第3話

 地図のお陰で、シアン達は誰に会う事もなく無事に森を抜け出せた。そして早々に、進路方向の問題が発生した。


「……こんなに大きい街なんて、地図には載ってなかったぞ」

「だから言ったでしょう、この道だと街があるって」

「う、うるさい!」


 ユーフェは地図を強く握りしめたまま、苛立たしげに言い返した。


 遠くからでも聞こえる賑わい。幾重にも立ち並ぶ家から上がる煙。出入りする人の往来。二人は草陰に隠れて、街の様子を外から観察していた。シアンとしては、小さな村なら兎も角大きな街には寄りたくない。人ごみの中に追っ手が紛れているかもしれないし、自分の噂が広まっている可能性があるからだ。


 街に寄りたくないのは、ユーフェも同じに見えた。先程から人の姿を視界に入れるたびに警戒するように身構えるし、話し声にも逐一反応する。いっそ怯えているようでさえあった。けれど、自分の判断ミスを認めたくないからだろうか。暫く考え込むようにしてから、ようやく決心したという風に何度も頷く。


「うん、まだ旅は長いし、この辺で金を貯めておくのも大事だよな。想定内だ」


 何が想定内なんだろう、とシアンは疑わしく思ったし、なんなら言ってしまおうかと悩んだが、どうせ相手の期限を損ねるだけだろうからと、やめておいた。


 ユーフェは荷物をごそごそと探り、ほらとこちらに革袋を突きだしてきた。


「この中身を売ってこい。多分、いい値段で売れる」

「私が一人で行くの?」

「僕はここで待ってる。人間と関わったって、ろくなことにならないんだからな」


 警戒心をむき出しにして嫌がられた。なのにシアンには革袋を盗むなよと軽く忠告する程度だった。それで、本当にこちらが言う通りにすると信じているのだろうか。


 別に、シアンは盗もうなんて考えはしなかったけれど。今回ばかりは言う通りにするのは憚られた。


「私一人だと、追っ手にバレるかもしれないわ。せめて、店の前まで一緒に来て」


 煩い嫌だと何度首を横に振られても、淡々と食い下がり続けた結果、最後には渋々といった体で頷かせるのに成功した。

 


***



 絶える事のない人の波と喧噪。溢れんばかりの活気。魔霧の森とあまりに違う空気に、連れの少年は田舎から初めて都会へやってきたような反応を見せていた。店に並ぶ品や通行人達を怯えたように目で追い、驚きで目を見開く。


 ユーフェは最初こそ強い嫌悪感を漂わせていたが、いつの間にか好奇心や興味で瞳を輝かせていた。恐らく、これ程の規模の人里を訪れるのは初めてなのだろう。街が殆ど記されていなかった地図を思い出し、シアンは念のため確認することにした。


「ねえ、この国の事は分かる?」

「なんだよ急に。当然だ。そんなの常識だろ、常識」


 あからさまな落ち着かない態度に、嘘だとすぐ分かった。とはいえ認めないだろうから、自分から話すことにした。


「この国は、地方によって治める貴族が違うし、水面下では勢力争いがずっと続いているわ。制服……同じ模様の入った服を着て武器を持った人は貴族の私兵なの。揉め事を避けるためにも、関わらない方がいいわ。勿論、知っているだろうけど」

「えっ、あ、う、うん、勿論だ。常識だろ、常識」


 胡乱な返答であった。間違いなく初耳なのだろう。いっそ、もっと基本的な内容から教えるべきだろうか。あまり簡単な事を伝えて、馬鹿にするなと機嫌を損ねるわけにもいかない。


 悩んでいると、マントを羽織っているユーフェが、とある店の壁に貼り付けられている手配書を指差した。


「これ、お前の似顔絵じゃないか?」


 シアンとよく似た顔つきの、首にチョーカーを付けた少女。予想通り自分の顔が既に知れ渡っていて、気分を重くしつつそうねと頷いた。


「手配書だと若い女一人を探していると書かれているから、ユーフェがいればかなり誤魔化せると思うわ」


 マントでさりげなくチョーカーを隠しつつ、小声で答える。手配書、という言葉に彼は眉を顰めた。


「お前、犯罪者だったのか」

「……そうよ。別れたくなった?」


 試すような物言いで、静かに同行人を見つめる。しかめ面はそのままに、彼はふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


「一緒に旅をするって約束したのに、今更反故にするもんか。それに、お前みたいなひ弱なやつなんて、ちっとも怖くないからな。襲い掛かられてもへっちゃらだ」


 足早に歩きだした背中を、しばし呆然と眺める。やけに自信があるというべきか、あまりに侮りすぎているというべきか。どちらにせよ、胡散臭い同行人を切り捨てる選択肢は、彼にはないらしい。それに、驚いてしまって。


 そうして棒立ちでいると、小さくなった背中が人ごみを避けて壁際に寄り、ちらりとこちらへ振り返る。子供が迷子になるのを恐れているような素振りに、ようやく膠着が解けたシアンは、小走りで彼の方へ駆けて行った。



***



 古びた家々。酒や煙草などの、すえた臭い。壁にこびり付いた、茶ばんだシミ。淀んだ目の浮浪者や乞食。街に入って最初に見かけた光景とは打って変わった不穏な空気に、ユーフェは落ち着かない様子で周囲に目を配る。裏路地の一角で、二人は足を止めた。看板に書かれた文字は、色褪せていて読み辛い。


