第4話 業火の怪人

 彼我の距離を測っていたナナミは、相手が射程圏内に入ってくるやいなや、タンッと床を蹴り、自ら間合いを詰めた。


「はは! 自分から来てくれたよ!」


 狂喜の声を上げて、八田はロープを張り、ナナミの首に絡みつかせようとする。


 刹那、ナナミは体勢を低くしてロープをかわし、そこから一気に脚を振り上げた。下から上へと昇り竜のごとく打ち放たれた蹴りが、八田の顎へと叩きつけられる。


「ぐぶっ!」


 顎をしたたかに蹴り飛ばされた八田は、のけぞりながら、一歩後退した。


「ヤアアア!」


 畳みかけるように、ナナミは相手の懐へと飛び込み、拳打と蹴撃の乱舞を叩きこむ。休む間もなく次々と打撃をお見舞いされ、八田はまったく反撃できずにいる。


 ナナミは、シラットの動きから、今度は太極拳の動きへとシフトし、グルンと大円を描きながら腕を回すと、八田のみぞおちへと発勁を叩きつけた。


「ぐほぉ!」


 八田の長身は吹っ飛ばされ、玄関のドアに背中から激突した。


 間髪入れず、ナナミは八田を追いかけると、ドアにもたれかかっている相手の喉笛へと足刀を突き刺した。そのまま押さえこむ。


「かは……!」

「どうしてなの! なんで、私のことを襲ったの!」

「マン……ハント……」

「え?」

「マンハントの知らせが……届いたんだ……この近くを移動していた時に……だから、チャンスだと思い、来たんだよ……」


 喉笛を締め上げられるように、足刀で押さえつけられ、息も絶え絶えになりながら、八田はそれでも楽しそうに語っている。


「君を……殺しに……!」


 ニチャア、と歪んだ笑みを見せてきた。


 その気味悪い笑顔を見た瞬間、ナナミの中で何かが弾けた。


 八田の喉笛から足刀を外し、ほんの一瞬だけ相手を解放した後、すぐさまハイキックを放った。頭部を思いきり蹴られた八田は、頭を壁に打ちつけ、そのまま昏倒する。


 崩れ落ちた八田を見下ろしながら、ナナミは、困惑と怯えで荒い息をついている。


「これがマンハント……? 私のことを、殺しに……?」


 とりあえず八田を倒すことに成功した。これで窮地を脱することができたのだろうか。


「お父さん……お父さんに電話しないと……」


 震える手で、スマホを操作しようとする。


 しかし、ナナミは動きを止め、外に向けて意識を集中させた。


 車のブレーキ音が聞こえた。


 不穏なものを感じたナナミは、ドアをそっと開け、外の様子を窺った。道に、一台の車が停まっており、静かに佇んでいる。


 いったい、この車はなんだろう、と思っていると、ウィンドウが下がり、中から、ニュッとマシンガンの銃口が突き出てきた。


「うそでしょ⁉」


 慌ててナナミはドアを閉め、家の中へと引っ込んだ。直後、発砲音が鳴り響き、ドアに次々と風穴が開けられていく。ナナミは被弾しないよう、床に這いつくばり、匍匐前進しながら奥へと退避する。


 このまま屋内に立てこもるべきか、それとも裏のほうから外へ逃げ出すべきか。


(助けが来るまで、持ちこたえられるかわからない……!)


 瞬時にナナミは決断し、銃撃がやんだところで、立ち上がった。不幸中の幸い、奥にある仏間の窓は、まだ雨戸を閉めていなかった。


 仏間へと駆け込み、窓の外を確認して、誰もいないことがわかると、窓をバンッと開けて、家の中から飛び出した。


 靴下だと走りにくいので、脱ぎ捨てる。裸足になったナナミは、夜の住宅街を疾走していく。


(逃げないと! でも、どこへ⁉ どこに逃げればいいの⁉)


 最初は父のいる警察署を考えたが、ここからでは場所が遠い。


 ならば、と大通りに出て、バス停に向かう。


 ちょうど一台のバスが停まっており、客が乗降しているところだ。


「乗ります! 乗りまーす!」


 ナナミは必死になって叫びながら、飛び乗った。


 バスが発車した瞬間、ホッとして、大きくため息をついた。これで、とりあえず危険な連中をまくことができるはずだ。


 手すりにつかまって、フウ、フウ、と息を整えているナナミのことを、乗客達はいったい何事かと不思議そうに見つめている。


 ふと、ナナミは誰かの視線を感じた。


 一番後ろの席、ど真ん中に座っている金髪の青年が、くちゃくちゃとガムを噛みながら、こっちを見ている。黒のタンクトップに、迷彩柄のパンツという、見るからに暴力的な雰囲気の格好だ。


