第8話 月子の秘密

スネークアイズの事件の翌日、月子殺害の事件の関係者が一堂に集められました。

「本日は、みなさん。お集まりいただきありがとうございます。

先日のパーティでの月子さんの事件、真相がわかりました。」

紫音が集まった面々に言いました。

「まずは僕から。」

迅が紫音に変わって話し出しました。

「実は、月子さんの部屋を少し調べさせてもらいました。

そして、あるものを見つけたんです。

それが、この日記です。」

迅の右手には一冊の厚い表紙で出来た日記帳が握られています。

「この日記には、月子さん、杏子さん、そしてたきさんの知らされてない事実が書かれていました。今回の事件はこの複雑な事実が鍵となっていたようです。」


ここは、帝一ホテルの迎賓室でございます。

本日、瑠璃堂から事件の全貌をお話しするということで、事件の関係者が集められております。

溝端、そして杏子の傍にはたきが支えるように付き添っております。遠山は後ろで控えております。

そして、警察に連れられて歌川とその妻の神田もおります。

警察は、堀田と戸張が歌川の後ろに控えております。


「さて、この日記に書かれた事実。これは杏子さんにとってもきっとたきさんにも衝撃の事実だったことでしょう。

この日記は月子さんが鍵をかけて大事にしまわれていたと思います。

でも僕が見つけたときは、誰かがこじ開けた後でした。

杏子さん、この日記を読んでしまわれたのでしょう?

それで、お母様とご自身の秘密を知ってしまわれた。

もしかしたら、たきさんはこの以前からこの事実にうすうす気づいておられたかもしれません。

先日も僕はあなた方に問いましたが、改めてもう一度伺います。

杏子さん、たきさん。この事実を今ここで公表しても構わないでしょうか?」

迅が杏子とたきに向かって言いました。

「・・・はい。それが母のため、そして私のこれからになると信じて、公表してください。」

杏子はか細い声ながら、真っ直ぐに迅を見すえて答えました。

「わかりました。ありがとうございます。

では、これから僕がこの日記の一番最初のページを読み上げたいと思います。この最初に書かれた日にちは、この溝端に月子さんが嫁いだ日にちでした。

この日記はその日にちから始まっています。」

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月子の日記


私は今日、溝端に嫁いできた。

この結婚は私にとって苦痛でしかない。

周りはそう思っているようだ。でも、私にとって溝端に嫁ぐことはある意味一つの区切りになってよかったのかもしれないと思う。

女優の仕事を離れることは、私にとって体の一部をもがれたような感覚ではあるが、私が女優になった目的はもうすでに達しているので実際はどうでもいい。

確かに華やかなステージの世界は魅力的ではあった。

観客の歓声、スポットライトに照らされた時の高揚感、舞台の魔物に魅せられたものが、舞台を離れる・・・確かに寂しいが、もう私には何の価値のないものでしかない。


私が女優を目指した目的。

それは、生き別れた双子の姉を探すこと。


私は、東北の田舎の土地で生まれた。

私の田舎では双子は忌み嫌われ、どちらかの子供だけ残し、片方の子供は他所へ預けられる風習があった。

我が家は旧家でもあり、我が姉も例に漏れず、子供がいなかった夫婦に預けられたが、その夫婦に子供ができた為に、姉は捨てられてその後の消息がわからなくなっていた。


私はそれを死に際の母に告げられた。

「あなたには生き別れた姉がいるの。私は今も手放した事を後悔しているわ。村の掟とはいえ、我が子を手離して貴女とも離れ離れにしてしまった。

貴女がもし、姉さんを探し当てたなら伝えて欲しいの。1日たりとも貴女を忘れたことはないと…」

そう言って母は亡くなった。


私はそれから姉を探す為に帝都、東京に出てきた。

姉が預けられた夫婦は姉を引き取った後東京に移り住み、姉はそのあと東京の孤児院に預けられたと人伝てに聞いていたから。

そして、ある日姉を見つけた。

私達姉妹は、二卵性の双子だった為、そっくりという程似ているわけではなかったが、私にはその女性が姉であると、確信した。母から聞かされていた左耳の下にあるホクロと特徴的な尖った様な耳の形。

