでしょう?」みたいな。
……なんて、さすがにそれは考えすぎか。
とまれかうまれ、審査員の元に辿り着き、最終審査も済ませたわたしが、これ以上この島でやれることは何もなかった。
第二話にしてメインイベントを消化してしまったわけである。
情報の後出しと記録の捏造を得意とするシギタニは「むしろここからが本番」と意気込んでいたけれど、わたしからしてみれば、どうしても一仕事終えた感が拭えない。
無論、だからと言って気を抜いていいわけではないだろう。
たしかに昨晩、わたしの手番は終わったが──それで審査が終わったわけではないのだ。
赤良々安寿の屋敷にいる間は常に審査を受けているも同然なのである。
二十四時間。
四六時中。
いついかなる時も──
わたしは人前で死んではならない。
「…………………………」
……そう考えると、このまま誰とも接触せずにゲストルームで籠城するのが最善手な気がしてくる。
けれども、そんなことをすれば「自分は人前でボロが出かねない立場です」と周囲にアピールするも同然だし、それに、わたしの胃袋は持ち主に似て本能に忠実な愚か者なので、こんな状況でも朝食を求めてくるのであった。
仕方ない──朝食をいただきに行こう。
そもそも《不死鳥館》で提供される絶品料理をたとえ一食でも欠かすなんて勿体なさすぎて、土台無理な話だからね。
そうと決まると、わたしは身支度を整えて、部屋を出──視界が真っ黒に染まった。
「おや」
頭上から声。視線を上げると、そこにはこちらを見下ろす女性の顔があった。視線が鋭い。見下ろすというより見下しているような威厳と凄味が込められている。
そして上背が凄い。頭頂部で天井が擦れそうなほどである。街中の自動販売機に顎を載せられそうだ。
視界いっぱいの黒の正体は、黒のレディーススーツに身を包んだ長身の女性だった。
突然のエンカウントに面食らっているわたしを見下ろしながら、彼女は言う。
「おはようございます、走馬さん──いえ、こんにちは、と訂正すべきでしょうか」
たしかに現在時刻は世間一般の起床時間と比べるとやや遅れ気味なのは否めないけれど、昼時とするには早すぎやしないか。
と、言い返したくなるわたしだったが、頭上から降り注ぐ嫌味と風格たっぷりの眼光を浴びれば、その訂正が正しいように思えてしまうのだから、不思議でならない。
自分より大きな生き物に対して、本能的に臆してしまっているのだろうか? それともわたしって年の功に逆らえないタイプだったりした?──あるいは。
この心理は彼女の肩書に由来するのだろうか。
「ど、どうも……、
曖昧な笑みを浮かべながら、わたしは相手の名前を呼び返す。
「その呼び方もまた、この場では訂正すべきなのでしょうね」
「はい?」
不可解な発言の意図を理解しかねて、昨晩切断されたばかりの首を傾げていると、今生さんの腰の左右それぞれからぴょこりと顔を覗かせているふたりの少女に気が付いた。
どうやら今まで今生さんに隠れる形になっていたらしい。
あるいは最初から姿を見せていたけれど、わたしの意識が今生さんの巨体に向いていて気付かなかっただけかもしれない。だとしたら、よりによってマジックを本職とする者がミスディレクションに引っ掛かってしまったことになり、情けなさからすっごく死にたくなるのだけど……。
少女たちの顔は鏡合わせになっているかの如く瓜二つだ。
たしか──名前は『たいわ』と『かいわ』。
どちらがたいわちゃんで、どちらがかいわちゃんかは、彼女たちと同じ屋根の下で暮らすようになってからまた三日しか経っていないわたしには見分けが付かないけれど、聞くところによると一卵性の双子らしい。
わたしがふたりの存在にようやく気付いたのを認めると、今生さんは「やれやれ」と言いたげな表情をしながら、ふたりの肩に手を添えて、
「この子たちも今生姓の持ち主なのですから、この場でわたしを呼ぶのならファーストネームの『いまわ』まで含めて呼んでいただかないと──あるいは」
『今生先生』と訂正してください──と、言った。
◆
今生いまわは教育者である。
『教育』の不死者である。
近畿地方を中心に勢力を伸ばしている学習塾グループ《
コンジョウだなんて、一昔前の精神論が重んじられていそうな名称に思えるけれど、その教育方針は工場の生産ラインのように合理的かつ効率的であり、毎年多数の有名校合格者を量産しているんだとか。
塾長を務める彼女自身の頭脳も明晰であり、幼い頃から神童と話題され、その名声を落とさないまま、どころかますます高めるように成長を続け、現在のポストに納まる前は海外の高等教育機関で教鞭を執っていたらしい──それが来館初日にわたしが知った、彼女のプロフィールである。
いわば教育分野のエリート。
天才を生む天才。
わたしのような普通人からすれば、おなじ『友人審査』の参加者であること以外に共通点がない、比較するだけで劣等感で死にたくなる別次元の存在だ。