 金髪の青年は、床に向かってペッとガムを吐き捨てると、腰に付けたホルダーから何かを抜き出した。


 最初、ナナミは、相手が何を持っているのか、すぐには理解出来なかった。


 しかし、カチッと撃鉄が起こされる音を聞いて、やっと、自分に向けられているものの正体を悟ることが出来た。


 拳銃、だ。


「え……?」


 まっすぐ銃口を向けられてもなお、それが現実の光景だと認識できずにいる。


「飛んで火に入るなんとやらだぜ、倉瀬ナナミ」


 金髪の青年は嬉しそうに言い、冷たい笑みを顔いっぱいに浮かべると、引き金に指をかけた。


 ハッとなったナナミは、咄嗟に、目の前のOLがいじっているスマホを奪い取った。


「ちょっと、なにするのよ⁉」

「ごめんなさい!」


 OLに謝るのと同時に、ナナミはスマホを金髪の青年目がけて投げつけた。


「うおっとぉ⁉」


 金髪の青年は、飛んできたスマホに狙いを定めて、引き金を引いた。車内に銃声が鳴り響く。銃弾で貫かれたスマホは粉々に砕け、床へと散らばる。


 その隙に、ナナミは体勢を低くしながら、相手の眼前まで接近した。


「させるかよ!」


 二発目を撃とうと、金髪の青年は銃口をナナミの顔面に向けようとしたが、ナナミは相手の腕を掴み、拳銃の向きを逸らした。


 ドンッ、と発砲音。バスの天井に穴が空く。


 そのまま二人は揉み合いとなる。撃とうとする金髪の青年に、撃たせまいとするナナミ。それを見ている周りの客達は、銃口が自分達のほうへ向けられる度に、悲鳴を上げて、逃げ惑う。


 また銃声が響いた。


 あっ! と運転手が叫ぶ。流れ弾が、肩に当たってしまったのだ。ハンドルを握る力を失った運転手は、横にぐったりと倒れ込んでしまう。


 制御を失ったバスは、カーブを曲がりきれずに、車道を飛び出した。縁石にタイヤが乗り上げ、車体が横転する。


 衝撃が走る。


 窓ガラスが砕け散り、車体が歪み、乗客達の絶叫が響き渡る。


 ナナミは受け身が取れず、手すりに頭を強打した。フッと意識が飛ぶ。


 気が付けば、バスの外に出ていた。なんとか這いずり出たのか、バスが倒れた時の勢いで窓から飛び出したのか。


 横倒しになったバスからは白い煙が噴き出しており、周囲には何人かの乗客達が倒れている。


 ボタリ、と頭から血が垂れ落ちた。


 目が泳ぐ。このままでは危ない、と思いつつも、上手く立ち上がれずにいる。


 そこへ、カチリと撃鉄を起こす音が聞こえてきた。


「手間を取らせやがって……!」


 やはり額から血を流しながら、怒りの眼で、金髪の青年は銃を構えている。


 もう駄目だ、とナナミは諦めの境地に至った。これ以上は抵抗できない。かわすことも、防ぐことも、反撃することも難しい。


 悔しいのは、なぜ自分がこんなにも命を狙われているのか、結局マンハントとはなんなのか、あのリリィという女は何者だったのか、何もかもわからないまま、殺されようとしていることだ。


 ひとつわかっているのは、自分がこれまで犯罪者達を倒してきたことが、報いとなって現れた――ただ、それだけである。


「死ね!」


 金髪の青年が怒声を上げた、その時だった。


 突如、彼の背後に、巨大な炎の柱が噴き上がった。


「な、なんだぁ⁉」


 驚いた金髪の青年は、拳銃を炎の柱のほうへと向けて、構える。


 燃え盛る炎の中で、黒い人影が、ムクリと立ち上がるのが見えた。やがてその人影は、炎をかき分けて、表へと姿を現した。


 ガシャン。


 炎の柱の中から、一歩踏み出した瞬間、重い金属音が鳴り響いた。


 異様な出で立ちの大柄な人物が外へと出てくる。


 髑髏を思わせるフォルムのガスマスク。漆黒に彩られた耐火服を身にまとっており、その背には重たそうなタンクが二つ。タンクからはホースが伸びており、禍々しい装飾が施された火炎放射器へと繋がっている。


