アディオス、アミーゴ

亜咲加奈

なかなかやるじゃねえか。

 ここは実業高校、昼休み、一学年の教室が並ぶ廊下。今日もそこの窓際に、一学年の不良五人組が並んでいる。そのうちの一人、余田明は、同居する祖父母宅がある方角に目をこらした。灰色の雲が覆っているせいで山々が見えない。積雪の予報が数日前から出ている。

 ――積もったら、じいちゃんばあちゃんより早く起きて、雪かきしねえとだな。

「で、どうする」

 一六〇センチ、糸目の平井が上目づかいで他の四人を見る。

「そんなん、やるしかねえべ。向こうが来いっつってるんだから」

 一七一センチ、顔も体も真四角の高橋が、両手を制服のポケットに入れて答えた。

「平井ちゃんに売られたケンカは、俺らに売られたケンカですからねぇ」

 一五九センチ、細い指をスマートフォンの画面に滑らせながら富田が笑う。生徒は登校してから授業と部活動が終わり校舎を出るまでの間、校内でスマートフォンを使用することは禁止されている。しかしここには富田を見とがめる教師はいない。

「相手は商業だべ? 楽勝っしょ。なあ余田ちゃん」

 一六二センチ、丸顔の羽鳥が、見えない相手に右足でミドルキックを放った。

 呼ばれて、一七五センチ、引き締まった体つきの余田が、吊り上がった眉の下の鋭い目を平井に向ける。

「場所はどこなんだ」

「つぶれた鉄工所あんじゃん。あそこに午後四時半」

 一六七センチ、いつも髪形をツーブロックにしている宮沢が、余田の左隣に体を出した。ツーブロックは校則で禁止されている。

「因縁つけてきたんは商業の誰なん」

 平井はすまなそうに背中を丸める。

「マサヤ。いや、俺もわりいんだけど、たまたまヤった女がそいつの彼女でさぁ」

 宮沢が大声を上げる。

「知らないでヤっちゃったん?」

「ヤったあとで彼女が、彼氏から電話が来たっつって、出たんさ。話してるうちに彼女、ギャン泣きし始めてさぁ。ごめんなさい、許してって。そんで聞いたら、彼氏は商業のマサヤっつうから、俺、びびってさぁ」

 商業のマサヤ。

 市内の商業高校に在籍する三年生で、不良のリーダー格である。一七〇センチ、逆三角形の体形で、他校の不良との素手の殴り合いで負けたことがない。しかも美形である。そして「マサヤの女」を自称する少女たちが常に七、八人、彼の求めに応じて出動するべく各地で待機している。平井がつい手を出してしまったのは、待機することに飽きた少女の一人に誘われたからである。マサヤは、平井と寝た彼女を捨てた。そして平井に直接、一対一の勝負を申し込んだのである。「ひとの持ち物に勝手に手をつけるとは何事だ」というのが、彼の言い分であった。しかし、一対一と言いながら、マサヤは常に勝負の場に、「観客」と称して、不良仲間を多数引き連れてくる。その「観客」たちは、マサヤの号令がくだるや、「援軍」に早変わりする。マサヤは、そういう男だった。

 

 放課後、余田たち五人組は、指定された鉄工所の跡地へ徒歩で向かった。

 五人はいずれも、部活動に所属していない。特に余田は、空手道部を、道着を購入する前に退部している。

「余田ちゃん、なんで空手部やめたん。続けてたらこういう時、有利になるんじゃねえん」

 ネックウォーマーに口もとを埋めて尋ねる宮沢に、余田は答えた。

「当てねえから」

「だよなあ。高校の部活の空手って、寸止めだからなあ。やっぱ空手は、当てなきゃなあ」

「人を殴りたいわけじゃねえんだ。当てねえって、本気じゃねえじゃん」

「わかるわかる。俺ら不良だから、なんかみんな、引き気味で接してくるもんな。ケンカくらいだもんな、本気でやりあえるの」

 高橋が舗装に目を落とす。

「なんで俺らがこうなったんか、誰も聞かねえもんな」

 富田はスマートフォンの画面を見ながら歩いている。

「ま、どんな理由があったって、不良になっていいわけじゃないですし。ケンカは、やっちゃダメですもんねぇ」

 羽鳥が富田の袖を引っ張る。

「歩きスマホも、ダメだっぺ」

 黙っているのは平井だけだ。

 午後四時半。鉄工所跡地。

 マサヤは一人で立っていた。広い額に前髪がかかっている。学ランはプレスが効いており、ホックも一番上までとめている。足元は、有名スポーツブランドのハイテクスニーカーだ。

 平井を真ん中に、余田たちが横一列に並ぶ。

 マサヤが薄笑いを浮かべて言った。

「タイマンだっつっただろ、このビビりが」

 平井が糸目をカッとひらいた。

「うるせえ! このタラシが!」

 言い終わると同時に平井が走る。腕一本の距離まで近づくや、平井は右ストレートをマサヤの顔面にぶち込んだ。

 ところがマサヤはサイドステップでかわし、左ボディを打ち込む。不幸にもそれは平井に命中したが、平井は腹筋を締めて耐え、右フックを繰り出す。その打撃はマサヤの左顎にヒットした。

