【アップ】2024年12月29日 主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

天川裕司

【アップ】2024年12月29日 主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

【本日の礼拝メッセージ】


「安らかにさせてくださいます」ルカの福音書第2章25〜32節

松本章宏牧師 2021年12月25日

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=a3zwWkGzazM&pp=ygUh44Or44Kr44Gr44KI44KL56aP6Z-z5pu4MueroDMy56-A


2023.01.01(日)洛彩キリスト教会 主イエスの命名日

ルカの福音書第2章21〜32節

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=nk-jM8HZ-dc&pp=ygUh44Or44Kr44Gr44KI44KL56aP6Z-z5pu4MueroDMy56-A


男山教会メッセージ

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=4JlED2LNRAo


【ブログ記事】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12881369826.html

こちらから聖書と讃美歌を閲覧できます。



讃美歌~♬


【讃美歌全曲マラソン】讃美歌97番 待降(朝日は昇りて)

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=gc6PQdz3w54


1 朝日は昇りて 世を照らせり、

  暗きにすむ人、 きたりあおげ、

  知恵に富みたる主 世にいでたり、

  愚かなる人は きたりまなべ。


2 力にみつる主 世にのぞめり、

  かよわき人々 きたりたのめ、

  安きを賜う主 世にくだれり、

  苦しめる人は 来たり受けよ。


3 救いを賜う主 世に生まれぬ、

  高きも低きも きたりいわえ、

  天地(あめつち)しらす主 世にあらわる、

  よろずの物みな どよみうたえ


讃美歌第130番「よろこべやたたえよや」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=_7iLjxisKmU


1

喜べや称えよや シオンの娘

主の民よ 今し来ます天つ君

今し来ます平和の主

喜べや称えよや シオンの娘

主の民よ

2

幸あれや主の民に ホサナホサナ

ダビデの子 今ぞ来たる神の国

今ぞ成れる主の誓い 幸あれや主の民に

ホサナホサナ ダビデの子

3

迎えよや栄えの主 ホサナホサナ

ダビデの子 平和の御座揺るぎなく

恵みの御代限りなし

迎えよや栄えの主

ホサナホサナ ダビデの子



2024年12月29日 礼拝説教 聖書箇所


主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び あなたの手を取った。民の契約、諸国の光としてあなたを形づくり、あなたを立てた。

イザヤ書42章6節


「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」

ルカによる福音書2章32節


はじめに

主の降誕の恵みを覚えつつ、僕となられたイエス・キリストを「主」と認めたい。

1

「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。」ここに、わたしたちは、一人の人、「主の僕」の召命を見る。それは、「わたし」主が、「選び、喜び迎える者」。「彼の上に」「わたし」主の「霊は置かれ」、彼、一人の僕は、「国々の裁きを導き出す」。この一人の僕とは誰か。「インマヌエル(神我らと共にいます)」(マタイ1章23節、イザヤ7章14節)との御名を現された、主イエスが、安息日に、手の萎えた人をいやされた時、この「預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった」(マタイ12章17節)と、神の真実が、証しされる。そこでは、「国々の裁きを導き出す」が、「異邦人に正義を知らせる」、「裁きを導き出して、確かなものとする」が、「異邦人は彼の名に望みをかける」と改めて言い表される(七十人訳聖書とは異なる)。つまり、福音書は、主イエスの到来は、はじめから、決して、一宗教の、一地域の、一時代のものではなく、その限定、区分、隔てを越えて、世界の、国々の、全時代の、全歴史の、支配者であるお方が、神と人に仕える僕として来られたことを告げる。

「彼は叫ばす、呼ばわらず、声を巷に響かせない」。「大勢の群衆が従った」時、「イエスは皆の病気をいやして、御自分のことを言いふらさないようにと戒められた」(マタイ12章16節)。また、ペトロが「あなたは、メシア[キリスト]です」と呼んだ時にも、「御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた」(マルコ8章30節)。御使いによる救い主誕生の知らせとは異なり、主の十字架に至る道は、世のただ中で、一つの召命を明らかにする。それは、ただ、主の僕であることに尽きる。「傷ついた葦を折ることなく 暗くなってゆく灯心を消すことなく 裁き(正義)を導き出して、確かなものとする」とは、世の権力者(上に立つ者)からすれば、絶えず、社会の周辺(下)に置かれた者たちを蔑むことなく、かえって、自ら、周辺(下)に置かれた者として、その命を守り、正義を明らかにすること。「暗くなることも、傷つき果てることもない この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む」。

「神(真に力ある全能者)は天を創造して、これを広げ 地とそこに生ずるものを繰り広げ その上に住む人々に息を与え そこを歩く者に霊を与えられる」と、「主である神(神なる主)は(主の僕に)言われる」。主イエス・キリストは、「アブラハムの子、ダビデの子」(マタイ1章1節)と証される。主なる神は、息子イサクを献げた、アブラハムに「あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがたわたしの声に聞き従ったからである」(創世記22章18節)と約束された。アブラハムは、始めから特定宗教の父祖に相当させるための者ではなく、主なる神の約束において召された、一人の僕。「主であるわたしは、恵み(正義)をもってあなたを呼び あなたの手を取った(握った)。民の契約、諸国の光として あなたを形づくり、あなたを立てた」「見ることのできない目を開き 捕らわれ人をその枷から 闇に住む者をその牢獄から救い出すために」主の預言は、まことの神が、そのはじめ、そして、過去、現在、将来の主であり、導き手であり、救う力のある方であることを証しする。偶像の神々は無力。真の新しさは、命の更新にある。

