帰還

於田縫紀

帰還

 此処へ帰ってくるのは、高校を卒業して以来。

 20年ぶりの故郷は、以前とほとんど変わらないように見えた。


 ただ此処へは、望んで帰ってきた訳では無い。

 帰らざるを得なかったのだ。


 一年前、勤めていた会社がいきなり潰れた。

 もちろん再就職しようとあがいた。しかし不況すぎて就職口がない。


 雇用保険の受給期間はあっという間に過ぎ、貯金も消えた。

 このまま金が全く無くなったら身動きが取れなくなる。

 そうなる直前に、逃げ帰ってきたのだ。

 二度と戻らないつもりだった此処に。


 駅を出た瞬間感じたのは、風景の明るさと空の広さ。

 高い建物がほとんどないからだろう。

 高校時代は、こんな事を感じなかったな。

 そう思いつつ、家のあるニュータウンへと行くバス停を探す。


 しかし以前はあった気がするバス停が無い。

 俺がいない間に、廃止になったのだろうか。

 いや、高校時代に廃止の話を聞いた気もする。

 あの頃は自転車通学だったから、特に意識しなかったのかもしれない。


 タクシーなんてのは停まっていない。

 これは高校時代と同様だ。

 レンタル自転車なんて気が利いたものは、当然ない。


 まあいい。時間は腐るほどある。

 遠いといっても4km程度だから、歩けない程では無い。

 俺は覚悟を決めて、歩き始める。


 限界ニュータウンは、えてして駅から遠い。

 高校時代はこれが嫌だし、面倒だった。


 またニュータウン住まいと元からの地元民では、生活意識が違いすぎた。

 それで小中学校時代は色々あったりしたのだ。


 駅から遠い上、人の考えや趣向が古い、そんな田舎くさい地元が嫌いだった。

 だから高校は家から遠いところを選んだし、大学は絶対家から通えない場所にした。 

 就職も大学近くでして、こっちには戻ってこなかった。


 それくらいに、この地元が嫌いだった。

 今頃になって戻ってくるなんて、お笑い種だ。

 

 駅からの道は、人も車も自転車もほとんどいなかった。

 これは今の俺にとってはありがたい。

 下手に知人に見つかったら、合わせる顔がないからだ。


 もっとも人がいないのは昔から。

 郊外の住宅開発はとっくに終わっていて、高校の頃には限界ニュータウンなんて言葉も聞こえ始めていたし。


 ただ今現在、こうして歩く分には悪い場所ではない。

 都会と比べると、圧倒的に広くて明るい空。

 時折吹き抜ける爽やかな風。

 歩道完備で、でも車があまり走っていない道路。


 強いて言えば、荒れ地に葛が蔓延りまくっているのが少々見苦しい。

 それでもビルばかりの都会よりは目に優しいと感じる。

 これは俺の心が弱っているからだろうか。


 歩きながら感じる。

 かつて思っていたほど、此処は悪い場所じゃない気がすると。

 ひょっとしたら俺は、本心ではこの町を嫌ってはいなかったのかもしれないと。

 ただ若すぎて、この町の変化のなさにいらだっていただけで。


 あの頃の俺は何もわからないまま、ただ此処ではない場所を求めていたのかもしれない。

 隣の芝生が青く見えるのと、同じように。

 それとも心が弱っているから、そう感じてしまうだけだろうか。

 帰ってきたことを合理化する為に、記憶をねじ曲げているだけだろうか。

 

 40分ちょっと歩いたところで、周囲が一気に住宅地になった。

 ここからがニュータウン、丘の斜面に家々が張り付いている景色は、記憶と全く変わらない。


 ただ家々が多くなった事で、俺の気は重くなる。

 知り合いに会ったらどうしようかと思ってしまうのだ。


 俺はこの町から出ても、結局何者にもなれず、結婚すらせず、何も残せていない。

 敗残兵のごとく逃げ帰ってきた事を、どう説明すればいいのだろう。


 正直なことは、とても言えない。

 いっそ今の俺という存在そのものを無かった事にしたい位だ。

 

 目に映る景色は、高校時代と変わっていない。

 まるでタイムマシンで過去に戻ったようだ。

 変わったのは、年齢と希望をすり潰してくたびれ果てた、もう若くない俺の身体と意識だけ。


 俺はかつて自転車で走ったのと同じ道を通って家に到着。

 昔の記憶との違いがわからない門を開けて中に入り、玄関前で立ち止まる。


 今日帰る事は連絡済みだ。

 それでもインターホンのボタンを押すのを、躊躇ってしまう。


 両親に帰ることは説明したけれど、帰る理由は説明していない。

 どう説明しよう。


 いっそ、全てが無かったことになればいい。 

 此処から出た後の、俺の人生全てが。

 もう手遅れなのだけれど、そう思ってしまう。


 しかし此処でいつまでも立ち尽くしている訳にはいかない。

 近所の人が見たら不審に思うだろう。

 だから俺は覚悟を決めて、ボタンを押す。

 

 どたどたっ、家の中で音がした。続いてこちらへとやってくる気配。

 そして玄関の扉が開く。


「た、ただいま」


「お帰り」


 出てきた母に違和感を覚えた。

 いや、母は昔のままだ。でも何かおかしい。


「あれ、どうしたの? 何か妙な顔をして」


 その言葉とほぼ同時に、俺は気づいた。

 母が昔のまま過ぎるのだ。

 記憶にある高校時代のままに見える。

 もうあれから20年以上は経っているのだが。


「どうしたの、学校で何かあったの?」


 学校? 何が、どうなっている!?

 俺はそう思いつつ周囲を確認する。

 玄関や廊下は記憶のまま。他に何か手がかりは……

 

 俺は肩にかけていたバッグに気がついた。

 下ろしてみると、家を出るときに荷物を入れたボストンバッグではない。

 緑色のディパック、高校時代通学に使っていた物だ。


 足下を見る。履いているのは運動靴で、その上は黒い学生ズボンだ。

 何がどうなっている。


 確か俺は会社が潰れて、再就職も出来なく……

 その先を思い出そうとして、俺は気づいた。

 わからない! 思い出せない!

 さっきまで当たり前だと思っていた何かが、まるでわからない!


「大丈夫? 調子が悪い?」


「いや、何でも無い」


 とりあえず母にはそう返答。心配させてはいけないから。


「そう? 調子が悪かったら言ってね。それじゃ、夕飯をつくっているから」


 母が廊下を台所方面へと戻っていく。

 それを見て、俺は思った。

 今俺は、何を考えていたのだろうと。


 何かとんでもない事に気づいたような気がする。

 しかしそれが何か、思い出せない。


 思い出せないという事は、どうせたいした事ではないだろう。

 それでは夕食まで、自室で漫画でも読んでよう。

 俺は靴を脱いで、いつものように自室へと向かった。

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