パパの「お小遣いあげるよ」という甘い誘いに乗った結末
戸井悠
パパの「お小遣いあげるよ」という甘い誘いに乗った結末
大学生の頃、ゴールデンウィークに実家へ帰省したある日のこと。私はソファに寝転び、これでもかと自堕落な生活を満喫していると、父がふらりと現れて、こう言った。
「ドライブへ行こう、お小遣いあげるよ」 私は何か裏がありそうだと感じながらも「これは父なりの不器用な愛情表現だな?」と勝手に解釈し「よし、行こう!」と車に飛び乗った。頭の中では「お小遣いで何を買おうかな〜」と幸せな妄想が膨らむ。
しかし、車は国道を外れ、田舎道に差し掛かった頃、父が電話をかけ始めた。
「——ええ、田辺さん。今から向かいます。うちの子を一人捕まえました」
捕まえた……? その言葉に背筋が凍りつく。車はさらに進み、じゃり道へと変わり、たどり着いた先は——柿農園だった。
「……なにさせるつもり?」
「田辺さんのところが人手不足なんだってさ。暇そうにしてたからちょうど良かっただろう?」
なにがちょうど良いのか、私は暇を楽しんでいたのに、気づけば作業着を着て「摘蕾(てきらい)」という謎の強制労働をする羽目になった。
摘蕾とは、柿の木に咲きすぎた蕾を間引く作業で、放置すると木が疲れて翌年実をつけなくなるらしい。 私は空を仰ぎ、首が痛くなるのを耐えながら地道に蕾を摘む。じっと上を見続けていると、まるで空に吸い込まれそうな不思議な感覚に陥った。
一緒に作業するのは父と田辺さん、そして背が高くて堀の深い、おそらく外国人留学生のアルバイトだった。テキパキとハシゴを使い、私の倍以上のスピードで作業を進めていた。
作業に没頭していると、田辺さんの娘・円香さんと、その小さな娘シムちゃんが現れた。シムちゃんは「ルオンくん!」と満面の笑みで駆け寄り、どうやら外国人留学生ではなく、田辺さんの孫でシムちゃんの兄らしい。微笑ましい光景に、少しだけ心が和らいだ。
その後、円香さんの「お昼に何か食べに行こう」という提案で、私は父と田辺さんを農園に残し、近所のうどん屋でご馳走してもらうことになった。車内では運転席に円香さん、助手席に私、後部座席にルオンくんと妹のシムちゃんが座る。
しかし、後部座席のルオンくんは終始無言で、どこかそっけない態度を取っている。妹のシムちゃんが「ルオンくん!」と嬉しそうに話しかけても「うるさい」とでも言いたげな目を向けるだけ。一方で、円香さんが「今日はどうだった?」と優しく尋ねても「別に」「普通」とぶっきらぼうな返事ばかりだ。
私はその様子に少し違和感を覚えた。「この態度、何か複雑な事情があるのかな?」と私は思わず観察を始めた。
うどん屋に到着し、テーブルに着くと、ルオンくんの態度はますます気になる。水を飲むときもどこか不機嫌そうで、シムちゃんが笑顔で「ねえ、ルオンくん!」と話しかけても、ほとんど反応しない。私はその様子を見ながら、密かに家庭事情を邪推していた。
「母親にそっけないのは、きっと血縁関係が複雑だから?」
「妹と歳が離れているのは、義理の兄妹ってこと?」
そんな考えが頭をぐるぐる巡り、気づけば探りを入れるように話しかけた。
「ルオンくんって大学生何年生ですか?」
円香さんはきょとんとした顔で「え? 中学生よ」とさらりと答えた。
その瞬間、頭の中で爆音が鳴り響いた。「中学生……だと?」
私が妄想していた家庭の複雑なドラマは、一瞬にして崩壊した。あのそっけない態度や妹との距離感、すべてはただの——「反抗期」だったのだ。
私はその事実を知った瞬間、自分の過去がフラッシュバックする。かつて自分も同じように親に冷たく接していた頃の記憶が蘇り、なんだか懐かしい気持ちに包まれた。
ふと、今も柿農園で黙々と摘蕾を続けている父の姿が脳裏に浮かぶ。「お小遣いあげるよ」なんて甘い言葉で釣られたけれど、もしかしたら本当に暇を持て余していたのは父のほうだったのかもしれない。きっと、ただ一緒に過ごしたかったのだろう。
うどんのだしの温かさが、そんな思いにじんわりと寄り添う。
「……もう少しだけ一緒に手伝うか」
そう呟き、もう一口だけ、だしの味を確かめた。
パパの「お小遣いあげるよ」という甘い誘いに乗った結末 戸井悠 @toi_magazine
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