第1話 狼の国①

 勇暦と呼ばれる暦が始まったのは、今から1000年近く昔のこと。エルフでも千年超えて生きている者はおらず、遥か昔の出来事を直接知る者はいない。


 だが、その千年前に何が起きたのかは数百年前まで生きていた者たちの手で記録に遺されている。それら過去を記した記憶と、百年と少しの歴史を持つ考古学で暴かれていった古代の遺物とが、現代を生きる者たちがその始まりを知る手段となっている。


 今から1500年ほど昔、アシリピア大陸には人間族の大国があった。一人の皇帝と百人の元老が治めるその国は、選挙で定期的によい元老を選ぶことによって安定した政治が取られていた。国家を守る軍団も優秀であり、市民は自ら志願して槍と盾を手にした歩兵軍団を誇りとしていた。


 その大国は、東の海を渡って現れた魔王によって滅ぼされた。凶悪な攻撃魔法と魔獣の軍団を以て攻め寄せた魔王軍は大陸のほとんどを支配し、広大な支配圏を手に入れた。人間族もこれに抵抗したが、魔術と保有戦力において大きく劣る彼らの奮戦叶わず、瞬く間に西へと追いやられていった。


 そんなある時、アシリピア大陸の北西部に一つの国が現れる。精霊と竜と共に生きる国ログレシア王国は、大陸の大半を支配下に置いていた魔王軍と対立し、衝突。200年近くに及ぶ戦争を繰り広げた。そしてある時、精霊から加護を受けた一人の若者が立ち上がり、魔王軍に戦いを挑んだ。


 10年近くに及ぶ争いの果てに、若者率いる勇敢な戦士たちは魔王を討ち取った。指導者を失った魔王軍はアシリピア大陸から去り、平和が取り戻された。


 人間族の生き残った国家はこれを喜び、若者を勇者と呼んでその業績を褒め称えた。そしてこの栄光を永遠に語り継ぐために暦を作った。それが、勇暦の始まりである。




 勇暦938年12月の初め。ヴィルキシア王国の首都マゾフシェスクは降り積もった雪で白く輝いていた。


 東寄りの内陸部に位置するこの都市は、人口200万を抱える。かつては魔王が夏季に過ごすための避暑地として扱われていた場所で、勇暦が始まって以降は北より進出してきた遊牧民の入植により都市として形成されていった経緯を持つ。


 ウィスワル川を挟む形で東の平野に旧市街が、西の平野に新市街が築かれているマゾフシェスクの朝は早い。旧市街の広場で開かれる朝市が、地元に住まう音楽家たちの演奏を合図にして始まり、多くの市民が食材や日用品を求めて集う。


 その顔触れは多様である。狼の様な耳と尾を持つ狼人族を筆頭に、緑色の肌が印象的なゴブリン。動物に近しい見た目をした獣人族に、頭から生える角が特徴的なオーガ。果てには笹穂型の耳を持つエルフに低い背丈と逞しい筋肉がトレードマークのドワーフまでもいる。


 新市街の道路上では荷台に木箱を積んで自転車で運ぶオークの商人と、柄に鞄を吊り下げ、箒に跨りながら低空を飛ぶ人間族の魔法使いが並走しており、空中では箒の代わりにさすまたを跨いで宙に浮かぶ警察官が交通整理を実施している。電線の類は一切無く、空中では大勢の市民が空に浮かび、地上と同様に行き交っていた。


 そして東側の旧市街にあるマゾフシェスク王宮の国王執務室。エカチェリーナ・キリルスカヤ・ステファノスカヤは、父にして現国王のレーフ・キリルスカヤ・ステファノスキの下を訪れていた。


 レーフの姿を見た者は、まず間違いなく『老練な狼』の印象を持つだろう。銀色に輝く髪と、その頭部に生える一対の耳。そして琥珀色に輝く双眸は、多くの狼人族に共通する外見の特徴であり、『ヒトの姿を得た狼』だと呼ばれる所以を証明するものだった。


 対するエカチェリーナの容姿はというと、腰まで伸ばした銀色の髪は父と同じ輝きを放っていたものの、耳は人間族と同様に真横に位置し、瞳は青い。しかし一目見た者の多くは彼女を古代の神話に出てくる女神の様だと褒め称えるだろう。


 彼ら狼人族の歴史は、魔王が大陸の東半分を支配していた時代から始まる。多くの奴隷を抱え、それを誇りとしていた魔王は忠実な戦士と強大な後継者を欲していた。魔族の社会は実力主義であり、血縁ではなく実力で以て魔王の地位を引き継ぐべきだと考えていた。その中で魔王は、使役していた魔獣と人間族の奴隷を掛け合わせて、新たな人間を生み出した。


 魔王軍が使役する魔獣軍団と災竜は非常に強かったが、知能は並みの生物と同等であり、人間族が仕掛けた罠に引っかかって返り討ちに遭うことも珍しくなかった。この罠を人間並みの知恵で見え破り、魔獣の強力な能力で打ち破る戦士を魔王は欲していた。