 マサヤのスイッチが入った。左ストレートで平井の右頬をぶち抜いてから右のミドルキックを叩き込む。平井が腹を押さえて転がった。

 マサヤが余田たちに、据わった目を向けた。右手を挙げる。建屋の陰に隠れていた不良たちが、一斉に姿を見せた。総勢三十人。

 宮沢が叫んだ。

「おいっ、全日と定時の連中もいるじゃん」

 商業高校の不良たちだけではない。市内にある普通科高校の、全日制と定時制、それぞれに籍を置く不良たちも、マサヤの背後に歩を進める。

 富田が、もてあそんでいたスマートフォンを、胸ポケットに入れた。

「マサヤ氏が、裏で手を回した、ってことですかねぇ」

 余田と高橋が一歩、前に出た。二人ともポケットに手を突っ込んでいる。余田は少し顎を上げ、高橋はやや顎を引き、マサヤ率いる商業高校・普通科高校の不良たちをにらみつける。

 マサヤは動かない。しかし、余田と高橋の眼光に、不良たちの中には、二、三歩、顔色を変えて下がる者もいた。

 羽鳥が平井を助け起こす。平井はまだ腹を押さえている。

 余田が高橋に低い声で告げる。

「あいつは俺がやる」

 高橋が敵を見据えたまま答えた。

「じゃあ、残りは俺らで引き受ける」

 マサヤが声を張り上げた。

「やっちまえ!」

 五人が三十人に突っ込んだ。

 余田とマサヤが相対する。

 余田が左足でマサヤの右太ももを蹴った。マサヤはすぐさま左足を振り上げ、余田の右わき腹めがけて落とす。ところが余田はかわした。マサヤの左足が地面に降りた瞬間、余田の右ストレートがマサヤのみぞおちを打つ。

 マサヤは余田に組みつき、引き倒した。余田の腹の上にまたがり、右の拳で余田の左頬を殴る。

 余田がマサヤの胸ぐらをつかんだ。引き寄せ、右の拳でマサヤの左頬を殴打する。

「みんなっ、パトカーが来たっ」

 宮沢の声だった。不良たちがただちに散らばる。

 マサヤと余田はすぐさま離れて立ち上がり、揃って建屋の中に身をひそめた。壁越しに、二人は確かに、巡回するパトカーを見た。パトカーは速度を保ったまま市道を走り去る。不良たちが建屋に隠れたりしたので、気づかなかったらしい。

 マサヤが余田の目を真正面から見た。

「なかなかやるじゃねえか。俺は商業のカナシロ・バスケス・マサヤ・クラウディオ。名前は?」

 視線をそらさずに余田は答えた。

「実業の余田明だ」

 パトカーがまた戻ってきた。不良たちは鉄工所跡地から走り去った。


 県北に住む人々は積雪に慣れっこだ。早朝から除雪車が出動し、電車やバスも時刻通りに運行する。各家庭ではスタッドレスタイヤを履き、雪道を注意深く走る。余田も朝五時に起きて祖父母と雪かきに励んだ。

 放課後、雪を踏みながら駅へ向かう余田に、同じ中学校出身の夕菜が声をかけた。一四九センチ、胸はDカップだ。

「こんなに寒いのに、あたしをあっためてくれる人なんか、いないよ」

「いつも彼氏、いるじゃねえか」

「あたし、ちっちゃい時から手術、何回もしてて。おなかとか、縫った痕、あるんよ。そういうの、恥ずかしくって。いつも隠して、するんだ」

「俺だって、火傷だらけだぜ」

「小学生の時、火事にあったんだっけね」

「そう。親父も母ちゃんも弟二人も全員死んだ。今はじいちゃんばあちゃんちで暮らしてる」

 夕菜の瞳がきらめいた。

「あたしんちも、父ちゃんと姉ちゃんだけ。母ちゃんは、交通事故で死んじゃった。うちら、おんなじだね」

 夕菜が余田の右腕に、自分の左腕をからめた。Dカップの乳房が密着する。午後五時、気温はマイナス一度。余田は夕菜に言った。

「するか?」

 夕菜が、にやりと笑う。

 二人で電車に乗り、駅で降り、夕菜の自宅へ向かった。二階にある夕菜の部屋で裸で抱き合う。彼女は机の引き出しから避妊具を取り出し、余田に渡す。

 腹部の手術痕と火傷の痕が重なる。つながったそこは、暖房がきいた部屋よりも熱い。

 突然、夕菜のスマートフォンが通話の着信を知らせた。夕菜が腕を伸ばしてスマートフォンを取る。しかし画面を見て、固まった。

「出ねえのかよ」

 電話は鳴り続けている。夕菜は余田を真剣な目で見たあと、画面を余田に向けた。

 発信元は「マサヤ」。

 夕菜に入っている余田が急速にもとの大きさに戻る。

 夕菜が落ち着き払った声で言った。

「こないだ、ケンカしたんでしょ」

「……おう」

「とりあえず、出るね」

 夕菜は通話を始めた。

「はい。……ごめん。寝てた。……ああ、知ってるよ。『おな中』だったし。……じゃ、明くんに伝えればいい? そしたらさ、今から明くんに電話するよ。……はい。はい。じゃあね」

