第6話 胸飾り

ここは世田谷にある溝端の自宅でございます。

スネークアイズの犯行予告を受けて瑠璃堂はこの屋敷に泊まり込みで詰めております。

今、この客間にいるのは溝端、そして執事の遠山。

あと、瑠璃堂の2人と岸です。今回も警察は外の警備をしているようです。

あの後、たきは容疑もはれ、翌日には家に帰されたようです。

警察は歌川を疑っているようですが、確実な証拠も出てこず、執拗な取り調べにも屈しない歌川にかなり手を焼いているという状況だと、さっき堀田がこぼしておりました。

ただ、堀田も歌川が犯人とは信じがたいといっておりました。


この客間、さすが溝端財閥の客間です。

一つ一つの家具や調度品が、豪華でございます。絨毯は毛足の長いふかふかの絨毯で、天井には大きなシャンデリアが。

紫音、迅、岸が座るソファーの前にはテーブルの前に置かれた問題の胸飾りが置かれております。

真ん中には大きなダイヤモンドが施され、ダイヤの周りをサファイヤやルビー、クリスタルなどの宝石が取り囲み、そしてその周りを大量の真珠が胸飾りを形作っております。

煌びやかで豪奢なこの胸飾りかなり重そうなつくりでございます。



「ところで、溝端さん。この胸飾りはいったいどんな謂れがあるものなのでしょうか?」

紫音が溝端に聞きました。

「なぜそんなことを聞く?」

溝端は訝しげな顔で紫音を睨みつけております。

「今までスネークアイズは、現金ばかりを狙ってきました。足が付きにくい、換金する必要がない。現金にはそんな利点がある。

でも、今回の犯行は執拗にこの胸飾りを狙っている。

足がつく危険性のあるこの胸飾りをです。

そしてこの胸飾りを相応しい人の元に戻すと犯行予告にもある。

なにか、理由があるのではないかと思いましてね。

もしよければ、この胸飾り手に取って調べてみたいんですが。」

そう、紫音が溝端に言うと、急に顔色が変わり、溝端は声を荒げてこう申しました。

「この胸飾りに触るな。そんなこと、あんた達には関係のないことだ。この胸飾りが盗まれなければそれでいい。それがあんたの仕事だ。余計な事は考えるな。」

そう言って溝端は席を立ちました。

「ご主人様、どちらに?」

執事の遠山が呼び止めました。

「今夜は、会合だ。帰りは、朝になる。とにかく、胸飾りは盗まれることのないようにしてくれよ。遠山、しまっておきなさい。」


そう言って、溝端は部屋を出て行ってしまいました。

「畏まりました。」

遠山は頭を下げて見送り,胸飾りを手に取って書斎の金庫に片づけに行きました。

戻ってきた遠山に迅が聞きました。

「遠山さん、溝端さんのお出掛けご存知なかったんですか?」

「あ、はい。お恥ずかしい話ですが…最近、主人は私を信用しておられない様子で、まぁご主人様のお仕事の件に関してはもう一人の秘書がおりますのでその者が把握しておるようでございます。では。何か御用がございましたらお申し付けください。」

ふっとため息をついて遠山は部屋を出ていきました。


「あの胸飾り、かなり装飾がしてあって、相当な重量がありそうだな。

つけたら肩が凝りそうだよ。」

迅の横に紫音が立ちました。

「紫音なら、きっと鍛錬とか言ってつけても、への河童かもしれんけどな。でも、あの胸飾りを杏子さんがつけるとなるとかなり重いと思うんだが。」

「あの胸飾り、もう少ししっかり調べてみたいんだけどね。」

「ん?紫音なんか引っかかるの?」

「あれだけの厚みもあって台座もしっかりしてるようだからね。何かあの胸飾りには仕掛けがあるんじゃないかと思ってさ。」


二人の横から岸が声をかけました。

「まぁ、実際そうなのかもしれないよ。

あの胸飾り、ちょっと調べたら面白いことが分かったよ。

本当ならこれはある侯爵夫人のものだったらしい。その侯爵夫人の借金の方にあの胸飾りを奪い取ったようなんだよ。

で、その借金の原因が溝端がやってる賭博ってわけ。

しかも、溝端の賭場に関してはかなりきな臭い噂が立っていてな。

イカサマや無理な高利の貸し付けもやっているようなんだ。

金の有り余っている奴らから貧しい者まで、さまざまな人たちがその賭場には出入りしているという話だ。

金のある者からは、今回のような宝石なんかを担保にしているみたいなんだけど、これが貧しい者たちには、娘や嫁を差し出させたりして人身売買のようなこともしているらしい。

