第1章 マッドバーナー

第2話 倉瀬ナナミ

「ねえねえ。マッドバーナーって聞いたことある?」


 昼休みが始まった途端に、親友のエレナが、隣の空いている席に座り、突然話を振ってきた。


 ナナミは、自分の弁当箱を鞄の中から取り出しながら、かぶりを振った。


「ううん、知らない。それって、映画のタイトル?」

「いや、そうじゃないけど……」


 エレナはいったん話をやめて、ナナミの弁当箱をマジマジと見つめた。


「ナナ……よく飽きないよね、その昼飯……」


 弁当箱の中にギッシリと詰めこまれた、チキン、チキン、チキン。


 それとは別に、サラダの入ったタッパーもある。


 米やパンの類はない。どこにも見当たらない。


「筋肉は裏切らないから」


 およそ一七歳の女子高校生が発するものとは思えないセリフを吐いて、ナナミは一本目の骨付きチキンにかぶりついた。


「このタンパク質信者。たまには普通のものも食べなよ。うちがナナの分もお弁当作ってあげるって、前から言ってるじゃん」

「あはは、ありがとう。気持ちだけもらっておくね。それで? マッドバーナーって何?」

「SNSで、むちゃくちゃ話題になってるんだけど――」


 エレナは顔を寄せてきて、ヒソヒソ声で囁いた。


「――ものすごくヤバい連続殺人鬼なんだって」

「どんな殺人鬼なの?」

「なんかね、ガスマスクを付けてて、火炎放射器で人を焼き殺すらしいの」

「ずいぶんと派手な殺人鬼ね」

「怖いよね。ヤバいよね」


 およそ女子高校生の会話らしからぬ、物騒な話題。


 だが、無理もない。十年前に日本の石川県で起こった、一家焼殺事件を皮切りに、世界各地で凶悪な殺人事件が頻発している。年々、犠牲者は増加傾向にある。しかも、不思議なことに、多くの殺人鬼達は捕まっていない。


 噂がある。殺人鬼達はみんな、とある一人の青年をカリスマとして崇拝している、と。


 その青年の呼び名は『魔王』。


 十年前の一家焼殺事件において、犯人が名乗ったという名前だ。


 燃え盛る住宅に駆けつけた警官隊や、消防隊を、蹴散らし、時に惨殺して、『魔王』は一人の大男とともに消え去った、ということだ。


 ナナミはハッとなって、チキンを食べるのをやめて、顔を上げた。


「それってもしかして、十年前の『金沢一家殺人事件』の現場で、『魔王』と一緒にいた、ガスマスクの大男のこと?」

「じゃないかって、言われてるの。特徴も一緒だし、たぶん間違いないと思う」

「『魔王』の話はいまでもよく聞くけど、ガスマスクのほうは、全然知らなかった。お父さんからも聞いたことないもの」

「しょうがないよ。だって、それこそ噂レベルの話だから。しかもここ一ヶ月くらいのこと」

「そのマッドバーナーの噂って、どういうものなの?」

「現れるのは深夜。ひと気のない裏路地とかを歩いていると、突然現れて、火炎放射器で襲いかかってくるんだって」

「そんな殺し方したら、すぐニュースになりそうだけど」

「わからないけど、目撃情報もあるみたいだよ」


 そう言って、エレナはスマホの画面を、ナナミに見せてきた。ちょうどSNSの該当の動画を開いているところだ。真っ暗な夜闇の中を、何度も炎が走る。ガスマスクを着けた大男が、火炎放射器で、繰り返し、地面にある何かを燃やしている。それは、よく見れば火だるまになっている人のようにも見えるが、撮影者の距離が遠いため、画面上ではよくわからない。


