令嬢たちの戦想録
広瀬妟子
プロローグ
26年前、戦争があった。
いや、争いならば遥か昔から世界中で起きていた。人が神を知り、魔法を使う以前から繰り返されてきた事は、1000年の時を経てその極みへと至ろうとしていた。
勇者が魔王を倒してから800年。その頃に起きた最初の異変は文明の象徴を『剣と魔法』から『銃と科学』へと移らせ。一発の弾丸が引き起こした最初の世界大戦は国の主を『王と聖地』から『民と商店』へと移らせた。
そして二度目の世界大戦は、世界そのものが新たな高みへと歩み始める時代の始まりを告げる機会となった。その道のりは真冬の山の様に険しいものであり、それ故に祖国を含む世界中の国々で苦難を耐え切ったもののみが、欲して止まないものを得られた。
私はここに、軍に身を置き、三度目の世界大戦まで戦い抜いた60年を記そう。願わくば私のここに綴る出来事の全てが、再び世界に現れぬ事を切に願う。
(エカチェリーナ・キリルスカヤ・ステファニスカヤ『回顧録』より)
エカチェリーナ・キリルスカヤ・ステファニスカヤは、ヴィルキシア王国の南東部にある都市リヴィスクを訪れていた。
この世界で最も大きい陸地であるアシリピア大陸の一番東に位置するヴィルキシアは、南北にかけて多様な気候を誇り、一つの地域には収まり切れない光景を彩っている。国民を構成する種族も多種多様であり、その多様性がヴィルキシアの社会と文化を豊かなものとしていた。
その中でも南東部のガリチア半島は温暖な気候であり、そこに住まう人々はオリーブ色の肌が輝くホブゴブリンや、古くは海賊の一族として名を馳せてきた半魚人がほとんどである。リヴィスクはそういった陽気なゴブリンと勇ましい半魚人が築き上げた港町であり、漁港には百隻もの漁船が詰めかけている。
その漁港から南へ15キロの地点に、魔法で海底を隆起させた上で崖を切り崩し、埋め立てて作り上げた広大な敷地がある。そこには長大な滑走路と斜め上に向かって伸びるレール、そして幾つもの建造物が並んでいた。その中の一つ、司令部に内包された管制室にエカチェリーナの姿はあった。
「お久しぶりです、殿下。いや、統合参謀本部長閣下。その勇ましいお姿が全く変わらぬ様で何よりです」
声が聞こえ、エカチェリーナは視線をその声の主へと向ける。濃い緑の肌と大柄な身体が特徴的なゴブリンロードの男。その男は王国空軍所属を示す青色の制服をまとっており、敬礼しながら話しかけてくるのに対して彼女も敬礼で応じた。
「こちらこそ、お久しぶりですグラズツキ大将。宇宙軍初代司令官の着任おめでとうございます」
「ありがとうございます、閣下。それと聞きましたよ。近々、回顧録を出版されるそうですね?」
「ええ…軍に身を置いて、もう八十年以上も経ちます。その間に私は多くの争いを目にし、そして加わってきました、それを明確に記録に残し、私たちの記憶を伝えていかなければなりません。特に、我が国のみならず世界全てに破壊を振りまいた戦争なればこそです」
そう語る彼女の目つきは鋭い。顔の右側には大きな傷跡が走り、失われた右目は魔法義眼が補っている。その傷を負う原因となった過去の戦争は、グラズツキも十分に知っていた。
「閣下は第二次大戦から従軍しておられますからな。終戦からもう八十年は経ちますか…魔族にとっては余裕な年月でも、人間族にとっては非常に長い年月です。今年で統合参謀本部長の職を退くとお聞きしましたが…」
「ええ…私は人間の一生分は戦いました。将来の軍のためにもさっさと退き、後身に任せるべきものを任せます。そして回顧録ですが、少なくとも、私が軍に身を置いたときからの事は書き上げようと思います。そして戦場でともに戦った者たちのことも…」
そう答えたその時、管制官の一人がグラズツキへ報告を上げる。
「グラズツキ司令、海軍第一艦隊より入電です。洋上での緊急事態に備え、全艦艇が展開完了したとの事です」
「了解した。海の連中が張り切っているんだ、俺たちも一切気を抜かずに、作業を進めるぞ。何せ一番最初に快挙を達成したのは我が国なのだからな」
指示と報告が飛び交う中、エカチェリーナの背後に一人の男が立つ。頭から二本の角を生やし、逞しい肉体を白色の制服で包んだオーガの男は、彼女に敬礼しつつ声をかける。
「やはり本部長閣下もご見学に来られましたか。聞いての通り、第一艦隊も『お出迎え』のために総出でリヴィスクの沖合に展開しております。脱出カプセルが彼らに釣り上げられることのない事を願っていますよ」
「貴方は確か、軍令部長のご子息の…」
「第一艦隊幕僚監部に属する、メチスキー少将です。此度は閣下へ説明を行うべく、こちらに参りました。上段の一番右のモニターをご注目下さい」
メチスキーはそう言いながら、モニターの一角を見つめる。そこには1隻の巨艦の映像が映し出されていた。
「戦艦「ウラディレーナ」です。「プレテンデント」号を出迎えるために、再び釜に火を入れてここまで来てもらった次第です。閣下もよくご存じの艦ではありませんか?」
「ええ…思えば、あの戦争は「プレテンデント」のピウツスキ船長と「ウラディレーナ」とで駆け抜けた6年間でした。今となっては非常に懐かしい思い出です」
エカチェリーナはそう返し、間もなく大気圏を抜けて姿を現す宇宙船が映し出されるだろうモニターに視線を変える。そして彼女は一人、小さく呟いた。
「…随分と長く、ここまで生き延びてしまったものね」
令嬢たちの戦想録 広瀬妟子 @hm80
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