それに私と同じところにある涙ボクロ。


驚く事に姉は人気女優として、新劇の舞台に立っていたのだ。

私は、姉に会う為にその劇団の門戸を叩いた。

叩いたはいいが、姉に会ってどう言えばいいのか、果たして許してもらえるのか…

勢いで劇団の門をたたいた私に、劇団の団長は入団希望者だと勘違いをし、「この子ならすぐ売れる!」とあれよあれよという間に入団することになってしまった。

私にとっては好都合ではあったし、芝居なんてやったこともなかったが、やってみるとなかなか面白くて、何よりもずっと会えなかった姉と一緒にいられることがうれしくて、幸せだった。

姉は私にも優しく接してくれて、仲良くなれた。

ある時、姉は私に孤児院で育ったこと。とても仲が良かったお兄さんのような人がいたこと。そのお兄さんが養子に行ってしまってそのお兄さんを探すために女優になったこと。そんなことを話してくれた。

ただ、姉が私と親しくしてくれて、姉との距離が縮まれば縮まるほど、私は姉に名乗りだすことができずにいた。仲良くなればなるほど本当の事を言い出せなかったのだ。



そんな時だった。姉が恋人の歌川に暴力を受けていることを知った。

姉は本当は歌川と別れたくて何度も別れ話をしていたのに、なかなか歌川は手を切ってくれないと悩んでいたようだった。

ある日、すごく憔悴した顔で現れた姉に驚いた私が、何があったのか聞いたら、姉は泣くばかりで何も答えてくれない。

見ると、右の腕のブラウスが濡れている。触ると顔を顰めて痛そうにしている。

ブラウスを脱がすと右上腕が赤く爛れて腫れている。

「火傷…?」

きっと歌川にやられたんだ。

「すぐに手当てしなきゃ!大変なことになっちゃうよ!」

その夜、手当てをして姉を休ませて私もやすんだ。

翌朝、起きると姉は部屋からいなくなっており、その日以降戻ってこなかった。


もしかしたら、姉の行方の手がかりがわかるかもしれないと、私は歌川のところに行った。


なぜ、姉が行方をくらませたのか。歌川との間に何があったのか。あの夜なぜ姉はやけどをして帰ってきたのか。事の真相を問いただしに行った私に歌川はあろうことか姉のことを知りたければ俺の女になれと無理矢理私に関係を迫ってきたのだ。


