未来を紡ぐ者たち
まさか からだ
第1話 意識の門
人類の歴史において、意識という存在は常に神秘の領域だった。だが、技術が飛躍的進歩を遂げた21世紀後半、意識そのものをデータとして扱うというアイデアが現実のものとなった。 「EON(意識の量子ネットワーク)」――この革新的な技術は、量子力学と神経科学を融合させ、精神のデータ化を可能にした。その誕生は、科学界を越えて世界全体に衝撃を与えた。
EONの開発者であり科学界の天才と呼ばれる坂井博士は、その技術をこう説明する。
「EONは単なる技術ではない。これは、人類が自らの意識と向き合い、その深淵を探るためのツールだ。」
EONの基本的な仕組みは、量子コンピュータを活用し、人間の脳波やニューロンの信号をリアルタイムで解析・変換するというものだ。この技術により、意識は具体的なデータとして記録されるだけでなく、仮想空間上に投影される。これにより、個人の思考や感情、記憶を視覚的に「見る」ことが可能になったのだ。
しかし、EONの応用範囲は単なる記録に留まらない。その最大の特長は、記録された意識を共有し、他者との意識の「交信」や、仮想空間上での「体験」を可能にする点にあった。この機能は、精神医学や教育、エンターテインメントの分野で大きな期待を集めたが、一方で懸念も強かった。
「意識を操作することは、人の自由意志を侵害する行為ではないか?」
この問いは、開発初期から繰り返し議論されてきた。だが、それでもEONの研究は止まらなかった。坂井博士は、人類がその問いに答えを見つけるための第一歩として、技術を公開する決断を下したのだ。
主人公・明日香は、坂井博士のチームに所属する若き科学者だった。心理学と神経科学を専攻した彼女は、EONプロジェクトの倫理的側面を専門に研究していた。しかし、彼女がこのプロジェクトに参加した動機は、純粋な学問的好奇心だけではなかった。
「明日香さん、これで本当に良いのですか?」
かつての親友であり現在は反EON派の活動家である洋一の言葉が、今でも耳に残っている。彼は、EONが「人間の意識という神聖な領域を破壊するもの」だと主張していた。だが明日香は、自分の選択を後悔していなかった。
「私は知りたいの。私たちが意識の中でどれだけ自由になれるのか。そして、それが私たちの未来にどう影響を与えるのか。」
そう自分に言い聞かせるたび、胸の奥で小さな不安が疼いた。それは、彼女自身がEONを通じて向き合わなければならない問題でもあった。
EONの試験運用が始まる日、明日香と彼女のチームは最終確認のため、研究施設の中枢にある実験室へと足を運んだ。そこには、複雑な配線が張り巡らされた量子コンピュータと、EONへの接続を管理するための巨大なコンソールが鎮座していた。
「明日香、準備はいいか?」
チームリーダーであり明日香の師でもある田嶋教授が声をかける。彼の眼差しは、興奮と不安が入り混じった複雑なものだった。
「もちろんです。私たちがこれまで努力してきた成果を、ついに確かめる時ですから。」
明日香の言葉に、他のメンバーも頷く。だが、その場にいた全員が薄々感じていた。「未知の領域」とは、単に科学技術のことを指しているのではない。EONの技術を通じて、彼らは人類の精神そのものに足を踏み入れようとしていたのだ。
接続が開始されると、明日香の視界は一瞬で真っ白になった。EONが意識をデータ化し、仮想空間へと変換する過程だ。次の瞬間、彼女は自分が広大な空間の中に立っていることに気づいた。
そこは、現実世界には存在しない「意識の迷宮」だった。
「ここが、私たちの心の中……?」
静寂の中に響く彼女の声が、やがて無数のエコーとなって消えていく。その時、明日香は確信した。EONはただの技術ではない――それは、人間の本質に迫るための「門」なのだ、と。
これが、明日香たちが挑む物語の始まりだった。
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