第2話「異世界転生したところで、私は戦う力を持たない一般市民」
「次の方、どうぞ」
前世での絵を描く技術は引き継がれたものの、自分の食くらいはなんとか確保したい。
そう思った私はアルカさんに案内されてギルドへとやって来たけれど、初めての異世界生活は何をやるにしても緊張が体の中を駆け巡る。
「いい土地が借りれるといいね」
「行ってきます!」
意気込みを掲げて、いざ受付へ。
そう思ったけれど、心臓が嫌な汗を掻き出したことに気づいた。
たかが異世界の市役所的な場所を訪れるだけと言い聞かせながら、心臓を落ち着かせていく。
「すみません、土地を借りたいのですが……」
今は、少しでもいい田畑が巡ってくるように祈るのみ!
集中しよう。
この異世界という場所に、私は溶け込んでみせる!
「国民全員に配布された、個人番号証明書を提出いただけますか」
私は、どこで生まれた誰なのか。
異世界転生で路頭に迷わないようにという心遣いのおかげか、私は個人番号証明書と呼ばれる書類を手にして転生してきた。
(会ったことはないけど、一応は両親がいるってこと……)
結婚の挨拶でもなんでもないのに、いつかは両親に挨拶に行かないといけないのかもしれない。
受付の人が戻って来るまでの間、会ったことのない両親のためにお土産話をたくさん用意しておこうと妄想を繰り広げてみた。
「ありがとうございます。ミリ様にお貸しできる土地は……」
正直、異世界の土地の名前を出されても分からない。
受付の人の言葉を記憶して、アルカさんに伝えよう。
そう思ったのだけど……。
「辺境の地ヘブリックの畑になります」
「……え?」
「辺境の地ヘブリックの畑になります」
辺境の地。
言葉の響きだけは恐ろしいものを感じるけれど、言葉の意味を考えると私には地方の土地を貸してくれるということ。
「もう一回、お願いできたら嬉しいのですけど……」
「えっと……辺境の地ヘブリックの畑になります」
私がもう一度、尋ねたのには理由がある。
戦う力を持たない人間が、辺境の地まで行って農業をするんですか?
異世界に来て早々、ギルドの意地悪さに驚かされる。
「え? いや、え?」
「ですから、辺境の地……」
「聞こえています! 聞こえています! けど……!」
私の事情なんて、国は知ったこっちゃない。
そう言わんばかりに、私の服装は体操着っぽいものから農民らしき衣服へと変化を遂げた。
ゲームの世界みたいって思っていたら、受付の人は魔法仕様ですと答えをくれた。
(ああ、うん、そういう展開……)
この基本服に、これから装備を足していって、充実した生活を送れということらしい。
農民風の衣服だけど、農民にもモンスターを倒す力の一つや二つ……。
「そんなわけないですよね!」
「ミリちゃん? 大きな声を出してどうしたの?」
「アルカさん! 私、剣も魔法も使えません!」
モンスターと戦う力も持たない私が、どうやって辺境の地へと向かえばいいのか。
モンスターはみんな心優しい設定があったとしても、野盗とか悪人と遭遇したときに、どう対処すればいいのか。
「さすがはミリちゃん……数多くの土地から、辺境の地を引き当てるなんて……」
「アルカさん、笑いが堪えきれていませんよ……」
慌てふためく私に対して、アルカさんは堪えきれない笑いを零した。
どんなときでも明るくいられるアルカさんをかっこいいと思う自分がいるものの、今はアルカさんに尊敬の気持ちを抱いている場合じゃない。
「ごめん……そっか、辺境の地か……」
ちなみに、まだ私は笑われています。
「そんなに笑うアルカさんは、今日のディナさんのご飯は抜きですよ……」
「ごめん、本当にごめん」
自分が持っている運なんて、所詮はこんなもの。
現実世界での農業は人々に農作物という名の食べ物を届けるという重要な役割を果たしているけれど、異世界で私が農業に勤しんだところで、それはバッドエンドに繋がると容易に想像がついてしまう。
畑に辿り着く前に、私はモンスターの餌となるでしょう。
「いいじゃん、ディナに内緒でデートもできて」
「デ、っ」
「でも、そっかー……」
私がデートという言葉をオウム返しする前に、アルカさんは何やら思案し始めた。
「多分だけどね、水撒きとか草刈り程度の魔法ならミリちゃんでも使うことができるよ」
「水撒きの水と、草刈りでモンスターと戦えと?」
「うん……」
ちなみに、アルカさんの笑い声は止まるという言葉を知らないらしい。
「自分の食料くらい、自分で確保できたらと思ったのですが……」
辺境の地ヘブリックが、どこにあるのかすら分からないけれど。
大事なのはディナさんのお店を盛り上げること。
自分の食料が確保できてもできなくても、私とアルカさんはディナさんに協力したい同士。
ディナさんと私は店長と、ただの雇われ絵描きという関係なのは変わらない。
(私が野垂れ死んだとしても、ディナさんには関係がない……)
自分の死を実感すると、まだ会ってもいない両親に会いたくなってしまうのは気のせいか。
「俺も付き合うから、一緒に頑張ろう?」
昨日今日会った仲でしかないのに、アルカさんはとても親切な性格をしている気がする。
異世界で路頭に迷いかけている私に対して親切すぎて驚かされる。
(……なんとか詐欺じゃないよね?)
絵を描くくらいしかできない私に、どうしてこうも親切にしてくれるのか。
その理由を聞きたい気もするけど、詮索されるのが苦手の人もいる。
口が上手く動かなくなってしまって、私はアルカさんの笑顔を見つめることしかできなくなってしまった。
「さすがにポンコツミリちゃんをダンジョンには連れて行けないけど、辺境の地に畑を耕しに行くことくらいなら手伝えると思うから」
「……頑張ってもいいですか?」
「うん、俺にも応援させてよ」
「ありがとうございます……」
私という存在は、アルカさんのことを確実に困らせている。
昨日今日の関係で終わらせるはずだった私と、これからも頻繁に会わなければいけないなんて他人からしたら嫌なはず……。
(嫌……?)
物凄く都合のいい考えが浮かんできてしまった。
アルカさんの提案は、これからも私と会ってくれるということ。
アルカさんは、私のことを嫌っているわけではない。
そんな都合のいい解釈は、私に勇気という名の力を与えてくれる。
絵も描いて、畑も豊かにして、私なりに楽しい毎日を送ることだって可能。
異世界には無限の可能性が待っているということを、アルカさんが教えてくれる。
「これからも……仲良くしてくれますか?」
「もちろんっ!」
白い紙と筆記用具。
それが、学生時代の私の友達だった。
異世界に文化祭や体育祭に替わるものはないけど、何ひとつ学生時代の思い出が残っていない私に訪れた再青春のチャンス。心が浮かれないはずがない。
「まずは、水撒きと草刈りができるようにならないとだね」
「ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
「堅っ、ミリちゃん、堅すぎだから!」
なんだか恥ずかしい。
何が恥ずかしいかは分からないけど、何が恥ずかしいか分からないからこそ羞恥の感情が煽られていくのかもしれない。
穴があったら入りたいなんて言葉があるけれど、穴に入るよりも前に湧き上がってくる感情がある。
泣いてしまってもいいですかって問いかけたくなるくらい、熱いものが心の中を支配してくる。
「俺が借りている畑で、魔法の練習からかなー」
こんなに幸せでいいのかな。
こんなに幸せで、後々に大きな不幸がやってくるとか絶対に嫌だ。
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