5食目 異世界にアジが存在したので、『鯵の漬けそうめん』作りました

第1話「初めて目にするものすべてが、こんなにも美しく見えるなんて」

「体、痛っ!」


 無意識に同じ姿勢を保ちながら絵を描いていたせいで、肩と腰には重たい痛み。

 関節は音を立てて、悲鳴を上げた。


「同じ態勢で作業してるからだろ」

「だって、楽しいんです! 手が止まらないんです!」

 

 時間の進みすら気づかぬまま絵を描くことに没頭していたけれど、体が言うことを聞かないくらい凝り固まっていることに気づいたときには既に遅し。


「だからって、限度があるだろうが……」


 アルカさんのお店は、朝の四時から午前十時までの営業。

 アルカさんとしては夜営業もやりたいらしいけど、体が駄目になるということで夜は休業。基本的に午後は、自由な時間が与えられている。

 与えられているからこそ、私は空いている時間に同じ態勢で絵を描き続けてしまった。


「俺が、なんのために夜営業をしないかって……」

「健康のため、ですよね」

「それを分かってて、自分の体は大切にしないんだな」

「楽しすぎて……」


 さっきから、同じやりとりが繰り返される。

 夕飯の時間になるまで、一切ストレッチを行うことなく同じ態勢で絵を描き続けたら体は異常なまでに悲鳴を上げてしまうのは想像できる。

 それでも異世界に転生した私は、視界に入るすべてのものが新鮮すぎて、なんでもかんでも絵に残そうと右手を動かす日々が続いていた。


「腱鞘炎になるぞ」

「気をつけます……」


 アルカさんの言葉は辛辣だと思うときもあるけど、労いのホットチョコレートを差し入れてくれるところに優しさを感じる。

 絵を描いて、お金をいただいているわけではないけど、疲労感の溜まった体にホットチョコレートの甘さが染みわたる。


「っ、屈伸すら厳しいなんて……」


 自分の体が自分のものではないかのように、体が動かし辛くて仕方がない。


「こんなにも、自分の体を自由に動かせないなんて……」


 人間の体は、好きを極めるだけでは生きていけないようにできているらしい。


「体動かすついでに、買い出し付いてくるか?」

「あれ? アルカさんは……」

「アルカの仕事は、仕入れ。俺たちの夕飯分の調達までは頼んでない」

「あ、なるほど……」


 もう何度もディナさんのお店兼ご自宅で夕飯を食べてはいるけど、夕飯の食材はアルカさんが買ってきていることに初めて気づいた。


「今日は、何食べるかな」

「ディナさんが作るものなら、なんでも食べますよ」


 本当は、これが食べたいです。

 あれが食べたいですと言葉にした方が、ディナさんが助かるのはなんとなく想像できる。

 でも、相変わらず私は自分が何を食べたいのか、口にすることができなかった。


(前世は、食にまったく興味がなかったからなー……)


 食に興味がなかったことはアルカさんも気づき始めてはいるだろうけど、食に関心がないということはアルカさんとの会話が続かない。

 会話のキャッチボールというものを楽しむことができないということ。


「あ、畑から収穫した野菜なら、たくさんありますよ」


 ドンナヴィという少々発音し辛い隣町へと徒歩で移動しながら、私は私なりにディナさんに話題を提供できるように心がけた。


「今の時期なら、たけのこが美味そうだな」

「たけのこご飯! まだお店で、出したことないですよね!」


 現代日本と異世界に共通の食材があるおかげで、私はディナさんとの会話を楽しむことができた。


「畑に、たけのこあったかな……?」


 異世界では魔法が使えるため、畑で育てる食べ物の成長速度は想定を遥かに超えていた。

 木魔法や土魔法を駆使することで、現代日本では食べられる状態になるまで何十日もかかりそうな野菜があっという間に育ってしまう。


「たけのこが美味いのは分かるんだが、店では使えないんだよな」

「禁じられた食材とかですか?」

「ふっ、その発想、面白いな」


 堅物な印象を与えるディナさんだけど、こうして時折見せてくれる笑顔は見惚れてしまうほど美しくて困ってしまう。

 さすが西洋風の世界観に馴染む金色の髪色とか、青色の瞳とか。

 前世とほとんど変わらない外見の私からすれば、憧れてやまない容姿をディナさんはお持ちだった。


「そうじゃなくて、たけのこは鮮度が命なんだよ」

「鮮度……まるで、魚介類みたいですね」

「辺境の地から、店までたけのこを運んでる間に、たけのこの鮮度はどんどん落ちる」

「はぁ、なるほど」


 初めて聞く、たけのこ情報に感嘆の声が漏れ出てしまう。


「もちろん魚と違って食べられなくなるわけじゃない。でも、採りたてのたけのこと鮮度が落ちたたけのこは、味の差が歴然」

「今まで気にしたことがなかったです……」


 ドンナヴィと呼ばれる隣町に近づいてきているのか、耳を澄ませると遠くの方から活気ある声が飛び交っているのが分かる。

 初めて訪れる街なのに、買い物に不自由しなさそうな空気が漂ってきて、今日のお夕飯への期待が更に高まっていく。


「魚のように、氷魔法で鮮度を維持してみるのも難しいってことですか」


 氷魔法があるおかげで、私は異世界でも生魚を食することができている。


「たけのこを凍らせると、食感がまったく別物になるんだよなー……」

「食感は大事ですね……」


 前世でアニメやゲームに親しんできた私にとっては、魔法は万能の力だって妄想を働かせがち。

 でも、魔法にもできないことはあるっていうのが現実ということらしい。

 こういう日常生活に魔法を応用していくのは、まだまだ研究が必要ということかもしれない。


「でも、そうだな」


 私の予感は的中して、ドンナヴィと呼ばれる街は様々な店が立ち並ぶ盛況な街だった。

 海外のマルシェを思い起こすような市場の造りになっていて、まるでフランス観光に来ているような気分。

 異世界であっても、こうして前世との繋がりが感じられるのはなんだか嬉しい。

 

「今日の夕飯、明日、店で出してみる」

「え、試作の時間がないですよ?」

「旬の食材の話をしてたら、食べてみたい料理が浮かんだ」


 顔面に魅力が詰め込まれているディナさんは綺麗な笑顔を披露して、市場の人混みの中へと紛れて行った。

 ドンナヴィを初めて訪れる私を一人残していくところがディナさんらしくて、私も私で初めて訪れた街を満喫させてらうことにした。

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