第6話 おトイレが怖い

 あれから数週間が過ぎた。毎晩、私はおねしょに悩まされ続けている。


 最初の頃は「たまたま疲れていただけ」と自分に言い聞かせていたけれど、すでにそんな言い訳が通じる状況ではない。おむつを使い始めたことでベッドを濡らさずに済んではいるものの、毎朝目覚めるたびに濡れた感触が嫌でも現実を突きつけてくる。


(これがいつまで続くの……? 私が……聖女の私が、こんな……)


 赤ん坊の魂との合体に気づくことはない。ただ、何かが自分の中で変わりつつあるような、言葉にできない違和感を感じるだけだった。それがどこから来るのかも分からないまま、私は日々を過ごしていた。


 そんなある朝、濡れたおむつを脱ぎ捨ててショーツに履き替えた私は、部屋を出た。



 廊下を歩きながら、私は頭の中でスケジュールを確認していた。教会での朝の祈り、孤児たちの世話、午後には王城での会議が控えている。いつも通りのはずだった。だが、今日はなぜか胸の奥にざわつくような不安を感じていた。


(なんだか嫌な予感がする……気のせいよね?)


 軽く頭を振りながら、私はいつものルートでトイレに向かう。尿意が徐々に強まっているのが分かる。普段なら気にすることなくドアを開けるのに、今日はどういうわけかトイレに近づくほどに胸が締めつけられるようだった。


(早くトイレに行かないと……)


 そう思いながら足を速める。しかし、トイレの扉が視界に入ると、急に体が硬直した。


(……な、なに?)


 何かが私の中でざわめき、全身を冷たい恐怖が包む。目の前の扉が、まるで私を拒んでいるような感覚。


 震える手を伸ばしてドアノブに触れるが、力が入らない。右手がガタガタと震え、掴んだノブが滑り落ちそうになる。


(どうして……どうしてこんなに怖いの……?)


 息苦しさを覚えるほどの恐怖に、私は立ち尽くした。頭の中では「行かなければ」と理性が訴えるが、心と体が反発して動かない。冷たい汗が背中を伝い、心臓が早鐘のように脈打つ。


「……な、なんで……」


 声に出してみても、恐怖の理由は分からない。ただ、この扉を開けてはいけない、そう感じてしまうのだ。


(私が……こんなことで……)


 自分自身への苛立ちが募る。聖女として多くの困難を乗り越えてきた私が、こんな些細なことで怖気づくなんて……。けれど、何度意識を強く持とうとしても、足はすくんだままだった。


 そして、尿意が限界に達する。


「……っ!」


 足元に暖かい感覚が広がり、ショーツに漏れた感触が伝わる。私は呆然とその場に立ち尽くした。



(……私は……どうして……)


 やがて、恐怖が和らぎ始めたのか、震えが少しずつ収まっていった。しかし、何もかも手遅れだった。目の前の扉を見つめながら、私は深いため息をついた。


(誰にも……知られないようにしなきゃ……)


 足元の染みが広がらないように慎重に移動しながら、自分の部屋へと戻る決心をした。この状況が一日でも早く終わるように、心の中で強く願いながら。

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