 魔狼の生息地として統治されていたヴィルキシア地方と、その北東のリザドニア半島にて計画的に繁殖された人造人間の集団。それが狼人族ヴィルクスキー蜥蜴人族リザドスキーの始まりだった。彼らは勇暦前200年頃に始まったログレシア王国との戦争で勇ましく戦い、魔王軍からいち種族としての繁栄を認められた。


 だが、彼らの主が魔王から変わるきっかけが勇暦前10年頃に起きた。勇者の登場とノルド人勢力の南下である。大陸北部の大鷲半島を出でた狩猟民族のノルド人は、南の温暖な地を目指して魔王軍と衝突。ログレシアより軍事支援を受けた彼らは魔王軍の魔獣と災竜を次々と狩り、魔王という共通の敵を持つ勇者を支援。破竹の勢いで進撃していった。


 そして魔王が勇者に倒され、アシリピア大陸の支配者が再び人間族の下に戻ったとき、大陸の東半分はノルド人の治める国、ノルディニア帝国となっていた。狼人族と蜥蜴人族はノルド人に下り、彼らの下で戦士として戦い続けることとなった。


 その中で、一人の人間族の男がヴィルキシアの地に現れた。カジミェシュ大領主ウェリキーはノルディニアから派遣された総督で、彼は狼人族にいち民族としての可能性を見出していた。彼は狼人族の妻を持ち、多くの子を迎えた。そして現地の産業育成に注力し、国内での狼人族の発言力強化にも勤しんだ。


 カジミェシュの政策は、彼がこの世を去った400年後の勇暦6世紀頃に花開く。この頃にはアシリピア大陸の西側を支配する大国カルスラント帝国の発展が著しく、加えて東の海の向こうにあるイサベリア大陸では、魔王軍残党が建国したロゼリア帝国が版図を拡大。ノルディニアは東西に大きな敵を構える形となっていた。それらに軍事力と経済力で対抗するために、ヴィルキシアの進んだ産業が大いに役立ったのだ。


 しかし、ノルディニアの栄光は永遠に続かなかった。勇暦914年、ノルディニアは大陸全土に宣戦布告。世界大戦の幕が上がった。ノルディニアと反カルスラント同盟諸国と、カルスラント帝国を中心とした大西洋同盟の全面衝突にて、狼人族は多くの青年が従軍し、そして死んでいった。そうした犠牲の積み重ねはやがて、宗主国に対する不満と怒りを生み出すこととなった。


 開戦から5年が経ち、ノルディニアが敗北濃厚となると、現地の士族シュラフタを中心に独立運動が勃興。そして終戦間もない勇暦918年11月11日、ヴィルキシア王国はレーフを初代国王として独立したのであった。そして20年の月日が経ち、現在に至る。


「お父様。私、軍に入ります」


「…軍に、か。士官学校か?それともまさか、志願入隊か?」


 娘の報告に驚きつつも、レーフの声色に動揺の色は見えない。この国において大頭領マグナートの身分にある者は国民の模範となるべく、何かしら公務に就くことが求められる。さらにこの国は国民皆兵の原則を掲げており、女子も軍に身を置くことはさして珍しくもなかった。


「士官学校を経ての入隊です。こんにちの我が国を取り巻く環境は険しさを増しており、私も私なりに祖国に貢献したいと考えた次第です」


 娘の言葉に、レーフは困った様に苦笑を漏らす。だがエカチェリーナの考えに至った理由もわからなくもなかった。独立から20年の月日が経ち、この国は富んだ。それ故にヴィルキシアの豊かさを羨み、妬む国は多い。その栄えある祖国を愛する気持ちは、為政者の娘として生まれた以上に『国の姿を成した狼人族の子供』としての意識がもたらしているのだろう。


「…分かった。試験に合格した際に備えて手続きの準備は進めておこう」


「ありがとうございます、お父様。では、失礼します」


 エカチェリーナは深く一礼し、執務室を出る。そして廊下を歩く中、壁に掛けられた一つの肖像画の前で止まる。その肖像画は伝統的な帽子をかぶり、円形の盾を傍に立てた人間族の男―ヴィルキシア民族の英雄カジミェシュ―を描いており、エカチェリーナは右手拳を喉元に当てる形で敬礼を捧げた。


 この翌年、エカチェリーナは王国軍士官学校に入学。まる四年に及ぶ薫陶の日々を過ごす事となる。




 北部にある港湾都市グダノスクは、建国以前よりこの地域の海運と造船に携わってきた歴史ある地である。マトワヴァ川の下流が市の中央を流れるこの都市は、付近の漁港で陸揚げされた海産物を河川を用いて内陸へ運び、首都マゾフシェスクを含む内陸部の都市に海の幸を供給する役目で大いに栄えた。


 無論、海の恵みに与るこの都市を狙う敵も多い。それを守るべく河口付近には海軍基地が整備され、付近のノルディニャともども北部海域の防衛を担っている。その基地の内部にある食堂で、一人のゴブリンの男が食事を取っていた。


