幽霊の初恋

花宮守

幽霊の初恋

十八になったら。

恋をしていいって言ったじゃない。

なのに――。


 私は今、自分の体を見下ろしながら、ふわふわと漂っている。子供の泣き声。あの子、無事だったんだ。よかった。

 でも私は……今、救急隊員の人が首を横に振った。現場は重苦しい雰囲気に包まれています、って実況したくなっちゃう。

 ああ、死んじゃったんだ。ならこうして考えたり、まだ周りがちゃんと見えたりするのはどうして? 幽霊ってこんな感じなのかなあ。


 夜になっても、眠くもならないし、お腹も空かない。いいことづくめな気もするけど、眠くないっていうのは眠れないってことなわけで。一日二十四時間、誰にも見えない状態で過ごすのって退屈だよー!


 長い夜が明けて、私は何となく、昨日自分が死んだ交差点に行ってみた。ふらふら走ってくる大型トラック。青信号で横断歩道を渡ろうとしている男性のところへ突っ込んでいく。

 危ない!

 そう思った瞬間、自分の中が光に満たされる感覚があった。体(もうないはずだけど)の中身が、全部光になっちゃったような感じ。びっくりしているうちにトラックは少し先へ行って停止し、男性は驚いた顔で歩道へ引き返していた。

「よかったぁ」

 聞こえるはずのない声を漏らした。彼がちょっとこっちを見たのは、偶然だと思った。


 それからは何となく、彼を見て時間を潰した。大抵はスーツで、ピストルを持っていて、一度は発砲もした。

 殺人事件や強盗事件を追って、一段落すると霞が関へ向かう。テレビドラマでしか見たことのない警視庁のビル。人がたくさん出入りして、中へ入るのは気後れした。隠れても意味はないのに、近くの木の緑の中、身を潜め、彼が出てくるのを待つ。

 男の人の年ってよくわからないけど、十くらい上かな? 背が高くて、すらりと、かつ、がっしりしてる。クラクラするようなハンサム!っていうのとは違うけど、目元が優しい。庁舎を出てくると、この木に視線を投げてから車に乗り込む。

 家もわかった。夜は、最初の頃は窓の外で待っていたけど、寂しくなって、部屋に入って過ごすようになった。電気が消えてから少し待って壁をすり抜けると、彼はもうすやすや眠っている。ベッドの横に浮かんで寝顔を見ていると、くすぐったいような気持ちになってくる。


 ある晩、眠っているはずの背中から声がした。

「いい加減、話してくれないか。君はどこの誰なんだ?」

「えっ」

 見えてる?

 彼は寝返りを打ってまっすぐに私を見た。ああ、またあの感覚。全身が光になったかのよう。彼の方は、答えない私を訝しんでいる。起き上がり、ベッドに腰かけた。

「幽霊は人に憑くものらしいが、君に恨まれる覚えはない」

「……別に、恨んでるわけじゃ」

「では、なぜ俺に憑く?」

 なぜ、って言われても。

「憑りついてるつもりなんか、なかった。ただ……私、死んじゃって、寂しくて」

「親は?」

「行ってみたけど……」

 最初の日にはもう、私のものがすべて部屋から運び出されていた。

「私の存在、どんどん消されてくの……見てるのが、いやで」

 悲しい一夜のあと、この人に出会った。そばにいると落ち着いた。

「ふむ。俺が君を初めて見たのが……七日前か。年は十七、八だな」

「十八よ」

 一番大事なとこ。

 彼はちょっと目を見開いた。

「これは失礼。それでと……待てよ、その顔は」

 目の前の新聞の山とスマートフォンで何かを高速で調べた彼は、私に向き直って告げた。

飯山いいやま財閥ご令嬢か。……気の毒だったな」

「何でわかるの?」

 確かに私は、飯山家の一人娘、飯山美怜いいやまみれいだ。

「商売柄な。……親父さんに似てるな」

 その眼差しは優しくて、写真だけで父を知っているのではないと感じた。胸の奥に、言葉にならない温かいものが生まれる。これは何?

 目を合わせたまま逸らせずにいると、彼が手にしている端末のバイブ音が鳴り響いた。

「はい。……すぐ行きます」

 彼はちらっと私を見てから電話を切り、素早く身支度をした。

「一緒に来るか?」

「え……」

 一緒、という言葉が、キラキラと輝いて私の心に落ちてきた。深い意味があるはずないのに。

「君の家族が、君を急いでこの世から消し去りたいわけじゃないってことが……わかるかもしれない」

 その声には、私を強くひきつけて離さないものがあった。

「……行く」

「よし。怖かったら、俺のそばを離れなければいい。つかまる……のは無理か」

 私は、颯爽と部屋を出ていく彼の肩に手を置いてみた。すり抜けてしまうかと思ったら、ちゃんと触れることができた。涙が出そうなほど嬉しい。ふわふわとついていくと、彼は玄関で靴を履きながら、思いやり深く頷いてみせた。

「安心して休めるようにしてやる。いつまでも、こんなむさ苦しいところじゃなくてな」

 扉を開ける手を、止めたい衝動に駆られた。外は冬の夜空。寒くはないけど、星がにじんで見えた。

 人生は終わっちゃったのに、この人に会えて何かが始まった。

 幽霊だから、私、消えちゃうのかな。それが、彼の言う「休む」っていうこと? ……やだな。


 あなたの、そばにいたい。


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幽霊の初恋 花宮守 @hanamiya_novel

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