第2話 転校生は突然に

 暦の上ではもう秋なのに、残暑は容赦なく世界を焦がしている。

 古びた校舎のオンボロ冷房では力不足で、大して冷えない癖にやかましい稼働音のせいでむしろ余計に暑苦しく感じてしまう。

「あづーい」

「ほら、みっともないよ」

 隣の席で死んだ蛙のように机の上にのびている日菜のことをパタパタと下敷きで扇いであげる。

「うぅ、だって夏が悪いんだよ。こんなに暑いなら夏休みを伸ばしてくれても良いのにねえ」

 その提案には全力で同意したいところだけど……。

「もう二年生でしょ。子供みたいなこと言ってないでさ」

「中学生は子供だよー」

 日菜は間髪入れずに減らず口を叩いてくる。

 もしかして思いのほか元気だな?

「先生もそろそろ来るだろうし、あんまりだらしないと目をつけられて授業で当てられるよ?」

 時計を見ると既にSHRショートホームルームの時間になっている。

 真面目な担任が遅刻している理由は分からないけれど、とにかくいつ来てもおかしくない。

「うぅ。みなちゃんのいけず」

「はいはい。日菜ちゃんと違って私は真面目だからね」

 恨みがましい目をしながら日菜がゆっくりと体を起こす。

 このクラスの担任は日菜の苦手な英語の教師だから、どうやら効き目は抜群だったみたい。

 そういえば、冗談とはいえ『ちゃん付け』で呼び合ったのはいつぶりだろう。小さい時はそうだったけど、気づけばお互い呼び捨てになってたんだよね。

「はーい、着席」

 考え事をしていると教室の扉が開き担任が現れた。ざわめいた教室が少しだけ落ち着きを取り戻す。

「えー、これから始業式のため体育館に向かいますが。その前に一つ、皆さんにお話があります」

「なんだろう? バトルロワイヤルかな? あいたっ」

 馬鹿なことを言う日菜の頭を無言でチョップする。

 始業式の前、休み明けでいの一番に言わなきゃいけないこと。いくつか候補はあったけど、なんとなく想像はつく。

 日菜と私の後ろ、教室の最後列に一つ足された空っぽの机を見ればね。

「なんと、このクラスに新しい仲間が加わります!」

 再び教室中がどよめいた。

「ちなみに女の子です」

 勿体ぶるように情報を小出しにする教師に男子たちが喜びの声をあげる。

 そんなことより早く入れてあげれば良いのに。

 灼熱の廊下で待たされながら無駄にハードルを上げられる転校生に同情してしまう。

「どんな子だろ。仲良くできると良いね!」

「そだねー」

 日菜なら言葉の通じない宇宙人相手でもすぐに打ち解けられるに違いない。

「それじゃあ入ってちょうだい」

 先生が呼ぶと教室に一人の少女が入ってきた。

「寺嶋明日香です。よろしくお願いします」

 日に当たって栗色に光る長い髪を揺らし少女はそう挨拶した。

 凄い美人だ。思わず息を呑む。

 切れ長の目、白い肌、不安からか少しおどおどとした雰囲気までもが彼女の美貌を引き立てていた。

「寺嶋さんはお父さんの仕事の都合で先月東京からこちらに引っ越してきました。皆さん、仲良くしてくださいね」

 先生に座席の場所を教えられると彼女はぺこりとお辞儀して教壇から降りた。

 予想通り私たちの後ろに着席した寺嶋さんにSHRショートホームルームが終わるや否や日菜が声をかける。

「私は吉田日菜! よろしくね、寺嶋さん。あっ、明日香ちゃんって呼んで良い? 私のことは日菜って呼んで良いから!」

「え、ええ。よろしく、日菜さん」

 一瞬で距離を詰めてくる日菜に寺嶋さんは困惑気味だった。

「こら、日菜。寺嶋さんが困ってるでしょ。ごめんね、この子ちょっと落ち着きがなくて」

 前のめりになる日菜を手で押さえて代わりに謝罪する。