色んな所から、恨まれているようだよ。」

「その侯爵夫人も、そのイカサマとやらに騙されてる口か?」

迅が岸に聞いております。

「そうだろうね。それが俺の見解。で、ここからが重要でさ。変な噂を聞いたんだよ。その賭場では政府発禁の薬物の取引もあるって噂でさ。その侯爵夫人の夫は実はその薬物の取り締まりをしている役人だって噂でさ。

もしかしたら、侯爵夫人はスパイだったんじゃないかって噂なんだわ。」


「きゃー!!!だれか!誰か来て!!」

2階から女性の叫び声が聞こえました。

急いで3人は階段を駆け上がり声のした方へ向かいました。杏子の部屋でした。

叫び声はたきの声でした。

「お嬢様が!杏子様が!」

部屋を見ると部屋の真ん中に杏子が倒れており,部屋の窓が開いて、丁度品の上に置かれてる置き物などが、乱雑に散らばっておるではありませんか!

「何があったんです?」

たきに紫音が聞きました。

「大きな音がして、様子を見に来ましたら、お嬢様が倒れておられ、私がこの部屋にはいった時、男がその窓から飛び出して言ったんです。

きっと、その男に襲われたんですわ。」

紫音が杏子のそばにより声をかけました。

「杏子さん。杏子さん。大丈夫ですか?しっかり・・・」

「お嬢様…」

たきはとても心配そうに杏子を見ております。

「気を失っているだけのようです。ベッドに運びましょう」

紫音が杏子を抱きかかえ、ベッドの方に運びました。

「う、ううん。」

ベッドに横たわらせると、杏子の意識が戻ったようでした。

「杏子さん。大丈夫ですか?

あなたは、今お部屋で倒れておられました。今、何があったか説明できますか?」

紫音は優しい声で杏子に語り掛けました。

「・・・あの人は?あの人は何処に?」

「あの人?それは誰ですか?」

「・・・いえ、名前も素性もわからないですが、私を鳥籠から出してくれると。あの人は何処に行ったのでしょう?」

杏子は目に涙をためて紫音に縋り付きながらその人とやらを焦がれておるようでございます。


「たきさんが言った窓から出て行った男ってのが、その人なのか?