「だからって先生とは呼びませんよ、いまわさん」
「あら。遠慮しなくていいのに。いずれわたしは全人類の教師になるのですから」
自負がでかすぎる。
教育者ではなく独裁者にでもなるつもりか。
「あいにくですが、偉大なるマジシャン、ハリー・フーディーニと父以外を師と仰ぐつもりはありませんので──それで、そちらは朝食の帰りですか? だとしたら奇跡的な偶然ですね。そちらがわたしの部屋の前を通り過ぎるタイミングと、わたしが退室するタイミングがたまたま被るだなんて」
「ええ、そうですね。奇跡と言えば、昨晩お見せいただいた奇跡──いえ、奇術と訂正すべきでしょうか──は、素晴らしかったですよ。とても良い余興でした」
『奇術』と『余興』をやけに強調して発声していることに棘を感じる。
いやな言い方するなあ。
「イリュージョニストの観点で見れば、昨晩のあなたは合格と言えるでしょう」それはどうも。エンターテナーが賜れる名誉で最上のものだ。「だけど『友人審査』については、安寿氏の結果発表を待つまでもなく不合格でしょうね──いえ、我々以外の全組が不合格、と訂正すべきでしょうか」
「随分な自信ですね」
「一日目の
「ヘルヘブンさんは?」
「あの詐欺師は論外です」
シギタニという本職がいるのに、それを差し置いて詐欺師呼ばわりされているヘルヘブンさんに哀れみを感じずにいられない……──まあ、彼の場合は仕方ないか。
わたしも胡散臭いと思ってるし。
ともあれ、このままいまわさんの疑いの目がこちらに向き続けるのは好ましくない。
万が一にも、何かのきっかけで真相に気づかれると面倒だからだ。
だからわたしは話を逸らすことにした。
「そういえば来館初日にいまわさんは自分を『教育』の不死者と紹介されていましたけど、教育と不死って……なんだか繋がりがイメージしづらくないですか? 学校や塾は長年生きている不死者じゃなくて、子どもが通うものな気が──」
「いまのあなたの発言は、この世全てのシニア入学制度利用者を敵に回しましたよ?」
のっかってきた。
「もしかして生涯学習をご存知ではない? 人間は生きる限り、学び続けるものでしょう? ──いえ、学び続けなくてはならない、と訂正すべきでしょうか」
教壇に立つ講師のような口調で捲し立てるいまわさん。
「走馬さん。あなたの得意科目は?」
「え……」学生時代にそんなものはなかったけど、しいて言うなら──「数学?」
「そう、意外ね」いまわさんは余計な一言を挟んだ後「では、学生生活の間にその全てを完璧に学べたと言える?」
その問いに自信を持ってイエスと答えられる頭脳を持っていたら、今頃わたしはこんな場所にいない。
今生塾の講師になっていたかもね。
「では──一般的な寿命の間に、数学のすべてを学べるかしら?」
「…………」
それは──きっと、無理だ。
「でしょう? 法則や問題は既存のものだけでも膨大ですし、これからも増えないとは断言できません──科目を数学以外に置き換えても話は同じ。国語において名著とされる本をすべて読破するなんて生涯をかけても不可能ですし、芸術分野においては実技以前の座学だけで一生が終わることでしょう。どれだけ優秀なプログラマーでも、あらゆる言語を十全に読み書きするなんて不可能です。史学なんてまさしく、一分一秒経過するごとに学習事項がリアルタイムで更新されているじゃないですか」
つまり。
知識とは、人間の歴史が続けば続くほど増え続けるものであり。
そして──
世にある知識の量に対して、人間の寿命は圧倒的に短い──と。
『教育』の不死者、今生いまわは主張したいのである。
「全てを識り、全てを教えるには必要なのですよ──限りない寿命が」
「だから……、不死者になったんですか。あなたは」
「わたしだけではない、と訂正すべきでしょうね」
言って、いまわさんは足元に佇むふたりの娘の頭を撫でた。
自分の子どもを──あるいは、その頭蓋に収まっている知識を愛でるように。
「この子たちも、ですよ」
「…………」
わたしはたいわちゃんとかいわちゃんを見比べる。
ふたりの顔はあどけなく。
幼く。
若々しく。
純朴で。
言ってしまえば、とても少女だった。
これから永遠に生き続ける不死者だなんて、思えない。
「この場で我々の不死性を披露してもかまいませんが、どうせ今晩、審査の手番が回ってくるのです──その時、お見せしましょう」
いまわさんはそう言い残すと、自室に帰っていった。
『教育』の不死者──その肩書が真実なら、先ほど彼女が言っていた『全人類の教師になる』という未来予想図もあながち間違っていないのかもしれない。
そんなことを思いながら、わたしは朝食の会場へと向かって行った。
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