第9話 光の舞踏会

 翌日、エトワール広場はいつにも増して多くの人で賑わっていた。光る蝶が逃げ出した騒ぎは一夜明けても収まらず、街中の人々がその幻想的な姿を見ようと集まってきたのだ。蝶たちは朝陽の下でもその輝きを失うことなく、柔らかな金色や銀色の光を放ちながら広場を優雅に舞っていた。


 旅の一座「ル・シルフィード」は広場の一角に設けられた仮設のテントで、街の住民たちや役人たちと相談を進めていた。蝶をこのまま街に定着させるべきか、それとも回収するべきか。議論は尽きなかったが、多くの住民が蝶の美しさに魅了されており、「このまま残してほしい」という声が圧倒的だった。


「でも、蝶たちがこの街の環境にどう影響を与えるかは、まだわからないわ」

 一座のリーダーであるカリーナが慎重な口調で言うと、道具師のルカが頷いた。「蝶が自然界に与える影響を無視するのは危険だ。彼らがこの街で新しい性質を帯びたことで、予測できない変化が起きる可能性もある」


 それでも、街の人々の意志は揺るがなかった。広場の中央で立ち尽くす一人の女性がカリーナに言った。

「この光る蝶が私たちに与えてくれる喜びを、どうか取り上げないで。昨夜の広場は、私が今まで見た中で一番美しかった。あの光景は、ここに住む私たちにとってかけがえのないものなの」


 その女性の言葉に、カリーナは目を伏せて考え込んだ。彼女の隣ではメリーがじっと話を聞いており、やがて勇気を出して口を開いた。

「もし蝶が街にとって危険なら、一座の皆さんが監視を続けてくれると信じています。でも、こんなに多くの人が蝶の美しさを愛しているのを見ると、彼らを無理にどこかへ閉じ込めるのは……なんだか悲しい気がします」


 カリーナはその言葉にじっと耳を傾け、やがて小さく頷いた。「わかった。この蝶が街の一部となることを、私たちも受け入れよう。ただし、私たちが可能な限り観察し、街に問題が起きた場合には責任を持つ。それでいいだろうか?」


 住民たちの間から歓声が上がり、メリーは嬉しそうにセシルの方を振り返った。「よかったね、セシル。これで蝶たちはこの街に残れる」

「そうだな」セシルは微笑みを浮かべながら、蝶が空を舞う姿を眺めた。「この街に新しい美が生まれる。それを目の当たりにできるのは、何よりの喜びだ」


 その夜、広場は再び光る蝶の光で満たされ、街の人々や観光客たちがそれを見上げながら夢見心地で過ごした。蝶が舞う光景は、すでにこの街の象徴となりつつあった。


 それから数日後、メリーは飴細工の新作に取り掛かっていた。蝶を模した透明な飴玉に夜光塗料を少量混ぜ込み、まるで本物の蝶が夜空を舞うような幻想的な飴を作ろうとしていた。工房の中には、試作品の飴がいくつも並べられていたが、メリーはまだ納得のいく仕上がりにならず、ため息をついた。


「……まだ違うんだよな。もっと繊細で、もっと優しい光が必要なんだけど」


 その時、工房のドアがノックされ、セシルが顔を出した。「調子はどうだ?」

「うーん、まだ納得いってないけど……でも、あの蝶の美しさを飴に閉じ込められる気がしてるの」

 メリーの瞳には希望が宿っていた。セシルは工房に飾られた試作品を眺めながら言った。

「ここにある飴だけでも十分美しいが……お前なら、蝶そのものの輝きを映し出せるだろう」


 その言葉に、メリーは顔を上げて微笑んだ。「ありがとう、セシル。もう少し頑張ってみる!」


 一方、セシルもまた、蝶を取り入れた新作彫刻の構想を練り始めていた。彼の工房では、ガラスと金属を組み合わせた蝶のオブジェが形になりつつあり、その影が光の中で揺れるたびに、彼自身もまた心を踊らせていた。


