氷の薔薇がとけるまで 遺言で知った婚約者に、政略結婚を望んでいたはずの女王陛下は恋に落ちる

乙原ゆん

1.不本意な婚約1

「シルヴィア……、お前のために婚約を整えている」

「お父様、今はそんなこと良いのです」


 今にも息が絶えそうな微かな声に首を振って、私はお父様の手を握りしめた。

 医師からは今夜が山だと聞いていた。お父様の病は、高い魔力を持つ王侯貴族によく発症するものだ。治療法はなく、一度発症すればゆるやかに死に向かう姿を周りは見守ることしかできない。お父様の発症を知らされてから今日まで見守っていることしかできなかった。


 いつだって私を導いてくれたお父様の手は、力がなく、かさついている。ぬくもりだけではなく私の命も渡すことができたらいいのに。お願いだから、少しでも長く生きて欲しい。私はこぼれ落ちそうな涙を瞬きで散らした。


「彼は――」


 お父様は、かすかに首を振り、苦しげに咳き込む。

 そうまでして告げたのは国外の王族の名だった。


「きっと、……彼は、お前を幸せにしてくれる、はず……」

「わかりました。だから、どうか、今少しお水を――」


 吸いのみから水を一口含むと、お父様は肩の荷が下りたかのようにほっと息を吐く。

 虚ろな瞳が、眩し気に何かを見つめた。


「ようやく、わしもミルフィアの元へ……」

「お父様……? 待って、お願い、一人にしないで――!」


 お父様は最後にお母様の名を呼び、長い沈黙が残った。


 お父様が亡くなった翌日、私は女王として即位した。

 女王として、まず初めにやったことは、前王陛下であるお父様の国葬を手配することだった。

 貴族達も国葬に参列する。今は真冬だが、どんなに雪が深くとも、国内の道路は整備されていて雪の影響はない。

 歴代の王の葬儀がそうだったように、国外からの弔問は受け付けない。

 私が女王となるこのグレイシス国は、他国との国交がほとんどない。王の交代を国外へ通知はするが、それも雪解けを迎えてからだ。冬の国境は雪で閉ざされる。

 列席者に見送られ、お父様は王城内に建つ聖堂の地下のお母様の隣に埋葬された。


 全てが終わり、私は聖堂で一人にして欲しいと願った。

 お父様はここ数年伏せりがちで、去年から病床についていたし、覚悟はしていたつもりだったが、実際に身に受ける衝撃はかなりのものだった。


 両親の子は私一人だけだ。

 女王として、そう簡単に弱った姿を見せることはできない。

 一人の個人として悲しみに向き合うことが許されるのは、今だけだろう。

 どれくらいそうしていたのか、控えめなノックの後、聖堂の扉が開き、二人の男女が入ってきた。


「この度は、お悔やみ申し上げます」

「ありがとう。デュフォ公爵。リサも来てくださったのね」

「陛下、どうか、今はローランドと」

「私も、シルヴィアでいいわ」


 二人はお父様の弟の子で、私からすると従兄弟にあたる。

 私は毛先に行く程青く染まった銀髪だが、彼らはどちらも淡い金髪で、私と同じ王家によく出るアイスブルーの瞳を受け継いでいた。

 彼らの両親もお父様と同じ病で数年前に亡くなっている。

 ローランドは私の一つ上で、彼を王位にという声もあったが、彼は辞退していた。表向きは私の方が魔力があるからだが、実際は彼の妹のリサに生まれつき持病があり、ローランドからは可能な限り側にいたいと聞いている。


「シルヴィア様、一人のお時間をお邪魔してしまい申し訳ございません」

「いいのよ。そろそろ行かなければと思っていたから」

「少々お待ちを」


 ローランドが手のひらに魔力を集中させ、私の目元にかざす。すると、腫れて痛くなっていた目が幾分か楽になった。


「これくらいしかできませんが」

「ありがとう。ローランドは治癒魔術もできたのね」

「わずかなことしかできませんが、腫れはひいたはずです」

「助かるわ」


 微笑んだつもりだが、うまく笑えているだろうか。リサが、その華奢な手で私の手を取る。


「シルヴィア様、どうか、お辛い時は一人で抱えこまれないでください。私では、お話を聞くこと位しかできませんが、それでも、シルヴィア様のお役に立ちたいと思っているのです」

「リサ、ありがとう。その時には遠慮なく、頼らせてもらうわ」


 温かな気遣いが嬉しかった。再び滲んだ涙をどうにかこらえると、ローランドに向き合う。


「それで、ローランド、ここに来たのは私の様子を見に来ただけではないでしょう。何か要件があったのではなくて?」


 時計を確認すると、結構な時間が経っていた。


「ボードリエ侯爵が今後のお話をなさりたいとのことです」

「そう」


 ボードリエ侯爵は、お父様が即位する前からこの国の宰相の任についていた。

 この後、私は一ヵ月の喪に服するとはいえ、悲しみだけに浸るわけにはいかない。

 宰相とは今後の方針を早々に話し合う必要があるだろう。

 気持ちを切り替えた私に、ローランドが声をかける。


「陛下、先ほどリサが述べましたが、どうか、私達にできることでしたら何なりとお申しつけください。私達は公私関係なく、陛下をお支えしたく思っております」

「ええ、助けて欲しい時にはお願いするわ」


 リサのことがあるローランドに頼り切ることは難しいが、申し出はありがたかった。


「でも、今は公爵はリサを優先してあげて。リサの顔色が悪いわ」

「感謝いたします」


 聖堂を出ると、侍従が控えていた。

 彼らに馬車を二台回すように命じる。ローランド達には直接帰宅する許可を与え、私は一人城へと戻った。

 悲しみを全て覆い隠すように、雪は降っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る