闇鍋童話物語~狂気の童話世界に転生したらしいんだが~

鴻上ヒロ

1周目:不思議の国の作家達

第1話:転生

 ――ここは、どこだろうか。


 暗闇のなか、漂うような感覚が彼にはあった。ここはどこなのだろうか、そもそも自分は誰なのだったか。霧の中に吸い込まれてしまったかのように、脳内のどの引き出しを開けようとも自分自身を見出すことができない。

 完全な記憶喪失というわけではないのだろうが、自分自身という存在がひどく曖昧になっているのを彼は感じていた。


 暗闇に、光が灯る。広大な図書館のようだが、本棚だけでなく床にも重厚な装丁の本が積まれている。図書館というよりも、未整理の書庫のようだった。

 その中心にあるテーブルの前に佇む少女。彼の目の前にいるその少女は、どこかで見たような白と青のロリータファッションに身を包み、その上から台所でもないのにエプロンを着用し、彼に微笑みかけている。


「目が覚めましたか」


 ビー玉をコロコロと転がしたような透明感のある声に、なにか言葉を返そうとしたが、声が出なかった。


「あなたは今魂だけの存在なんです」


 ――だから声が出なかったのか。


 彼は、納得している自分に驚いた。

 だが、彼には一部の記憶があった。自分が死者であるという記憶だ。


「あなたはこの世界の主人公に選ばれました」

「お名前は……そう、私がつけて差し上げますね」

「そうですね、あなたはルイス……ルイスです」


 矢継ぎ早に言う彼女は、にっこりと笑って本に何かを書き始めた。


「あなたの姿を描いてましたっ」


 むふー、と鼻息を荒くしながら本を見せてくる彼女。その本に描かれていたのは、一人の男の姿だった。端正な顔立ちだが、ほんの少しだけ童顔に見える青年の顔がある。背が高く、筋肉もそれなりにあるようだ。軽めの鎧を身にまとい、腰には剣を携えている。

 まるで、ゲームの主人公のようだった。


「えいっ」


 彼女が本を空中に投げると、彼女の眼の前に、彼が現れた。今しがた見た絵の中の青年と、同じ姿をしたルイスだ。ルイスは自分の手足をまじまじと見つめ、手で頬を触る。確かに、魂だけの存在だったのが姿を得たということを実感した。


「仮初の姿ですが、お気に召しましたか?」


 彼女がどこからか取り出した鏡をルイスに向ける。ルイスは鏡に映る自分の仮初の姿を見て、苦笑した。似合わない顔だ、と思った。生前の自分はもっと違う姿だったような気がして、なんともむず痒い。


「少々かっこよすぎるように思えるが」

「せっかくの仮初の姿なんです、その方がいいでしょう?」

「そういうものか」


 彼女は鏡をテーブルの上に置き、「そういうものですよ」と微笑む。

 彼女は一体誰なのだろうか、ルイスの脳内に今更な疑問が浮かんだ。


「私はアリス、アリス3号です」

「3号?」

「今はお気になさらず。この物語を終える頃には、総てわかっているはずですから」


 彼女は「さてと」と言いながら、手を叩いた。ちょこんと首を傾げて、また微笑む。その笑顔になにか心が安らぐ気がして、ルイスもまた微笑んだ。


「私はもうここまでです、どうか皆さんを助け――」


 グシャリ、と柔らかいものが潰れるような音と共に、血しぶきが舞った。目の前で微笑んでいたアリスの姿が、どこにもない。代わりに椅子と床に散らばっているのは、血溜まりと肉の塊だった。


 何が起こったのかを理解するより前に、ルイスの意識は虚空へと消えた。

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