私はヒロインにはなれない
夏野海
だって、私は彼のことが好きだから
冷たい夜の空気が公園を包み込む。
白い息がふわりと立ち昇り、すぐに消えていく。その儚い姿は、まるで触れることのできない大切な思い出のようだった。
風に揺れる落ち葉が微かな音を立てる中、歌声だけが静寂を破る。
「楽しい日々をありがとう
幸せな時間をありがとう
私はあなたと共にこれからも――」
頼りない街灯に照らされた女性の姿。広い公園のどこにも人影はなく、この空間そのものが彼女のためだけに存在しているようだった。
だが、その声は最後のフレーズを迎えることなく途切れた。
唇がかすかに震える。
胸の奥から湧き上がる感情が喉を塞ぎ、言葉を押し込めてしまう。
ここにいてどれくらい経ったのだろう。
1時間、2時間、いやそれ以上かもしれない。
もしくはそれ以下か――時間の流れが異様に遅く感じる。
きっとそれは、彼を待っているからなのかもしれない。
来ることはないはずなのに。
私を選ぶことはないはずなのに。
それでも、もしかしたら彼は彼女ではなく、私の元へ――。
そんな期待を捨てきれなかった。
だけど、いつまで待っても彼は来ない。
膝の上でぎゅっと握りしめた指先が震えた。凍える冷気のせいではない。心の奥底から湧き上がる、どうしようもない痛みのせいだった。
頬を伝う涙を何度拭っても止まらない。決壊したダムのように溢れ出してくる。
「これでいい」
そう、心に言い聞かせてきた。
それなのに――誓いとは裏腹に、本心は冷たく突き刺さる。
あのまま二人の行く末を最後まで見届けていたら、こんな気持ちにはならなかったのだろうか。
彼への思いを断ち切ることができたのだろうか。
いいや、それはきっと無理だった。
だって……私は、彼のことが――好きだから。
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