「ちょっと、みなせ。失礼すぎない?」

「何も間違ってないでしょうが」

「あ、はは。私は大丈夫ですから。えっと、あなたはみなせ……さん?」

 苦笑いを浮かべながら寺嶋さんは恐る恐る尋ねてくる。

「あー、みなせは名前なんだ」

「ご、ごめんなさい。私てっきり」

 日菜が所かまわず大声で呼ぶからこういうことも慣れっこだ。

 気にしてないよと手を振り改めて自己紹介をする。

「私は水原みなせ。分からないことがあったらなんでも聞いてね」

「ありがとう。よろしくね、水原さん」

 にこりと微笑んだその顔は女の私でもドキリとするほど可愛かった。

 これが私と同じ人間だなんて。なんだか自信をなくしてしまいそう。

「そうだ! 明日香ちゃんは今日の放課後暇?」

「特に予定はないよ?」

 突然の質問に寺嶋さんは首をかしげる。

「それじゃ街を案内してあげる!」

「本当? ありがとう」

 寺嶋さんにとっても日菜の提案は有難かったようで、彼女は顔を輝かせた。

 まあ引っ越して一ヶ月くらい経つとはいえ何かとドタバタしてただろうし、知り合いもいなくて右も左も分からない状態だろうし。

 日菜としてもそんな寺嶋さんと早く親しくなって安心させる意味合いもあったのかな。

 って、日菜がそこまで考えているかは疑問だけどね。

「やった! もちろんみなせも行くよね」

「うん。日菜だけじゃ心配だからね」

 私は冗談めかして頷いた。

 実際、日菜だけだったら土地勘がない寺嶋さんを遠慮なしにあっちこっちへ連れまわして収集つかなくなるのが簡単に想像できてしまう。

「なんだってー?」

 日菜が反論しようと息巻いたところで先生が手を叩き乾いた音が教室に響いた。

「はい、そろそろ体育館に移動しますよ。寺嶋さんは女子の一番後ろに並んでくださいね」

 始業式に出るため廊下に整列する。転校生で一番最後の出席番号が振られた寺嶋さんは女子の最後尾に位置することになり――

「寺嶋さん。ここ、ここ」

「おお、明日香ちゃん! また会ったね」

 私、日菜、寺嶋さんと、縦に三人並ぶこととなった。

「これは運命を感じるね」

「いや、分かりきってたことでしょ」

 大げさな物言いの日菜に間髪入れずに突っ込む。

「寺嶋さん、日菜の言うことにいちいち真面目に取り合わなくて良いからね?」

「酷い。明日香ちゃん、みなせが私たちの運命にケチをつけてくるよ」

「え? え? 私、私は……」

 二人から同時に話を振られた寺嶋さんは対応に困りあわあわと慌てる。

 そんな姿すら可愛らしくて日菜がからかいたくなる気持ちも分かってしまった。

「そこ、私語は慎むように」

 一連の寸劇を終わらせたのは教師からの注意だった。

「あっ、すみません」

「はーい」

 申し訳なさそうにする寺嶋さんに合わせてとりあえず返事をする私。

 しまった。いきなり寺嶋さんを巻き込んで叱られてしまった。

 もう、日菜のせいだよ。私も少し調子に乗っちゃったけど。

「先生! 大切な話なので明日香ちゃんと話してても良いですか?」

 一方の日菜は悪びれた様子もなく堂々とそう宣言する。

「吉田は後で職員室に来るように」

「そんなぁ」

 大袈裟に落胆する日菜にクラス中が笑いに包まれる。

「ごめんね、転校初日からこんなんで。先生にも怒られちゃったし」

「ううん、全然」

 私の謝罪に首を振る寺嶋さんの顔は、先ほどまでよりほのかに柔らかくなっている気がした。寺嶋さんの緊張も解れたみたいだし結果オーライなのかな。

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