「これだけだと、なんとも……フェイク動画かもしれないし」

「かもしんないよね。でも、本当の出来事かもしれない」


 それから、エレナはスマホを引っ込めると、まじまじとナナミのことを見つめてきた。


「ナナも気を付けてよ、マッドバーナー」

「へ?」

「だって、困ってる人とか、危ない目にあってる人とか、すぐ脳筋で助けに行くじゃない」

「うん、放っておけないもの」

「あんまり無茶しないでよ」

「私は鍛えてるから、大丈夫」

「そうだね、同い年の女の子とは思えないくらい」


 二本目の骨付きチキンにかぶりついているナナミを見て、エレナは引きつった笑みを浮かべた。


「とにかく、あんまり危険なことに首を突っ込まないようにね。それこそマッドバーナーみたいなのに出会ったら、命がいくらあっても足りないよ」

「あはは、平気平気。そんなド派手な殺人鬼が、本当にいるわけないってば」


 しかし、そう言いながら、ナナミの頭の片隅には「マッドバーナー」というキーワードが残り続けた。


 そんな存在がいるわけない、と思いつつも、どこか不気味な印象を抱いていた。


 ※ ※ ※


 家に帰ると、ちょうど入れ違いで、父の倉瀬泰助が外へ出ようと革靴を履いているところだった。


 ナナミは玄関のドアを閉めてから、小首を傾げた。


「お父さん、今日はお休みじゃなかった?」

「ちょっと事件があってな」

「大変だね。ご飯はどうするの?」

「戻りはだいぶ遅くなるかもしれん。外で食べるから、私の分の夕飯は作らなくていい」

「わかった。気を付けてね」


 ドアを開ける父の背に向かって、ナナミは声をかける。


 父は、外に出かかったところで、不意に振り返ってきた。


「今日はもう外に出るんじゃないぞ」

「え、どうして」

「詳しくは言えんが、このあたりを、凶悪犯がうろついているという情報だ。すでに被害者が出ている。そろそろ報道もされると思うが、先に注意しておこうと思ってな」

「私も手伝おっか」


 ナナミは、目をキラキラと輝かせた。興奮のあまり、フンスフンスと鼻息が荒くなる。


「絶対に、来るな」


 父は、厳しい口調で最後にそう釘を刺すと、家から出ていった。


 だけど、ナナミはまったく聞く耳を持たなかった。


(悪いやつがいるっていうのに、見過ごせるわけないでしょ)


 父は現職の刑事だ。その父から、これまで何度も注意を受けている。


『自警団みたいな活動をするんじゃない。お前は普通の高校生なんだぞ』


 心配するのも無理はないが、しかし、父は一つ間違えている。ナナミは、どこにでもいる、普通の女子高校生ではない。


 二階にある自分の部屋へと飛び込み、学校のバッグを、ベッドの上に放り投げた。


 それから、制服を勢いよく脱ぎ捨てて、クローゼットの中よりお気に入りのジャージを一式取り出すと、素早く着替えた。


「さ、出発!」


 颯爽と家を飛び出す。


 スマホでSNSを調べたら、すぐに問題の現場は見つかった。ナナミが住んでいる場所は都会の真ん中であり、すぐ近くに繁華街がある。そこの裏路地で、女性が刺されて死亡していたらしい。犯人はいまだ逃走中。


 とりあえずナナミは現場近くへと駆け足で向かうのであった。


 ※ ※ ※


 若者でごった返している繁華街へと入る。


 人の多い路地から、猫くらいしか歩いていない裏路地まで駆け回り、やがて大通りへと出たところで、急に、物騒な雰囲気になってきた。


 通りにはパトカーが何台も停まっている。救急車も待機している。


 大勢の人々が喚き、時には泣き叫びながら、雪崩れるように逃げ惑っている。ぶつかり合い、重なり合い、阿鼻叫喚の有り様である。


「ちょっと、ごめんなさい! 通して!」


 人混みをかき分けて、騒ぎの中心となっている場所へ進んでいくと、突然、警官が目の前に立ち塞がった。


「危ないから近寄らないで!」


 両腕を広げてガードしてくる、警官の向こう側を覗き込んでみると、フードをかぶった長身の男が、天を仰いで立っている。その手には、血塗られたナイフ。周りの路上に、十人近い人々が血を流して倒れている。呻いている人もいれば、ピクリとも動かない人もいる。凄惨な現場を目にして、ナナミは思わず息を呑んだ。


 これはただの犯罪者ではない。


 フードの男の、あの表情を見ればわかる。恍惚としている。あれは明らかに、殺人に快楽を覚える凶悪な人種。


 殺人鬼だ。


「おとなしく投降しろ!」


 父の声が飛んでくる。横を見れば、フードの男と距離を取って向かい合う形で、父は拳銃を構えて、相手を牽制している。その姿は頼もしいことこの上ない。


「やぁだね」


 フードの男は、ギョロリとした目を父に向けて、長い舌を突き出した。まるで蛇のような男だ。


「まだ祭りは始まったばかりだぜぇ。もっと楽しまねぇとぉ」

「縛につかないのなら、撃つぞ」

「やってみろよぉ」


 そう言ったつぎの瞬間、フードの男は、いきなりナイフを飛ばした。


「く!」


 父は咄嗟に身をかわし、ナイフを避けると、拳銃の引き金を引いた。銃声とともに、弾丸はフードの男の胴体に当たった。


 うぐ! と呻き、フードの男はよろめく。


 いまが好機、と見たか、父は一気に相手へ向かって駆け寄ろうとした。


 しかし、フードの男は、笑みを浮かべている。


(撃たれたのが、効いてない!)


