第2話
その日、神聖ローマ帝国軍駐屯地は珍しい客人を迎えていた。
王都の方から出入りするのはほぼ業者である。食材やら道具やら物資やらを駐屯地に運び込む。それかすでに完成間近の建設中の北の騎士館の作業員。そのくらいだ。客人は、ほぼいない。
あちこちに竜がいるなどと聞けば好奇心で見に来る人間がいそうだが、主にフランス方面からだろうが非常に凶暴で恐ろしい生き物、空から降って来て直接人間を押し潰して殺すらしいなどとヴェネトの貴族たちは聞いているらしく、また、最初からヴェネト王妃が毛嫌いしたことから、あんなものに関わって王妃に睨まれては敵わんと、そういうことでほぼ神聖ローマ帝国駐屯地は、ヴェネトにおいて最も辺境に追いやられ、いないもののように扱われていた。
しかし彼らからすると街の人間が紛れ込んで怪我などされ、責任問題にされても嫌なので、丁度良かった。
駐屯地の入り口にはフェルディナントの命令で必ず見張りが複数立っている。
今日は二人いた。
比較的その日は朝から穏やかだったので、談笑しつつ立っていると、向こうから馬車がやって来た。荷馬車はよく通るが、人を乗せる馬車は珍しい。この地に馬車でやって来る人など、礼拝をするために来るミラーコリ教会の神父か、今は馬や馬車で移動するようにしているネーリ・バルネチアくらいしかいなかった。
馬車が少し前で留まり、そこから深い緑色のドレスの令嬢が降りた時、見張りの二人ははっきりと、きょとんとしてしまった。
可憐な令嬢なら多分、ヴェネトで一番訪れたくない場所がここだろうという自覚がある彼らは目を瞬かせたが、令嬢を来させるより、先に自分たちが近づいて行った。
「あの……どうなさいましたか?」
道に迷ったのかなとも思いたいところだがこんなヴェネトの北の端まで来て道に迷ったも何もないだろう。
しかしご令嬢ということは、城に関係しているかもしれない、王妃関係か? と彼らは少し緊張した面持ちで馬車から降りた令嬢に話しかけた。
「突然訪問して、申し訳ありません。私、アデライード・ラティヌーと申します。
今ミラーコリ教会の方から来たのですが……こちらにネーリ・バルネチア様はいらっしゃいますでしょうか? 教会に飾っている絵のことでご相談があって、参りました」
絵のこと……と二人は顔を見合わせ、数秒後、依頼だと気付いた。
「お知り合いですか?」
「はい。以前ご挨拶させていただきました。私の兄とも、お知り合いですので、名前を出していただければ分かっていただけるかと」
「そうですか。ではこちらにご案内……」
ご案内しようとした一人を、もう一人が肘でつつき、首を振った。
ハッと彼は気付く。竜を見かけて御令嬢に失神でもされたら大変である。
「では、今取り次いで参ります。馬車で少しお待ちください。この駐屯地には竜がおりますので、ネーリ様に来ていただきましょう」
「お手間を取っていただき、申し訳ありません」
一人が慌てた足取りで、駐屯地の中へと入って行った。
風が冷たいので、残った騎士が馬車にアデライードを戻らせ、側で待った。
十分ほどして、ネーリがやって来た。
「ネーリ様」
アデライードがもう一度馬車を降りる。
ネーリは軽く駆けてきて、明るく笑ってくれた。
「アデライードさん。お久しぶりです」
「お久しぶりです」
握手しようとして、自分の手が緑や青や黄色であることにネーリが気付いた。
「ごめんなさい。握手すると色が付いちゃいますね」
アデライードは朗らかに笑う。
「構いませんわ。私もよくお料理で小麦粉や粉糖を使うと指先が真っ白に。まあ、今も作業しておられましたのね。忙しい時に参って、申し訳ありません」
「全然大丈夫ですよ。来てくれて嬉しいです」
「実は兄からこれを預かって参りました」
アデライードが手紙を渡すと、ネーリがその場で中の文を取り出す。彼女は文の内容をすでに知らされていた。ネーリの都合がつく時に、ラファエルの邸宅に来てほしいという内容だった。訪問日時が決まれば、それをアデライードが城にいるラファエルに伝えることになっている。
「今日この後でも僕は構わないけど……ラファエルは今お城にいるって書いてあるから、そうなるとバタバタしちゃうのかな……。明日の夕方はどうでしょうか?」
アデライードは嬉しそうに頷く。
「では、兄にそのように伝えますわ。私、またお食事を作ってお待ちしております」
ありがとう、とネーリが笑ってくれた。
ふと、彼の後ろに目をやる。
「あら?」
駐屯地の入り口から、ひょこ、と顔だけ覗かせている。ネーリは吹き出した。
「フェリックス。気になってついて来たの?」
「まあ……なんてこと」
アデライードが言葉を失ったので、あっ、怖かったかな……とネーリが一瞬心配したのだが。
「ネーリ様の後ろをついて回っていると聞いていましたが、本当でしたのね? 私、竜など初めて見ます……こんなに大きいとは。でも……少しこちらを覗いて見てますわ。可愛らしい。こんにちは」
そんな風にフェリックスに優しく笑いかけたアデライードに、ネーリは目を丸くしてから、楽しそうに笑った。
さすがラファエルの妹さんだなあ。
キラキラしてる、この目がよく似てるよ。
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