第4話 誘拐(前半)

「……はぁ」


 ブラッドは再び自分の家にたどり着く。しかしどうも入る気になれない。自分の家でありながら知らない人の家をたずねるような、心の底がゾワゾワする不快さを感じていた。しかしいつまでも立ち尽くすわけにもいかないので、ブラッドは音が鳴らないようにハシゴを上り、静かにドアを開ける。


「!」


 すると白い塊が跳ね起きるようにブラッドに飛びついた。反射的に殴りそうになった拳を止め、ブラッドは抱きつくそれを見下ろす。


「おかえり!」


 乖が満面の笑みでブラッドを出迎える。もしあのまま拳を振り抜いていれば、乖の細い骨は一発で折れただろう。普段から誰に襲われるかわからない環境では、拳を振り上げて迫ってくる男や刃物をこちらに向けて一直線に突進してくる女など咄嗟に対応しなければならない危険が多い。

 すぐに乖だと気づいて止めることができて良かったとブラッドは表情に出ないように安堵した。


「離れろ」

「やだ」

「離れろ」


 今度は無理やり乖を引き剥がすと、ブラッドはちらりと部屋の奥を見る。特に物は動かされていないようだ。乖はずっと玄関で座っていたのだろうか。雪がいつ降ってもおかしくない時期は空気が冷たく、乖の素足は赤くなっていた。そこまで気が回らなかったとブラッドは今更のように思い返し、複雑な気持ちになる。


「にゃーあ!」


 すると乖の足をすり抜けるように黒猫が現れ、ブラッドに訴えるような細い声をあげる。そういえば今日はまだご飯をあげていなかった。ブラッドは何度目かわからないため息をつくと、扉を閉め鍵をかけた。

 ブラッドはベッド脇にある小さなタンスから適当に靴下を取り出すと、そのまま玄関で立ち尽くす乖に突き出した。乖は「?」を浮かべたままなので、ブラッドは悪態をつきながら乖をキッチン前に置いているスツールに座らせ、雑な手つきで小さな足に履かせた。


 少々ぶかぶかだったが考えるのが億劫だったブラッドは、ついでにブランケットを乖の肩にかけてから立ち上がる。その動きにあわせて黒猫が自分の番だと言わんばかりに主張してきた。


「んなーお!」

「わかってるよ」


 次にブラッドはキッチンの戸棚から猫餌が入った袋を取り出し猫用の皿に適当に盛った。袋に『キャットフード』と書かれたこの猫餌は、国外から裏ルートで仕入れた物だ。壁の下に穴を掘って人一人が通れそうな通路を作り、国外の人間にコソコソと物資を持ってきてもらう。レジスタンスもそんな違法者の支援のおかげでどうにか活動できるのだ。


 そして何の気まぐれか食料に混ざって届けられた猫餌をアランが勝手に持ってくる。いつもは残飯をあげているが、たまにこうして乾いた硬いスナックのような餌を与えているのだ。


「んなぁ」

「もう少し待てって」


 ブラッドは電気コンロのコードを蓄電池に繋げると、貯水槽の水を入れた小鍋を上に乗せてスイッチを入れた。

 猫は年々噛む力が弱くなっているので、最近は湯でふやかしてから食べさせている。食べる量も減り、正直この冬を越せるのかわからない。それも自然の摂理だとブラッドは思っている。


「それ、ブラッドの朝ごはん?」


 スツールから立ち上がった乖がブラッドの横から顔を出して手元を覗き込む。


「人間が食えたもんじゃない。そこの猫の」

「そうなの?人間が食べれないのに猫が食べれるの?」


 面倒くさくなったブラッドはキャットフードを一粒だけ指で摘み、乖の口に放り込む。乖はそのまま咀嚼するとごくりと飲み込んだ。


「美味しいよ?」

「……」


 乖の食料も猫の餌と同じで良いかもしれない、とブラッドは頭の中で独言する。今まで乖がどんな食事をしてきたのかあまり考えたくない。どうせロクでもないのだろう。

 餌皿に入れた湯が冷めて餌がふやけたのを確認してから、ブラッドは猫の前に餌皿を置く。猫は皿に顔を突っ込み、ちゃむちゃむと控えめな音を響かせた。

 乖は猫の前でしゃがむと興味深そうに眺めている。


 それを横目で見ながらブラッドは冷蔵庫を開けた。冷蔵庫といっても電源をつけていないので、中は常温と変わりない。電気を極力使いたくないのと、単に冷やさないといけないものが無いため戸棚と同じような使い方をしている。

 さらにその冷蔵庫の中には硬いパンがひとかけら転がっているだけ。一人の時なら塩を入れた湯でふやかして食べるが、とても二人で分けて食べることはできない。


(やっぱりアイツは猫の餌でも良いんじゃないか)


 ブラッドはその場でうずくまるように屈み、おもむろに目を閉じた。


 疲れた。とにかく今日は疲れてる。


 ただでさえ夜通し工場の破壊のため監視網や死線をくぐり抜けてきたのだ。そのうえ訳の分からない子どもを拾い、さらにその子どもに好意を抱かれ、見捨てることもできず家に連れて来てしまった。

 瞼の裏で視線を感じ再びブラッドが目を開くと、乖の興味津々な顔が目前に映る。


「何」

「ブラッドってまつ毛が長いんだなぁって。綺麗だね」


 さらっと出た女を口説くような言葉にブラッドはギョッとする。


「マジでやめて欲しい。本当に何」

「思ったことを言っただけだよ?」

「そもそもお前、他の人間を何人も見たことあるのか。見比べて言ってんのか」


 ブラッドの投げやりな質問に乖は悩むように口を閉じる。


「んー? んー……」

「じゃ、いい。興味ないから」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ゆうかいのオレンジ @konue

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画