第15話 薄氷の勝利
「もっとだ! もっと、こいよ! お前らは俺を強くしてくれるんだ! ほら、来いよ!」
「コロス、ニンゲン、コロス! オマエハユルサナイ!」
突如、グールが声を発したかと思うと、手近にいたゾンビを自らの長い爪で引き裂き、その腐った肉を喰い始めた。
仲間のゾンビの肉を喰ったかと思うと、巨大だった身体がさらに肥大する。
「コロス!」
グールは一気に俺の方へ近寄ると、その長い爪を振り下ろしてきた。
とっさに盾を構えて、鋭い爪を受け流す。
「やらせるかよ。その爪、麻痺するんだろ! 俺は知ってんだよっ!」
「コロス、コロス、コロス!」
グールは休むことなく、立て続けに爪を振り下ろしたり薙いだりして、攻撃の手を緩めてこなかった。
なんとか盾で爪を捌いていたものの、緑に発光する鋭い爪が、かすかに俺の身体を掠めた。
鋭い爪先は硬くなったはずの俺の肌を割いていた。
「ちっ! 掠った!」
少し掠っただけなのに、まるで泥沼に足を踏み入れたかのように、手足が重くなり、思うように動かなくなる。
痺れる。身体の自由が、じわじわと奪われていく。
これが、グールの麻痺爪の力か。やべえ、動けなくなる。
「くそっ……!」
歯を食いしばる。動け、動け! 俺の体!
意識ははっきりしているのに、まるで操り人形の糸を切られたように、体が言うことを聞かない。
足に力を入れようとするが、鉛のように重く、一歩も踏み出せない。
「コロス、コロス、オマエ、コロス!」
振り下ろされたグールの鋭い爪が俺の両肩に突き立った。
「ぐああああああっ!」
皮膚は突き破られ、噴き出した鮮血がボタボタと地面を濡らしていく。
グリグリと爪をねじ込まれることによって、自己再生が追いつかないほどの傷を負わされていた。
「ニンゲン、コロス」
焼け焦げたグールの顔が、笑みを浮かべるように醜く歪んだ。
「殺されてたまるかよっ! ぐああああぁ! いてぇええっ!」
視界の端で、蠢く影が見えた。倒しきれなかったゾンビだ。
一体、二体じゃない。ぞろぞろと、飢えた獣のようにこちらへ向かってくる。
「オマエ、ナカマガ、クウ」
両肩から爪を引き抜いたグールが、そのまま足で俺の腹部を強く蹴飛ばした。
地面を何度か転がり、ゾンビたちの群れの中で止まる。
ゾンビの群れが、動けない俺に向かって、確実に距離を詰めてくる。
腐臭が鼻をつき、吐き気がこみ上げてきた。
目は濁り、口からは涎が垂れ下がっている。
生への執着など微塵も感じさせない、ただひたすらに喰らうことだけを目的とした、化け物が俺の肉を求めていた。
麻痺がなければ、こんな連中、蹴散らして終わりだ。
だが今の俺は、まともに立ち上がる事すらままならない。
悪いことが重なり、『狂化』と『硬化』のスキルが効果を失った。
腐りかけた手が、俺の腕を掴もうと伸びてくる。
反射的に体を後ろに引こうとしたが、麻痺した体は僅かにしか動かない。ゾンビの爪が、俺の身体を僅かに掠めた。
ちっ! 硬化スキルが切れて、ゾンビの爪ですら傷を負うようになりやがった。
背後から、別のゾンビが迫ってきている気配を感じた。
振り返ることもできない。首を僅かに動かすと、醜い顔がすぐそこまで迫っていた。
腐った肉が剥がれ落ち、覗く骨が異様な光を放っている。
「まずい……!」
絶体絶命。
弱気になりそうになった脳裏に、これまでの戦いが走馬灯のように蘇る。
どんなピンチも、己の力で乗り越えてきた。
不公平な世界を創った馬鹿な神様に、奇跡を願うなんてのはまっぴらごめんだ!
俺は、俺の力で何とかしてみせる!
まだ、かろうじて動く口を開き、近づいてくるゾンビたちを威嚇する。
「クソがよぅ! 俺を喰わせてやるかっての! もう一度、死ね! クソボケどもがっ!!」
ゾンビの群れが、俺を取り囲んだ。もう、逃げ場はない。
俺に残されたたった一つの抵抗手段を発動させた。
「真空波」
発動した魔法はすぐさまものすごい風を巻き起こし、周囲にいたゾンビたちを吹き飛ばしていく。
腐った肉が千切れ飛び、ずたぼろの肉塊となってゾンビたちが次々に倒れた。
「はぁ、はぁ、まだ、いやがる。もう一発だ。真空波」
再び強い風が巻き起こり、残っていたゾンビたちを吹き飛ばし、肉塊に変えた。
「ざまーみろ! ハハッ!」
「コロス、コロス、コロス!」
怒気を露わにしたグールが、麻痺して動けない俺の前に来ると、再び肩に爪を突き立て、無理やり立たせてきた。
すでに麻痺の力は残っていないようで、爪は緑の光を宿していない。
「いてぇえな。やめろって……」
「コロス、コロス」
麻痺した俺の身体はピクリとも動かず、口だけがようやく動かせるくらいだった。
魔力もさっきの2発で尽きたし、次撃ったら気絶するんだろな。
さすがに気絶したら、自己再生があったとしても、グールに喰われちまうだろう。
痛みの中で、頭を巡らせ、何とかグールを倒す方法を捻り出していく。
思いついたものを試してみた。
「ああ? お前の声、聞こえねえっての! もっと、近くで言えって!」
グールは、俺の挑発に激昂した様子で自らの顔をこちらに近づけてくる。
「コロ――」
俺はグールの首筋に思いっきり噛みついた。
「ギィイイイアアアア!」
歯が砕けるくらいに思いっきりグールの肉を噛み千切った。
グールの首から、どす黒い血が噴水のように吹きあがる。
「ぺっ! 馬鹿がよ! 口が動くんだよ! まだ!」
首に手を当てて喚き散らすグールにさらに噛みつくと、あらためて別の部分を噛み千切る。
鉄臭さと、腐った匂いのする血が口内に満ちるが、そんなものを気にする余裕はなく、さらにべつの部分に喰らいつく。
「ニンゲン、コロ……コロ……コロ……ス」
大量の血を失ったグールの膝がガクリと折れ、一緒に地面に倒れ込んだ。
絶命したのを示すようにスキルの力を宿した光の球が、俺の身体に取り込まれた。
ふぅ、なんとか勝ったな……。ゾンビたちもいないし、麻痺が解けるまでこのままいるしかないか。
俺はそれからしばらく、倒したグールと抱き合うような形で麻痺から回復するのを待った。
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