第2話「異世界転生をしたからこそ、巡り合えた感情」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………あの、クラリーヌ様っ!」

「どうかなさいましたの?」


 声を荒げることで、クラリーヌ様はようやく反応を返してくれた。


「あの……そんなにじーっと見ていても、何も楽しいことは起きません」


 別に、ただ畑を耕しているわけではないけれど。

 耕した畑には種を撒いたり、苗を植えたり、肥料や水を与えたり、それはそれは農民らしい活動に時間を費やしているけど、人が見ていて楽しくなるようなイベントなんて発生しない。

 クラリーヌ様にとっては、なんてことない農民の一コマにしか過ぎないはず。


「そんなことはないわ」

「お世辞は、ありがたいですけど……」

「ヘブリックの農地が、農作物でいっぱいになる風景を想像すると……少し感動するなと思っていたところですわ」


 凄く綺麗な笑顔だと思った。

 さすがは、お嬢様。

 こんなにも若いうちから、こんなにも綺麗な笑顔を浮かべられるなんて、私とは育ちが違い過ぎて距離を置きそうになってしまう。

 でも、私からクラリーヌ様との距離を開いてしまったら、きっとこのクラリーヌ様から笑顔が失われてしまうってことが分かるようになってきた。


「クラリーヌ様の笑顔……素敵です」


 多分、それは、私が異世界に来たときから、ずっと優しい笑顔を浮かべてくれているアルカさんのおかげ。

 ずっと私に優しさを注ぎ続けてくれるアルカさんが傍にいるから、私は相手のことが分かるようになってきたんだと思う。


(思ったことを相手に伝えるのって、こんなに勇気の要ることだったんだ……)


 異世界に来てから、初めて知ることが多すぎる。

 異世界に来てから、初めて経験することが多すぎる。

 話し相手がいるという幸福な時間を過ごすと、クラリーヌ様との別れが近づいていることを寂しく思ってしまう。


「ありがとうございますですの、ミリ」


 こうして日々を進めていくうちに、私はクラリーヌ様の声を覚えていく。

 アルカさんの声だって、ディナさんの声だって、みんなの声を記憶していく。

 大切が増えていくってことが、凄く嬉しいって心が叫んでいくのを感じる。


「じゃあ、私は行きますね」

「リーヌ」


 私とクラリーヌ様のやりとりを見守っていたアルカさんが、ここでようやく声を出してクラリーヌ様を呼び止めた。


「明日の朝、ご飯、食べに来てよ」

「サンレードの街は遠すぎますわ」

「ううん、集合場所はここ。ミリちゃんが借りてる畑」

「…………」

「ミリちゃんと一緒に食事しようってお誘い」


 アルカさんは、明日の予定を決めていく。

 それは一方的な約束のはずなのに、不快感なんてものは生まれてこない。


「宜しいの?」

「もちろん」


 想像もしていなかった展開が訪れて、私の思考は完全に停止する。

 どんな言葉を挟んでいいかも分からなくなって、ただただアルカさんとクラリーヌ様のやりとりを見守るっていうかっこ悪い状況。


「よろしくお願いしたいですわ」

「だって、ミリちゃん」


 アルカさんは、私が抱いた寂しいっていう気持ちに気づいたのか。

 もっとクラリーヌ様とお話がしたいなんて口にしていないはずなのに、アルカさんは私の願いを叶えるために行動してくれる。


「あの……こちらこそ、楽しみにしています!」


 やっと出てきた言葉は、そんなもの。

 でも、私が言葉を発すると、クラリーヌ様は再び素敵すぎる笑顔を浮かべてくれた。

 去り際の美しさ、立ち居振る舞いすべてがお姫様っぽくて、年下の地主様に心がときめくような幸福感を得る。


「異世界のお金持ちの人って、こんな庶民の食事を口にできるわけありませんわ! って言わないんですね」

「それ、リーヌの物真似?」


 あまりに物真似が下手すぎたのか、アルカさんは盛大に吹き出して私を見て笑った。


「お金持ちもいろいろだよ。ミリちゃんが言うように、そういう人たちもいる」


 アルカさんの笑いが落ち着くように、アルカさんの背を擦ろうと思った。けれど、土で汚れた自身の手に気づいて、背中に伸ばしかけた手を引っ込めてしまった。


「……ミリちゃん?」

「あ、えっと……」


 さっきまで愛情込めて触れていた土だけど、今は相手を汚すことしかできない。

 アルカさんは私に優しくしてくれるけど、私が育てている田畑にも愛着を持ってくれるかと言ったらそれは別。


「……アルカさんは宿屋に戻ってください」


 太陽が沈む時間帯で、良かった。

 このまま辺りが暗くなれば、アルカさんに顔を見られないままお別れすることができるから。


(農民は、身分の高い人とお付き合いしてはいけない)


 土に塗れた自分の姿を見て、そんな風に自分のことを戒める。

 悲劇のヒロインぶっているって言われるかもしれないけど、それが事実だってことを物語の読者なら誰もが知っている。


「少し休憩しようか」


 街灯と呼べるような明かりすらない場所で、アルカさんは私の顔を伺うように優しい笑みを浮かべて覗き込んでくる。心もとない月明かりと星明かりなら自分の表情を隠すことができると思っていたのに、アルカさんは私に逃げ場をくれない。


「行こう」


 あなたの隣に農民がいたことなんて忘れてくれて構わないのに、アルカさんは私の手を優しく掬い上げる。


「あの、手、汚れちゃいますから!」

「大丈夫」


 手を、繋ぐ。

 現実では決して起こることのない、物語のような展開が私を手招く。


「アルカさん……ありがとうございます……」


 アルカさんとの時間を、もっともっと独占したい。

 アルカさんと、友達になりたい。

 それで、それで、それで、こんな風に、たくさんお喋りしていきたい。


「アルカさんのおかげで、こんなにも元気が出てきちゃいました!」


 足を止める。

 そして、頭の上を撫でてくれる優しくて大きいアルカさんの手の存在に気づく。


「……ほんとに大丈夫?」


 少女マンガの一ページで、こんなシチュエーションを見かけたことがある。

 アルカさんは少女マンガを読んだことないだろうけど、女の子の憧れをこんなにも簡単に実現してくれるアルカさんは私にとって最高の王子様だと思う。


「はい、心が温かいですよ」


 世の中の女の子が、好きな人にされると嬉しい動作として頭を撫でるって動作を挙げてくる理由が分かるような気がする。

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