葬礼のカグラ
時川雪絵
葬礼のカグラ
葬礼のカグラ プロローグ
その少女は海を眺めるのが好きだった。今日は浜辺で波を蹴って、遠い水平線に向かって叫んだ。
「おーい!」
当然のことながら、返事なんて返ってこない。いつも波が打ち砕かれて、その声はかき消される。でも、少女は諦めなかった。誰かがそれを聞いていて、きっと答えてくれると信じていた。
海の向こうにあると言われている国がある。自由の国アメリカ。昔はそんな大国がいっぱいあったと母親は、いつも寝る前に、彼女に言い聞かせた。でも、それは昔し昔しで始まるような、そんな伝承でしかない。
少女は海に入ったことはなかった。入ると戦死した水夫が足を掴むと教えられていたから、水着も着たことがなかった。今年も何人かの子供が死者に足を引かれて、死んでしまった。
彼女が生まれる前に大きな戦争があって、世界は昔と変わってしまったらしい。その戦争は人間だけではなく、異世界の怪物や超常的な存在をも巻き込む熾烈なものだったと伝えられている。そう言われても、彼女にとっては今が日常だから、その前なんて想像しようもなかった。
戦争が終わり、長い長い冬が訪れて、そして最初の春が訪れた時、ある歌人がギターを鳴らすと雪の下から花が芽吹いて、それが見事に咲いた。その音色に歌をのせるとそこは一面の花畑になった。その日から、言葉はただの道具ではなく、世界の深くに繋がった。母はそんな話を少女に聴かせると、ギターを鳴らし、歌った。そうすると蝶々が何処から飛んできて、少女の鼻に止まった。
少女はクラシックギターを手にして、弦を撫でる。そうすると波はおさまり、風が静まって、耳を澄ませても何も聞こえてなこない。だからもう一度叫んだ。
「おーい」
だけど当然のことながら、返事なんて来なかった。それが彼女に残された最後のチャンスだったのに、海も死者も、いつものように無言を貫いた。
船が港に着くまで、あと数分。もう荷物をまとめないといけない。この海も今日で見納めだった。
ある日、彼女は決意したのだ。アメリカに行くと。何故なら、そこに行けば、そこが本当の自由の国なら、いつも海を眺めるだけの人生から逃れられると思ったからだった。
彼女は頬に触る。顔全体が包帯に覆われているから、その肌には触れられない。少女はその下にある焼けただれた肌の感触を想像した。そうしていつも確かめる。自分が異形であることを。だから、海を渡って自由になりたかったのだ。
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