 全身を装備で固めているため、容姿は見えず、性別も年齢も何もわからない。


 ただ、まともな人間でないことは確かだ。


 ギチリ、と耐火服を軋ませて、ガスマスクの人物は、火炎放射器の噴射口を金髪の青年へと向けてきた。


 その佇まいは、まるで悪魔。


「お、お前は、まさか――マッドバーナーか⁉」


 金髪の青年の問いかけに、ガスマスクの人物は答えない。


 火炎放射器を構えたまま、さらに一歩、踏み出した。


 足の動きに合わせて、燃料タンクの金具が音を立てるのか、ガシャンという重厚な金属音が路上に響き渡る。


「答えない、ってことは、イエスと取るぞ!」


 その言葉にも、ガスマスクの人物は一切返事しなかった。


 つまりはイエス。


「上等じゃねえか! 倉瀬ナナミともども、お前も始末してやる!」


 金髪の青年は、ガスマスクの人物――マッドバーナーへ銃口を向けたまま引き金を引こうとしたが、それよりも先に、マッドバーナーのほうが、火炎放射器の引き金を引いた。


 ドンッ! と激しい音とともに、紅蓮の炎が噴き出す。


「ぬおっ⁉」


 咄嗟に金髪の青年は真横へ跳び、自分を呑み込まんと襲いかかってきた炎を回避した。


 ナナミもまた声にならない悲鳴を上げながら、倒れたままの身を横に転がして、火炎から何とか逃れた。熱風が吹き荒れ、肌をかすめてきた。危うく炎に巻き込まれて、焼き殺されるところだった。


「うおお!」


 金髪の青年は絶叫にも近い声を上げ、銃を乱射した。


 銃弾は耐火服を貫き、確実にマッドバーナーにダメージを与えたはずだが、それでもマッドバーナーは意に介することなく、再び火炎放射器を金髪の青年へと向けて、引き金にかけた指にグッと力を込めた。


 火炎放射器が火を噴く。


 たちまち金髪の青年は、業火に呑まれた。


「ぐあああああ!」


 絶叫を上げ、火だるまになって地面に倒れると、のたうち回り始める。


 そんな相手に対して、マッドバーナーは容赦なく、追い打ちの火炎放射を浴びせかける。炎の柱に包み込まれた金髪の青年は、ほどなくして、ピクリとも動かなくなった。


 燃え盛る焼死体を前に、ナナミは呆然としている。


 指一本動かすことが出来ない。


 自分は助かったのだろうか。金髪の青年は命を落とした。だが、まだマッドバーナーがいる。さっきはナナミのことも火炎の巻き添えにしようとしてきた。危険が去った、というわけではなさそうだ。


 ガシャン、と音が鳴る。マッドバーナーがこちらへ向かって歩み寄ってきた。


「な、なによ! やる気⁉」


 ナナミは足をよろめかせながらも、なんとか立ち上がり、ファイティングポーズを取った。自分のことを殺そうというのなら、迎え撃つまでだ、と思っていた。


 その時、パトカーのサイレンの音が聞こえてきた。


「……まあいい」


 ガスマスクの下から、マッドバーナーの声が漏れ聞こえてきた。


 若い男性の声だった。


 何が、まあいい、なのか。ナナミは問うような眼差しをマッドバーナーに向けたが、特に反応は無かった。


 直後、いきなり、マッドバーナーの全身が炎に包まれた。


 いや違う。


 全身が炎と化したのだ。


 人としての形態が崩れ去り、ゆらゆらと蠢く不定形の炎柱となったマッドバーナーは、炎の形態のまま、ゴウッと風を巻き、そのまま掻き消えてしまった。


 信じがたいものを目の当たりにしたナナミは、何も声を出せず、身を強張らせたまま、その場にへたり込んだ。


「悪魔……?」


 マッドバーナーのことは、そう形容する以外に、他に適切な言葉を知らなかった。

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マッドバーナー 逢巳花堂 @oumikado

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