私は、事の真相と歌川への復讐の機会をうかがうために、歌川の愛人になることにした。

しばらくしてあろうことか私は歌川の子供を妊娠した。

だが、歌川は私と結婚するどころか、子供の認知もしないという。

そして、歌川は私から離れていった。


おろすことも考えたが、憎い相手の子供とはいえ自分の中に芽生えた命をむやみに殺すことは忍びなくて、迷っている間におろすには遅い時期に入ってしまった。

だが、悲しいことに私の体に宿った命は、産み月を迎えることなくこの世に生を受けることなく亡くなってしまった。

姉がいなくなったため、姉の代役として私が抜擢されたのだ。

身重の身を隠して舞台に立ち続けていたため、流産してしまった。

私は泣いた。生んで上げられなかった命を思って泣いた。



その流産のすぐあとぐらいだったろうか。失踪から1年ほどたったある日、姉を街で見つけたのだ。

驚いたことに、小さな赤子を連れて。

それが、杏子だ。


姉の命があったことをとても喜んだ。

でも、姉の変わりようはひどい有様だった。

姉は、あの華やかな舞台上の美しいふくよかな姉ではなく、やせ細り疲れ襤褸切れのような姿だったからだ。

私は姉に温かい食事と、清潔な服、そして暖かい寝床を用意した。

姉は、私からの施しを最初は拒んだ。

だから、姉を私の付き人として雇うことにした。

そして、杏子は私の子供ということにして育てることにした。


ひまわりのような姉の性格は以前とは全く変わってしまった。

もとは明るくて、前向きでひまわりのような笑顔の似合う人だったのに。

その頃の姉は、いつも何か思いつめたような眼をして、悲しそうで、笑わなくなってしまっていた。

私の付き人として働くようになって、前のように明るく朗らかな姉とまではいかないが、かなり前向きになってきたと思う。


杏子には姉が母親だという事は隠しておいて欲しいと姉に口止めされた。

私自身もまだ姉だと告げられずにいたこともあり、姉の申し出をうけいれてしまったのだ。


それから、私と姉、そして杏子との不可思議な共同生活が始まった。

それはそれでささやかではあるが何となく幸せだった。

私はまだ女優を続けて生計を立てていた。


ある時、歌川が私のところに来て言った。

「世間に杏子がお前の子じゃないと言われたくなければ、俺と復縁しろ。」

またこの男は私達の生活にズカズカと入ってきて掻き乱しにきたのだ。

でも、姉との約束があったので歌川に従うしかなかった。


そのまま、歌川と私の関係はしばらく続いた。

そして、先月、歌川は私を溝端の賭場に連れて行った。

そこで、「お前は借金の方に溝端さんに売った。明日からは富豪夫人だ。よかったじゃないか。」

と、あの男はシャーシャーと言ってのけた。

そして、私はこの家にやってくることになったのだ。


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迅が読み終わると、暫く張り詰めたような空気が流れました。

杏子は必死に涙をこらえて肩を震わせています。

たきは杏子の小刻みに震える肩を抱いています。


「この日記の冒頭の部分です。月子さんはたきさんにずっとお姉さんだと言えずにいた様ですね。そして、杏子さんはたきさんの子供だ。」

迅は静かにいいました。


「月子は私の妹です。私はずいぶん前から気づいていました。ただ、私も月子に名乗り出ることはしませんでした。その方が、お互いの為だと思っていたからです。」

たきが、静かにいいました。

「そして杏子は、私の娘です。私と歌川の子供です。

私はあの日、月子のもとを去ってからあるところに身を寄せて杏子を産み落としました。

でも、生きていくのもままならないような生活で…

そんな時に月子と再会しました。月子は私と杏子を引き取って、杏子を自分の娘として育ててくれました。」


「お嬢様。いえ、杏子。ずっとだましていてごめんなさい。」

たきは杏子に向き直り、深々と頭を下げました。

杏子は下を向いたまま、何も言わずただ肩を震わせているだけでした。


「そして、月子さんのもう一つの隠された事実、それはある病気を抱えていた事でした。」

迅は日記に挟んであった一つの紙を掲げました。

「これは、ある町医者の診察票です。

僕たちは先日この診療所に行ってきました。」

「月子が病気って!そんなこと俺は聞いてないぞ。うちの通いの医者は何も言ってなかったぞ!」

溝端が憤慨しながら言いました。

「あなたは、夫でありながら妻である月子さんが病気であることをご存じなかった。

まぁ、そんなことはどうだっていい。あなたにとって月子さんはお飾りでしかなかった。そうですよね。

静かに話を聞いていてください。」

迅は溝端に冷たくそう言い放ちました。


「月子さんは、治らない病気を抱えていました。

内臓に腫瘍ができていたそうです。

大きな病院で適切な治療を受けていればもしかしたら延命も可能だったかもしれないと、診療所の医師は言っていました。

でも、月子さんは治療をしないことを選んだそうです。」

その話を聞いた杏子とたきは、驚いた顔をしています。

「お母さん、そんな辛い思いをしていたの。」

杏子はまた泣きそうな顔でたきの方に寄り掛かっていました。

「今回の月子さんのこの事件に関しては、この月子さんの秘密が深くかかわっていたのです。」

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