 ナナミは、敵が無傷であることに気が付いた。おそらく服の下に防弾ベストでも仕込んでいるのだろう。多少は衝撃でよろめいたのだろうが、それだけの話だ。


「お父さん、危ない!」


 大声で叫び、行く手を塞ぐ警官の脇をすり抜け、父のほうへ向かって駆け出す。


 同じタイミングで、フードの男は二本目のナイフを投げ飛ばしてきた。目にも止まらぬ、電光石火の早業だった。


「あちょー!」


 ナナミは気合いとともに跳躍した。そして、飛んできたナイフを蹴り落とす。ナイフは、父の目の前で、カランと音を立てて地面に転がった。


「ナ、ナナミ⁉ なぜここにいる!」

「お父さん、あいつなんだね! 凶悪犯って!」

「お前は下がっていなさい! 警察に任せるんだ!」

「だって、見過ごせないもの!」

「私のことなら心配しなくていい! それよりも」


 と言いかけた父は、突然口を閉じると、ナナミの体を強引に押しのけた。


 それから、二つの指で、ガシッと空中の何かを挟み取った。


 ナイフだ。まだフードの男は、凶器を持っていたらしい。背中を向けていたナナミに向かって、三本目を投げつけてきたのだ。


「素人の出る幕ではない! 帰りなさい!」

「なによ! お父さんに助けられなくても、いまのナイフ、ちゃんと気が付いてたもん!」


 そんな言い合いをしている間に、フードの男は、四本目のナイフをどこかから取り出し、こちらへ向かってにじり寄ってくる。


「なによ! やる気⁉」


 ナナミは地面を蹴った。


 あっという間に、フードの男の懐へと潜り込み、その脇腹に拳打を叩きつける。やはり防弾ベストを装着しているのか、拳に鈍い痛みが走る。それでも、ナナミの拳打のパワーはすさまじく、相手に少なからずダメージを与えたようだ。


「ぐっ⁉」


 フードの男は呻いて、体勢を崩した。


 だが、いまだにナイフを手に持っている。


「油断するな、ナナミ!」


 父も駆けつけながら、注意の声を発してきた。


 もちろんナナミはわかっている。フードの男は、やられっぱなしで終わるような敵ではない。


「シャアッ!」


 鋭い声とともに、フードの男はナイフを振ってきた。


 その手を、ナナミは思いきり蹴り上げた。


 ナイフは弾かれ、クルクルと回りながら、宙を飛んでゆく。


「くそ!」


 もう新しいナイフはないのか、フードの男は毒づいて、素手でナナミに襲いかかろうとする。


 そのこめかみに、ナナミの後ろ回し蹴りがヒットした。


「がはっ⁉」


 よろめくフードの男。


 そこへ、父が飛びかかり、相手の手を取ると、しなやかな動きで腕をねじり上げ、そのまま足を払って投げ飛ばした。地面に叩きつけられたフードの男は、呻き声を上げる。父は相手の上に乗っかり、体を押さえこんだ。


「確保!」


 怒号とともに、父は手錠をかけた。


 たちまち、警官達はフードの男に群がり、一斉に身柄を拘束した。無理やり起こされたフードの男は、ふてくされた表情で、おとなしくしている。


 ふと、ナナミは、フードの男と目が合った。


 ニヤリ、とフードの男は笑う。


「次に会ったら、切り刻んでやるよぉ」


 その頭を、警官の一人がはたいた。さっさと歩け! と怒鳴る。フードの男は、自分が捕まったことを気にする様子でもなく、ヘラヘラと笑いながら、警察に連行されていった。


「……さて」


 ひと段落ついたところで、父は、ナナミのことを睨みつけてきた。


「なぜ言いつけを守らなかった。説明してもらおうか、ナナミ」

「悪いやつを放っておけ、って言うの?」

「それを何とかするのが警察の役目だ。お前は普通の高校生だと、何度も言っているだろう」

「私、鍛えてるもん」

「これまではたまたま運が良かっただけだ。いつか、大変な目にあうぞ」

「お母さんみたいに……でしょ?」


 ナナミの言葉を受けて、父は凍りついた。口を閉ざして、静かに怒りを示している。


「……それを言うのか」

「わかってるんだから。お父さんが私を止める理由。お母さんみたいになってほしくないから、私のこと、危ない場所には近寄らせないようにしてるんだよね」

「もういい。何も言うな。今日は説教をする気も起きない」


 父はナナミに背を向け、歩き出したが、すぐに立ち止まり、ボソッとつぶやくように言った。


「お前の口から、その話は聞きたくなかった」


 そして、パトカーへ向かって、スタスタと歩き去っていった。


「なによ……急に怒っちゃって」


 残されたナナミは、物好きな一部の野次馬に声をかけられつつも、それらをすべて無視して、憮然とした表情で、父の後ろ姿を見送るのであった。

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