勇者の走還

九重

第1話

 ある日突然異世界に転移して、チートをもらって勇者になった。

 世界をまたぐ旅をして、魔王を倒し英雄に。

 旅の間に愛し合った王女と結婚し、王冠を頭上に戴いた。

 国の隆盛を極め、数多の人々に幸せをもたらし、自分も幸せになって――――。


 でも、そんなものなんにもならないのだと、死を目前にそう思った。

 愛する妻が、家族が、友が、国民が俺のために祈ってくれるけど……でも、俺の中にはなにもない。


『この世界を救ってくれて、ありがとう。○○さん、約束通り最期にあなたの望みを叶えましょう』


 死の間際に、俺をこの世界に転移させた女神が現れた。

 呼ばれた名前が、俺を一瞬にしてあの日に突き落とす。


『永遠の命でも、神の位でも、もう一度若返ることも可能ですよ』


 慈愛に溢れた言葉。

 目も眩むほど優しい笑み。


 ――――俺は首を横に振った。

 望みは、ひとつだけ。


「俺を、地球に、転移したあの日、あの時間に帰してくれ!」


 女神は美しい顔に戸惑いを浮かべる。


『それではあなたは死んでしまいますよ?』


 トラックにひかれる寸前だったのだから当然だろう。

 でも、それでいいのだ。

 俺は――――俺だから。


 勇者なんかじゃない!

 国王なんかじゃない!

 神になんてなりたくない!


「俺を、俺として! ただの日本人のとして終わらせてくれ!」


 あの日の前日、俺は知らないうちに罪を犯していた。

 そのために大切な人を失って、そしてはじめて自分の過ちに気がついた。

 人生に絶望して――――だから、迫ってきたトラックは、俺にとって“救い”だったんだ。


 それが異世界転移して、

 生まれ変わって、新たな人生を生きて、

 幸せになれると思ったけれど――――でも、違った。


 俺は俺だ。

 俺以外の何者でもない。

 あの日、あの時の、罪人の俺なんだ。

 どんなに上書きしたって変われない。


 変われたと思ったけれど、変わっていなかった。


 死を目前に、それを思い知る。


「俺を地球に帰して、情けない罪人の俺を終わらせてくれ!」


 それだけが、望みだ。


 女神は唇を震わせた。


 世界が暗転する。


 そして、俺は――――帰ってきた。

 ドン! という衝撃と体が潰れる痛みを感じ――――俺は嘲笑った。

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