「ロドフスキ提督。相席、よろしいでしょうか?」


 声を掛けられ、ロドフスキと呼ばれた男は顔を上げる。その目の前には一人のオーガの男の姿があった。白い制服を身に纏い、その肩には中佐の階級章。頭から生える角と干渉しない様にベレー帽タイプの制帽を被っており、両手で持つトレーには料理が乗っていた。


「ああ」


 軽く応じ、ロドフスキは向かい合う様に座る。彼は牛肉のシチューと厚切りのトースト、そしてサラダの組み合わせのランチであり、彼はスプーンでシチューを口に運び、細かく千切ったトーストを口に放り込む。そしてコップに入った水を一飲みした辺りで、ロドフスキは声をかけた。


「貴官は見ない顔だが、何処から来た?」


「は…本官はクルレビエツより参りました。現在ここグダノスクにて建造の進む新型空母の艤装員長に任ぜられ、就役を待つばかりであります」


「ああ、「ズウィチェスキィ」の事か。我が国があの様な巨艦を建造出来るようになって、はや10年…海軍工廠に務める者たちや、古くから造船に携わる者たちにとってこれほどまでに喜ばしいことはないだろう。えっと…」


「メチスキー中佐であります、提督。「ズウィチェスキィ」就役後は大佐となりますが…」


「となれば、卿はすでにズウィルスキ提督と顔合わせを済ませたところか。これからよろしく頼むよ」


 ロドフスキはそう言いつつ、ナイフでカットしたばかりのステーキを口に運ぶ。とテーブルの片隅から物音が聞こえ、二人はそちらに目を向ける。そこには一人の老いた狼人族の将官の姿があった。


「アレは…海軍軍令部長のリンドストローム提督ですね。随分とやつれている様ですが…」


 席を立ち、コーヒーカップ1杯だけを手に立ち去る老将を見送りつつ、メチスキーは尋ねる。ロドフスキはため息をつきつつ答える。


「リンドストローム提督か…『ドジョブオルラ半島沖海戦』のことは知っているな?」


「は…ノルディニア帝国海軍艦隊とロゼリア帝国海軍艦隊の決戦ですね?確かリンドストローム提督は偵察艦隊に所属していたと…」


「その海戦の起きる数週間前、ロゼリア帝国は大東洋上の植民地を拠点に通商破壊作戦を実施していたんだが、その際東部沿岸部に艦砲射撃も行っていたんだ。当然被害が出るわけだが、その犠牲者の中にリンドストローム提督の細君もいた」


 そこまで聞いて、メチスキーは息を呑む。ロドフスキは説明を続ける。


「戦後、ノルディニアは軍備制限を課され、提督は退役した。だが我が国が独立した後、陛下からお声をかけられ、我らが海軍の創立に尽力なされた。あの様な姿はその頃から続いている」


「…」


「ドジョブオルラにていち戦艦の艦長として参戦した後、提督はすっかり変わってしまった。権力に対して人一倍貪欲になり、軍備計画においても多大な発言力を得ている。特に提督が一番権力を発揮したのが、今ノルディニャで建造中の新型戦艦だ」


 そこまで聞いて、メチスキーは怪訝な表情を浮かべる。去年に起工され、ノルディニャの海軍工廠で建造が進められている新型戦艦は、計画が立ち上がった頃から多くの反発を生み出していた。


 創立以降、ヴィルキシア海軍は機動力を重視した戦力整備を進めており、予算と設計についてもそれに応じたものが行われてきた。しかし勇暦931年、ロゼリア帝国海軍が新型戦艦の建造計画を発表。これを受けてリンドストロームは軍務省経理部と海軍軍令部に対して干渉し、計画の大規模な変更を進めた。


 この世界に存在する、如何なる戦艦をも凌駕する超大型戦艦。それがリンドストロームの欲したものだった。人口六千万の中規模国家の身の丈に見合わぬ要求に対し、彼をスカウトした国王レーフもその必要性について、王前会議ではなく元老院セナトの場で問うた。


 だが、彼はすでに入念な根回しを済ませており、官民双方から多くの支持者を得た上で計画の立案と実施を強行。勇暦932年度予算に1億ズウォトの巨額をねじ込み、ノルディニャに整備された海軍工廠で建造が決定された。


「ノルディニャの新型戦艦については、非常にリンドストローム提督の意向が強い。基本設計の時点でドジョブオルラ半島沖海戦の戦訓を盛り込み、建造スケジュールに対しても干渉し、果てには進水式での命名権までも我がものとしている。全く、我儘の域を超えているよ」


「…先程の姿からは、全く想像も出来ませんが…一体何が、提督を突き動かしているのでしょうか…」


「そればかりは、提督から直接聞くしかあるまい。だが、提督はロゼリア帝国海軍を強く恨んでいるのは確かだろうな」


 ロドフスキは語り終え、食事を続ける。対するメチスキーも、沸き上がってきた様々な感情を腹の底に押し込める様に、シチューの牛肉をフォークで突いて、自らの口の中へ放り込んだ。

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