おわりに

シメオンは、死期を前に、救いの命をイエスに見た。死後の命にまさって、「万民のために備えた救い」「異邦人を照らす光」、民の栄光を。真の正義と平和の実現がここに。



(Mynote)


二〇二四年一二月二九日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。

(子供メッセージ)

『スコットランド教会新カテキズム』

「使徒信条における二つ目の箇条は何ですか。」

「神の御子のお名前と称号です。」

イエス様がお生まれになる時のエピソードが引用された。イエス様は、全ての人にとって唯一の救い主であり、神様の一人子である。イエス様の誕生とその生涯は、初めから神様が天使を通して、全ての人に約束したものであり、その約束(契約)は今でも変わらず。お祈りをする時は「イエス様の御名に依り…」と祈るこの事も、その約束が生きて居る証に在る。

(公同礼拝)

『イザヤ書』(第四二章一〜九節)

『ルカによる福音書』(第二章二八〜三五節)

この両箇所はイエス様の誕生からその意味、公生涯と呼ばれるイエス様の生涯に就いて語る。『ルカによる福音書』では現行の事として、『イザヤ書』では預言の形で記される。

「私の支持する我が僕(しもべ)」とは救い主の事であり、イエス様の事である。僕(しもべ)とは仕える者の事で、人の子・イエス様は罪人を救う為、その人に仕える形で誕生された。詰り全ての罪人の為に来られたのであり、全ての罪人がその罪の内から救われる為の働きを成しに来たのである。このイエス様に託された使命は神様から来て居る。

本来、礼拝される主(しゅ)である神様、その人として来られたイエス様が「僕(しもべ)」とは矛盾する。崇められる存在である。これは人には考えられない主の謙遜が示されて在り、それ程の愛を以て神様(イエス様)は人に仕え、その罪人の為に働きを成したと言う事。

「彼は叫ぶ事無く、声を上げる事無く、その声を巷に聞こえさせず」

とは、現代でも人が苦しみに遭う時、その苦しみを誰にも知って貰えない事を示す。伝えて、同情を貰う事は出来ても、その人の苦しみを他人がそのまま経験する事は無い。その上でイエス様は、その自分の救い主としての権威を人の上に翳す事をせず、沈黙した。

「イエスはこれを知って、そこを去って行かれた。ところが多くの人々が付いて来たので、彼等を皆癒し、そして自分の事を人々に現さない様にと、彼等を戒められた。これは預言者イザヤの言った言葉が、成就する為である。」(『マタイによる福音書』第一二章一五〜一七節)

その上でイエス様は、傷付いた葦折る事無く(か弱い罪人を挫く事無く救って癒し)、仄暗い灯心を消す事無く(常に救いと希望を祈りを通して教え)、真実を以て道を示した(唯一キリストに依る救いの道を全ての罪人に示した)。

罪人にとっての救いは唯一、キリストの真実のみから来る。人が造り上げ、悪魔が造り上げた邪教に救いは無く、在るのは自滅・破滅のみである。

「彼は衰えず、落胆せず、遂に道を地に確立する」(『イザヤ書』第四二章四節)

公生涯でイエス様が科された苦しみを踏まえ、その上で神様がイエス様を通して全ての人に与えた救いは衰えず、落胆させる事無く、その信仰の途(みち)が最後まで救いを灯し光り続ける事を教える。

人は皆、罪人である。だから唯一のキリストに依る救いに与らねば成らない。

人は見た儘・聞いた儘でしか語れない。だからキリストの真実(奥義)に就いて曲解する事があり、それをそのまま他人に伝える事がある。イエス様が人を救われ癒した事を他人に伝えても、その時の人の間で曲解が生まれ、自己解釈により人の合理で片付け、自分の主観を以て語る。これを避ける為、イエス様はこの時「自分の事を人々に現さない様に」と戒めたのではないか。

人は苦しみに遭う時、心の正直を以て、声に成らない声を叫ぶ事がある。その正直は信仰の前で最も鋭く、神様にその時の自分の全部を訴える事に他の成らない。イエス様が十字架の上でこう叫ばれた。

「我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか」

これは人としてお生まれになったイエス様の心の正直に在り、全ての罪人(現代人)が苦しみに遭う時に叫ぶ声と同じに在る。その上で、

「父よ、私の霊を御手に委ねます」

と言って遂に息を引き取られた。

神様の下(もと)で、全ての罪人は常にイエス様と共に在る。全ての人は、イエス様に従わねば成らない。

教会は聖霊に満たされねば成らず、人の常識・合理に溺れては成らない。イエス様の聖霊に従う為に。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MCyjy8BuIIw&t=139s


アーサーホーランド 2024.12.24 成増教会 クリスマスイブコンサート礼拝

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=qEb8uxrgQW4


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%86/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【アップ】2024年12月29日 主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります 天川裕司 @tenkawayuji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