 通話が終わった。余田は夕菜から離れ、急いで学ランを着る。夕菜は下着をつけたあとでスウェットの上下を着て、余田に言った。

「マサヤが、今から会いたいって。迎えに行くから、駅で待っててって」

「なんでおまえ、あいつの連絡先、知ってんだよ」

 夕菜は平然と答えた。

「たまに会うから」

 夕菜までマサヤの「女」だったとは。だから部屋に避妊具があったのか。

 余田は祖母に「今日は遅くなる。友だちと遊んで帰る」と電話で告げ、しかたなく駅へ向かった。 


 雪が路面に残っているというにもかかわらず、マサヤは四百ccのバイクで駅に現れた。余田を見つけると、ヘルメットをはずし、友好的な笑顔を見せる。

「よう、悪かったな、いきなり呼び出して」

「わりいよ。こっちだって、準備ってもんがあんだよ」

「まあ、乗れよ」

 渡されたヘルメットをかぶり、余田は後部座席に座った。発進する。

 冷たいがうるおいのある風の中をバイクは走った。二人が通学する高校が位置する市内の、城址公園に入る。

 バイクを駐車場に止め、マサヤはまた余田に笑いかけた。

「なあ、余田。タイマンしようぜ」

 平井と同じことになっちまった。余田は内心、激しく後悔する。

「こないださあ、最後まで、できなかったじゃん。ケリつけようぜ」

 売られたケンカは買うしかない。余田はスニーカーを履いた足で地面の雪をどけてから、そこにリュックサックを下ろした。

「いいぜ」

「そうこなくっちゃ」

 マサヤが笑みを瞬時に消し、足の裏で余田のみぞおちを蹴る。余田はマサヤの足を両腕でかかえこみ、引っ張って転ばせる。

 ところがマサヤは受け身をとり、逆に余田の右ひざ下を足の裏で蹴った。余田も転がる。

 マサヤが余田の右腕を取り、両足ではさむ。

 両足で右腕を固められる寸前で余田は上体を起こした。起きたと同時にマサヤの右腕のつけねにまたがって両足で締め上げる。そして思い切りマサヤの右腕を引っ張った。

「いてえ、ギブ。ギブっつってんだろ」

 マサヤが左手で地面を何回も叩く。

「ほんとにギブか」

「ギブ!」

「信用できねえ」

「離れろって」

 マサヤが力を抜いた。余田が立ち上がる。マサヤも立ち上がり、痛そうに右肩を左手で押さえた。

「おまえ、ほんと、強えな」

「おまえもいろいろ使えるじゃねえか」

「もっと手下集めりゃ、ここいら、掌握できるんじゃね」

「そんな趣味はねえよ」

「もったいねえの」

 マサヤがヘルメットを余田に渡し、自分もかぶる。

「メシ食おうぜ」

「しょうがねえな」

「ラーメン屋でいいか?」

「おまえのおごりか?」

「バーカ。てめえの分はてめえが払うんだよ」

 二人は城址公園そばのラーメン屋のカウンターで、塩ラーメンを食べた。マサヤは余田を祖父母宅まで送り届けてくれた。


 三月、卒業式のあと、マサヤは余田が通う実業高校に例のバイクで乗りつけた。

 マサヤと同じ中学校出身の一年生がマサヤの指示をスマートフォンで受け、余田を呼び出す。

「余田、俺らも行くぜ」

 高橋の申し出を余田は断った。

「心配いらねえ」

 実業高校の向かいにあるドラッグストアの広い駐車場にマサヤはいた。余田が近づくと、ヘルメットを取り、真剣な顔つきになる。

「俺、今月末、ペルーに帰るんだ」

「おまえんち、ペルーなのか」

「そう。親父が新しいビジネスを始めるんで、それを手伝う。商業に通ってたのは、そのためさ」

「また、こっちへ帰るのか」

「いや。帰らない。ずっと向こうにいる」

 言ってマサヤは聞き慣れない言葉を口にした。その時だけは、ほほえんでいた。

「何て言ったんだ」

 余田にマサヤはもう一度、同じ言葉を言った。

「アディオス、アミーゴ」

「何語だ」 

「スペイン語。ペルーはスペインに支配されていたのさ。アディオス。次に会えないかもしれない『さよなら』をそう言うんだ」

「アミーゴって、どういう意味だよ」

 マサヤはヘルメットをかぶった。

「自分で調べろ」

 四百ccのバイクが爆音と共に余田の前から走り去り、見えなくなった。

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アディオス、アミーゴ 亜咲加奈 @zhulushu0318

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