居場所を探して:感情の波と共に生きる

星咲 紗和(ほしざき さわ)

第1話 子供の自分と感情の爆発

子供の頃、私はとにかく「弱い」と感じることが多かった。学校に行けばいじめにあい、心がすり減るような日々だった。何度も「我慢しなきゃ」と自分に言い聞かせたけれど、時には限界を超えてしまうことがあった。


その日は、クラスメイトの何気ない一言が引き金になった。「また泣いてるの?」と冷たく笑われた瞬間、何かがプツンと切れた気がした。机にあった傘を掴んで思い切り投げ、周りの机を蹴り倒していた。その時の私は、怒りというよりも「どうにかして自分を守りたい」という必死さに駆られていた。けれど、返ってきたのは冷たい視線と、笑い声。それを目にした途端、涙が止まらなくなり、結局また「泣いて終わる私」になってしまった。


怒りを爆発させても何も変わらない。それどころか、余計に「弱い」と見られる。そんな思いが私の心をさらに追い詰めていった。感情を吐き出すことは「悪いこと」だと、いつの間にか自分で決めつけるようになった。


家に帰ると、母に「どうしたの?」と聞かれたが、何も答えられなかった。ただ、「大丈夫」と言って、部屋に閉じこもる。壁に向かって座り込みながら、心の中ではずっと「どうして自分はこんなに弱いのだろう」と問い続けていた。


本当は、誰かに「辛かったね」と言ってほしかった。何もできない自分を責める代わりに、「それでもいいんだよ」と肯定してくれる人がいたら、少しは心が軽くなっていたかもしれない。でも、当時の私はそんな場所も人も見つけられなかった。


振り返ると、あの頃の私は「怒り」や「悲しみ」を通じて、無力な自分を守ろうとしていたのだと思う。自分の存在を必死に主張しようとしていた。でもその方法がうまくいかなくて、結果的に自分をさらに追い詰めてしまったのだ。


感情を爆発させても、泣いて終わる。それが私の子供時代の現実だった。そして、それが心のどこかで「どうせ自分はダメだ」と思い込むきっかけになっていった。


けれど今振り返ると、あの時の自分を責める気持ちは少し薄れてきた。幼いながらも、私なりに必死に生きていたんだとわかるからだ。その必死さは決して悪いものではなく、ただ表現の仕方がわからなかっただけなのだと思う。

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