 こうして光る蝶は、街の人々だけでなく、メリーとセシルの創作にも新たな息吹を与えていく。その美しさは、街全体を照らし続ける希望の光となった。




 数ヶ月後、秋の風が街を包み込んでいた。エトワール広場には、日が暮れるとともに黄金色の光が舞い降り、街の住人たちが夕涼みを楽しんでいる姿が見られる。メリーとセシルも、広場を歩きながらふと顔を上げると、夜空に浮かぶ光る蝶たちの優雅な舞いを見守っていた。光の色が変わるたびに、住民たちの表情も明るくなり、その光景はすっかりこの街の一部となっていた。


「久しぶりね、蝶たち。あの時、まさかこんなに広場に溶け込んでくれるとは思わなかったわ」と、メリーが嬉しそうに言った。セシルも頷きながら蝶たちを見つめる。「本当に。まるでこの街の一部のようだ。光の加減で、毎晩違った表情を見せてくれる」


 その時、広場の端で見覚えのある影が現れた。カリーナが微笑みながら歩いてきたのだ。彼女の背後には、一座の仲間たちが揃っており、蝶たちと共に再び街を訪れる準備が整った様子だった。


「お帰りなさい」と、メリーが声をかける。カリーナは静かに頷き、丁寧に返事をした。「戻ってきたわよ。蝶たちの様子が気になってね。どうやらこの街は、蝶たちにとっても居心地がいい場所のようだわ」


 その後、カリーナと一座のメンバーは広場の中央に集まり、再び観客たちを魅了するための準備を始めた。テオは早速舞台の上に立ち、明るい声で観客たちに語りかける。「ようこそ、幻想の世界へ!今宵、あなたたちにお届けするのは、光の舞踏会!」


 テオが手をひらひらと動かすと、周囲の空気が一変した。ルカが細工を施した光るランタンが空中に浮かび上がり、まるで星座が広場の上に現れたかのような幻想的な雰囲気を作り出す。そのランタンが揺れるたびに、蝶たちの光がさらに鮮やかに輝き、まるで蝶たちが空を舞う星々と一緒に踊っているかのようだった。


 その間、リーヌが蝶の群れを軽やかに操り、彼女の手のひらから次々に光る蝶が飛び立ち、広場の空を華やかに舞った。蝶たちは、その場にいるすべての人々に心地よい安らぎを与えながら、光の色を変えていく。観客たちはその美しい光景に引き込まれ、しばし目を離すことができなかった。


 カリーナは静かに、しかし確かな力を持って舞台の中央に現れた。彼女の手のひらから、一匹の蝶がゆっくりと羽ばたき、空に向かって飛び立つ。その蝶が羽ばたくたびに、周囲の光が共鳴し、光の波が広がっていく。カリーナがその蝶に視線を合わせると、蝶の翅が金色に輝き、観客たちは思わず息を呑んだ。


「今宵、この蝶の舞をお楽しみください」と、カリーナは静かに語りかける。言葉を発した瞬間、蝶の光が次々に広がり、広場全体を包み込むような美しい光のリングを作り上げた。それはまるで、蝶がひとつの大きな舞踏会を開いているかのようだった。


 セシルとメリーも、その光景を見守りながら心を奪われていた。セシルは何度も視線を広場の隅々に走らせ、メリーはその美しい蝶の舞を見て新たなインスピレーションが湧き上がるのを感じていた。


「これが…蝶たちの力なのね。まるで、この街のために生まれたかのように美しい」と、メリーは静かに呟いた。セシルもその言葉に深く頷く。「うん、今夜の舞は本当に特別だ。こんな光景を見せてもらえるなんて、嬉しいよ」


 パフォーマンスが終わると、観客たちは大きな拍手で一座を称賛した。カリーナは静かに微笑み、ゆっくりと頭を下げた。「ありがとうございます。蝶たちの力を感じていただけたなら、それが一番嬉しいことです」


 広場の空には、今もなお蝶たちが優雅に舞っており、その光が夜空に映し出されていた。この街の人々にとって、光る蝶たちはただの幻想的な存在ではなく、心の平穏と幸せをもたらす、まさに魔法のような存在となったのだった。


 一座は再び街を離れる時が来るが、その後も蝶たちとともに街に訪れることを約束し、再び旅路に出発した。そして、エトワール広場はこれからも蝶たちの舞いと共に、幻想的な光景を見せ続けることになる。

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