「本当に、こういう店でいいのか」

「うん。目立ちたくないし、こっちの方がいいと思う」



 表の通りにある綺麗な換金所よりも、こういう所の方が色々と目を瞑ってくれるものだ。無論、リスクも相応に存在するが。それで、とシアンは革袋を見つめる。


「中身は何なの?」

「た、ただの素材だよ。昔拾ったんだ」


 ただの素材なら、何故視線を泳がせて答えるのか。最初の頃よりも返答してくれるようになったとはいえ、どうしても教えるつもりはないらしい。


 硬い口を割ろうとするのを諦め、シアンは大人しく従う事にした。どうせ店で鑑定してもらえば判明するのだ。或いは、彼が本当に秘密にしたいのは、入手した経緯の方なのかもしれない。


 木製の重たい戸をこじ開け、シアンは店内へと入る。戸棚が並ぶ狭い内部は、やけに空気が籠っていた。奥で座っている中年の男が、いらっしゃいと適当に声を上げつつ、机の上にのせていた足を降ろす。


 じろじろとこちらに不躾な眼差しを向け、男は片頬を釣り上げ愛想のよい顔を作ってみせた。


「ようこそ。ここは嬢ちゃん向けの店だよ。何を売りたいんだ?」


 背中を悪寒が走る。男は手配書を知っているのだ、と態度で察した。相場も分からない上にこれでは、相当安く買い叩かれるかもしれない。


 仕方がないと、諦めて客用の椅子に腰かけ、渡された革袋の口を開ける。覗いた中には、生き物の素材が詰め込まれていた。頑丈そうな牙や爪、鱗。これだけでは素材の正体を推測するのは難しい、のだが。


 どんどんと嫌な予感が膨れ上がり、シアンは小さな白い鱗を一枚だけ取りだし、傷が大量に刻まれた机の上に置いた。転がる小石でも目で追うように、男は視線を寄こしてくる。



「何だこりゃ?」

「……あら、分からないの? それなりの目利きがあれば、この小さな一枚にどれ程の価値があるか、一目で見抜くと思っていたのに」


 分からないと正直に明かすわけにもいかず、大人びたふりをしてはったりをきかせる。赤らんだ顔が探るような目つきへ変わったところで、とんと机の上に猫が飛び乗ってきた。


「おお、ミチェは可愛いねえ」


 どうやら店主の飼い猫らしい。赤茶けた毛皮を機嫌よく撫でてから、男はシミがこびり付いたルーペを手に取った。机の真ん中を占領して毛づくろいをする猫をしり目に、店主が隅で鱗を見分する。眼差しがどんどん険しくなり、一瞬目を大きく見開いたのを、シアンは見逃さなかった。


 男はルーペをしまい、にこにこと笑みを張り付けて頷いてみせた。


「確かにアンタの言う通り、こりゃかなりの値打ちもんだ。金を準備してくるから、ミチェと一緒に待っていてくれ」


 鱗を手の中で転がし、店主は猫の喉を撫でてから奥の部屋へと姿を消した。一人と一匹残され、シアンは寝転がるペットを見つめる。客の不安をよそに、猫は平和そうに微睡もうとしていた。



***



 店の奥へ引っ込んだ店主は、すぐさま客向けの笑顔を引っ込めた。奥の棚には、本来売買を禁止されている物品がぎゅうぎゅうに詰められている。にやりと人の悪そうな笑みを浮かべた店主は、箱を整理している従業員へ大股で近付く。聞き耳を立てられないよう、ぐっと声のトーンを落として命じた。


「店の中の女を捕まえろ。荷物は全部回収するんだ」

「へえ、いいんですかい?」

「手配書に描かれた人間を、善良な一市民として通報するだけだ。ついでに、手間代をちょっと稼がせてもらったっていいだろう?」

「ははあ、宝石でも持ってたんですかい」

「上手くやりゃ、それ以上だぜ」


 へらへらと愛想笑いを作る従業員の眼前で、店主は小さな鱗を見せびらかした。


「あの革袋の中には、もっと詰め込んでるに違いねえ。ついでにどうやって手に入れたかも吐かせりゃあ、大儲け間違いなしだ!」

「そんな鱗が? 初めて見ますねえ。珍しい魚のものなんですかい?」

「馬鹿野郎、魚よりずっと上等だぜ。なんせこいつは──」


 意気揚々と述べられていた言葉が、第三者の気配を察してぶつりと途絶える。従業員も遅れて反応し、懐からナイフを取り出した。主人に顎で合図され、男は入口側の店内、客人が待っている筈の方向へと静かに忍び寄った。


 とてん、と何かが着地する、軽い音。遅れて、にゃあと愛らしい声が響いた。


「なんだ、ミチェじゃねえか」


 尻尾をくねらせ向かってくる飼い猫を、主人はまなじりを下げて撫で出した。可愛いペットにご執心な店主を、従業員は足を止めて呆れたように眺めた。


「誰が見てるのかと思ったら、やれやれ。猫ですかい」

「馬鹿にするなよ。客の見張りもできる一流の従業員だぞ。おおよしよし、俺に構って欲しかったんだな。一仕事終わったら沢山遊んでやるから、機嫌を直しておくれ」


 いつもより興奮気味の猫を落ち着かせようとして、店主は気付いた。常ならば客の近くでくつろぎたがるペットがここにいるなら、客人は今どうしているのか。


「畜生、あの女逃げやがった!」


 もぬけの殻となっていた店内に、店主は大きく舌打ちをした。


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