第3話

 三度目も学食だった。春瀬が川村が小鉢を取っているところを見つけた。テーブルが並んだ食堂の巨大な柱の陰に見え隠れしていた。


「具ないから十円にしとくで」

「ほな」


 川村が春瀬に気づいた。


「暗い顔してどうしたんや」

「別に何もないですよ。ごはん取るのに笑いますか?」

「笑いながらやってみ」

「嫌ですよ。わたしは高校のときから陰キャです。どうして一人でキャピキャピせなあかんのですか?」

「そうやなあ。春瀬さんにはキャピキャピは似合わんな。今のままでええわ」


 席についた川村は具のない味噌汁をすすった。ぬるそうだなと思って見た。学食は余るときは十円になるらしい。そんなことは聞いたことがないが、現に川村は十円を渡し、おばさんに汁だけの味噌汁をもらってすすっていた。


「あの……」


 春瀬は尋ねた。


「何でセンパイは具なしの味噌汁をもらえるんですか」

「顔馴染みやから」

「学食、数百人来るやん?覚えてくれてるわけなんですか?」

「毎日来てたら覚えてくれるわな。ちゃんと十円払ってるねん。ディールやな。世の中グレーゾーンがあるねん」

「法学部なんですよね」

「法律にこそ必要やねん。法律てのは血が流れてるねんで。白か黒やないねん。別冊ジュリスト読んでみ。意外にほろっとするで」

「別冊ジュリスト?」

「裁判例集やな。別冊しか知らんけど。人が人であるために法律はできたんやな。聞くも涙語るも涙や。ちなみにこの学校はボアソナード系なんや。ボアソナード知らん?」

「どこかで聞いたことあるかなあ」

「フランスの民法学者でな。フランスでも当時は革新的でな。日本で理想の民法を根づかせたいと夢見てんやな。頭おかしいやろ?」

「おかしいですか」

「おかしいやろ。ちょんまげして刀持ち歩いてるところへ来るなんて。フランス、プロイセンが革命起こして、スペイン、オランダ、イギリスが大航海時代の時代、こんな訳わからん文化のところへ来るなんて変人やろ」

「香川から大阪へ来るくらいアホですか」

「ん?和歌山のことバカにしてる?」

「和歌山のこと言うてませんよ」

「和歌山はな、陸の孤島や。大阪との間で検問してるんや。パスポートあるんやで」


 ジャケットの内ポケットから青いビニール革の手帳を出してきた。表紙に五三の桐文様とパスポートと英語で記されていた。


「マジ?」


 春瀬は開いてみると、ページに大阪国、和歌山国の印判が押されていた。


「返して」


 春瀬は返さないで、川村を睨んだ。どう考えてもおかしい。しまなみ海道や瀬戸大橋、明石海峡大橋を渡るところに検問があるのか。


「どこで押すんですか」

「南海電車の検札でチェックされるんや」


 指で表紙の金文字をこすると、Pの字が消えた。爪でこすると、すべて消えた。


「何するねん。せっかく作ったのに」

「作ったてどういうこと?」

「おまえなあ。センパイにタメ口はあかんと思うで。気が強いと嫌われるで」

「センパイらしくしてくださいよ。こういう関西のノリ好かんのです。何でも冗談にしてしまおうとするところ合わないです」

「関西ひとまとめにするな。四国ひとまとめにならんやろ。高知の海岸沿いなんて香川の瀬戸内と違うやん。それと同じや。高知には南海トラフのための避難用の鉄塔あるやろ。あれ見たときはせつなくなったな」

「せつない?怖いとかでなくて?」

「怖いことないわ。みんな地震来たらおしまいなの理解してるねん。でも生まれたところで住むこと選ぶしかないやん。せつないやろ」

「和歌山も同じですやん」


 川村は箸で指差した。


「あ、紀南やと思うてるな?」

「何ですか。南海トラフですよね」

「悲しいわ。俺の生まれたところは和歌山は和歌山でも海のない和歌山なんや。どこ出身ですか。和歌山です。海きれいですねなんてまだええわ。パンダかわいいですねや。和歌山に野生のパンダおる思うてるんやないか」

「思ってませんよ」


 川村はスマホを出してきた。


「見てみ。ここだけの話や」


 暗い雑木林の斜面、ガードレールの向こうに光る目が写っていた。


「野生のパンダや」

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