2食目 初めての異世界農業は、『温たまトマトリゾット』と共に

第1話「食料調達と初ギルド」

「ディナートさんのお店のメニュー表を作ります!」

「メニュー表?」


 私が転生してきた世界では絵を描くための道具はあっても、写真は存在しない。

 活版印刷と呼ばれる技術を用いて活字を楽しむことはできるけど、まだ印刷機の文明は存在しない。

 そして、食品サンプルも存在しない。


「ディナートさんのお店で、どんな料理が食べられるのか……」


 ということは、お品書きを用意したところで、それがどんな料理を示すのか想像を膨らませることができない。

 未知なる食べ物に対して、想像を膨らませるというのも楽しみと言われたら楽しみとも言えるけど。


「私が、料理を紹介するための絵を描きますということです」

「うん、うん! ミリちゃんの画力なら、間違いなく行列のできる飲食店になれると思うっ!」


 私が爆睡している間に、ディナさんが作ってくれた『生姜と貝柱入りのかきたまうどん』のポスターはお店の外へと飾られていた。

 広告というものの効果は覿面らしく、ディナさんのお店は連日『生姜と貝柱入りのかきたまうどん』を求めるお客様で溢れ返っていた。


「まあ……あれだけのものが描けるなら……」

「だよね! ミリちゃんを頼らずに、あれだけの絵が描ける人を雇うのって、すっごく大変だと思うよ」


 アルカさんの言葉を受けて、絵を描く技術というものに価値がありそうなことを悟る。


「寝る場所とご飯をいただけたら、なんでも描きます! 何枚でも描けます!」

「…………」


 お店の売り上げが爆上がり中のディナさんは、私に向ける視線がほんの少し優しくなったような気もする。


「絵が描ける人って、大体お金持ち連中のお抱えか、田舎で自由気ままに創作をやる人ばっかりだよ?」

「私、とてもお得な人材ということですよね!」


 図々しいお願いだというのは、百も承知している。

 でも、一円も持たずに始まる異世界生活。

 なんとしてでも、寝る場所と食べる物を確保したいと思うのが人間だと思う。


「ほーら、ミリちゃんにお願いされてるよ?」

「…………」


 ディナさんが、ほんの少し優しくなった。

 だからと言って、出会ったばかりの赤の他人に寝床と食べる物を提供するほど世の中は甘くない。


「買い出しから、アルカさんのお手伝いまで、なんでもやりますから!」

「…………」

「賃金はいらないので、寝るところと食べる物をどうか……」

「ねぇ、ディナ。ちょっと頑固すぎるんじゃない?」


 アルカさんは、まるで人格が砂糖でできあがっているんじゃないかと思うほどに優しい。

 優しすぎて、いつか悪い人に引っかかってしまいそうな危うさすらある。


「何が気に入らないの? 言葉にしないと、ミリちゃんだって困っちゃうよ」

「アルカさん、ありがとうございます。ディナートさんの信頼は、これから得ていく予定なので……」

「俺が言いたいのは……」


 アルカさんの優しさに礼を述べていると、あんなにも頑なに口を閉ざしていたディナさんの声が聞こえてきた。


「ちょっと、ディナ。もう少し大きな声で言ってもらわないと聞こえな……」

「俺が言いたいのは!」


 大変珍しく、ディナさんが大きな声を上げる。


「男女が一つ屋根の下で暮らすっていうのは……」

「……昨晩、泊めていただきましたが?」

「ディナ、ちょっと気にしすぎじゃない?」

「な……」


 私もアルカさんも、色恋に対して鈍感というわけではないと思う。

 私たちが、ここまでディナさんに信頼を置いている理由。

 それは、私たち共通の目的がディナさんの店を盛り上げることだから。

 ディナさんのお店が盛り上がることなくして、私たちの関係は先へ進むことも後に下がることもないのだから。


「ディナの許可も取れたところで、俺は食材調達に行ってくるね」

「あ、私もお供します!」

「ゆっくりしててもいいよ?」


 私を気遣ってくれるアルカさんの気持ちは嬉しいけれど、私には店を一刻も早く去りたい理由がある。


「調理のお手伝いをするなら、調達のお手伝いの方がまだ……」


 一人で私の身の安全のことを考えてくれた、ディナさんの顔を見ることができないから。

 そんな私の気持ちを、アルカさんは丁寧に察してくれる。


「ああ……、なるほど……」

「ということです……」


 男女が一つ屋根の下で暮らす云々の話を無視されたディナさんの視線は、再び鋭いものへと変化してしまった。


「ミリちゃん、足、痛くない?」

「大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます」


 初めての異世界生活に溶け込むだけでも莫大な勇気を要するのに、次から次へと新しい展開が訪れていく。


(心臓がいくつあっても、きっと足りない)


 それだけ大きな出会いと経験が、前世で人間として未熟だった私を出迎えてくれる。


「ここがギルド……」

「冒険者でもないと、なかなか縁がないよねー」

「アルカさんは冒険者……ですか?」

「職業的には、そうなるのかな」


 アルカさんに案内されてやって来たのは、ワーズという名前の街に置かれているギルド。

 ちなみに、ディナさんの店が置かれている街の名前はサンレード。

 サンレードは小さな田舎町みたいな雰囲気のある、飲食業が盛んな街。

 つまり、食べるところに困らないのがサンレードの特徴でもある。

 激戦区と呼ばれる場所に、ディナさんのお店はある。


「剣……は持ち歩かないんですね」

「食材を捌く用の包丁は持ち歩くけど、基本は魔法。剣とか弓とか持ち歩くのって、結構面倒なんだよねぇ」


 マンガやアニメ、ライトノベルに親しみのある世界を生きてきたせいもあって、剣や弓を持ち歩くのが面倒という発想がなかった。


「確かに、いざモンスター? 食材? と戦うときに身軽でいたいですよね……」

「魔法が効かない敵もいるけど、大抵は魔法でなんとかなっちゃうからねー」


 現実のファンタジー世界を生きてみると、物語の世界とは少し違うということを学ばせてもらう。


「クエスト! とにかく金になるクエストを紹介してください!」

「引っ越しの手続きをお願いします」


 初めての異世界生活で何をどうしたらいいのか分からずにさ迷っているように見える人たちもいれば、私が生きてきた世界の市役所的な役割をギルドに託す人たちもいた。


「お願いします! 死んじゃいます! 助けてください! 明日食べていくものがないのですよー……」

「大丈夫ですよー、困っている人をなんとかするのがギルドですからねー」


 この世界を生きる人々と言葉を交わさなくても、視界と聴覚が拾いあげる情報は私に初めての地というものを教えてくれる。


(いや、市役所的存在も間違ってはないけど……)


 困りごとは、なんでもギルドが引き受けてくれる。

 ファンタジー世界では定番のギルドが、現代日本でいうところの市役所的なものへと変貌していて少しがっかり感があるのは否めない。

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