それにしても、杏子さんの言っていることが気になる。その男に何を吹き込まれていたのか、それともなにか変な薬でも使われてなければいいけど。

スネークアイズの一味の犯行とみて間違いないだろうね。

とにかく、たきさんに杏子さんの様子を見守っていてもらおう。」

迅が言うと紫音も頷いて同意しました。

「たきさん、杏子さんから目を離さないようにしてください。事件が解決するまでは屋敷から出ないようにしておいて下さい。」

「わかりました。」

たきは迅の目を見て頷きました。

「それと、月子さんのお部屋を少し見せていただけないでしょうか。

事件の事で何か参考になることがないか見てみたいのです。」

「わかりました。お部屋の鍵を取ってまいります。」

たきは一礼をして部屋を出て行きました。

「それにしても、この2階の高さから飛び降りるとは、なかなか身体能力の高い人物とみえるね。」

紫音が窓の外を覗いて高さを確かめております。

岸もその窓から覗いて下を見ました。 

2階の高さからとはいえ、腰窓の高い位置にあり、下階にバルコニーがあるわけではないので、高さは相当です。

「おい、この高さから飛び降りるなんて正気じゃない。足を折るぐらいじゃすまないぞ。」

岸はその高さに身震いをしながら紫音に言いました。

「本当に、男がいたのか? なにか、おかしい。庭には警察の警備もある。その警備の眼にとまらないというのもおかしい。」

紫音が独り言のようにぶつぶつ言っております。

「たきさんが嘘をついていると?」

岸が驚いた顔で紫音に言いました。

「・・・わからん。まだなにもわからん。」

紫音が言いました。


「迅さん。奥様のお部屋に遠山が控えておりますので、遠山にお声かけくださいませ。」

「たきさん、ありがとうございます。」

「紫音。月子さんの部屋を調べようと思う。ついてくる?」

「あぁ.一緒にいこう。」

岸は一度、新聞社に戻らないといけない用事があるからと言って、屋敷を出て行きました。


「迅様、紫音様。奥様のお部屋を御調べになるとたきから伺いました。

どうぞ、お入りください。」

遠山がそう言って恭しくドアを開けました。

月子の部屋はとても綺麗に掃除が行き届いて、一つ一つの調度品は上品でかつ無駄のないデザインの物ばかりです。

部屋のマントルピースの上には、きれいな花が行けられた花瓶といくつかの置物があります。

紫音と迅は部屋の調度品を見て感嘆のため息をついています。

「この部屋だけではありませんが、調度品は奥さまがいつも選ばれておられました。こちらのお部屋にあるものは殆ど、職人の魂のこもった一品揃いでございます。」

遠山の声もすこし誇らしげに聞こえます。


この部屋の南側の窓の前には、窓を背にして机が置いてあります。

迅はその机を調べました。

「月子さんってセンスのいい人だったんだね。一つ一つの調度品は高価なだけではない、使いやすさやデザインの上品な物をえらんである。

しかも、凄く物を大切にする人だった様だよ。ほら見て、この机と椅子なんかも使い込まれているけど、よく手入れが行き届いてる。

引き出しなんかも引っかかりがなくて引き出しやすい。

ん?これは、日記?鍵がかかっていたようだけど、鍵が壊されてる。」

迅が取り出したのは、華やかな装丁が施された鍵付きの日記帳でした。

「これは…紫音、この日記は事件の鍵となることが書かれている。」

紫音がその日記を見ようと迅の横に立った時、その日記帳から一枚の紙が滑り落ちました。

『橋口内科』

その紙にはそう書かれています。

「迅、これは?」

「ん?内科…月子さんがかかっていた病院なのかな?そんなに古い物でもなさそうだし。遠山さん、月子さん最近、何か病院にかかっていたなんてことはなかったですか?」

「病院でございますか?」

遠山が驚いた顔を見せました。

「この家には、通いでございますが週に3日、近くの診療所からお医者が来ることになっております。この辺ではとても信頼されているお医者ですし、外の病院にかかるなどという事はないはずですが。」

「・・・調べてみる価値があるな。よし、この後行ってこよう。

あと、遠山さん。この日記帳お借りしてもよろしいですね。この日記帳には月子さんの事件の隠された鍵が書かれているようです。」

「・・・かしこまりました。」


紫音と迅は橋口内科へ向かいました。

その間、屋敷には堀田以下、警察が警備を強化しておりました。


橋口内科は路地の奥の方にあり、かなり古い診療所でした。

この診療所の医師は恰幅のいいにこやかな老医者でした。

2人が診療所に現れるとにこやかに出迎えてくれました。


「先日亡くなられた溝口月子さんの事で伺いたいことがあってきました。」

迅が、そういうと橋口医師は顔を曇らせていった。

「そうか、月子さん亡くなったのか。そうか…。それは残念だった。

で、どうしてあなた達がそれを?」

「驚かないんですね。月子さんが亡くなるのをまるで知っていたかのようだ。」

迅が橋口医師に言いました。

「月子さんはね。もう治らない病気だった。

内臓に大きな腫瘍ができていてな。そうだな、わしが診たのが昨年の秋ぐらいだったかな、大きな病院で検査して、手術したらもしかしたら治るかもしれんと勧めたんじゃが、かたくなに痛みだけ抑えられるようにしてくれっちゅうてな。

そうか、なくなったか。最後は苦しまずに逝けたのかな。」

「そんな病気だったんですね。月子さんは、殺されたんです。帝一ホテルの完成パーティの最中に。

僕たちは月子さんが何故、誰に殺されたのかを調べています。」

「なんと!殺された!!それは…そうか、そうだったのか。」

「月子さんは何故あなたの所で診察を受けておられたのでしょう?」

「さぁ、わしは長いことこの街の町医者をやっておるでな。

溝端んとこは確か通いの医者がおったじゃろ?一度、なんでその医者に診てもらわんのか聞いたことがあるんじゃ。

わざわざ痛み止めをするためだけにこんな遠いまで通わんですむけんな。

したら、家のもんには知られとうない、ってゆうとったわ。

あ、せや。月子さんにはそういえば娘さん、おるやろ?もし月子さんが亡くなったら、その娘さんに渡してくれって、頼まれとったもんあるんや。

持ってくるわ。」

そう言って、橋口医師は一体の古びたクマのぬいぐるみをもってきました。

「なんか、小さい頃に娘さんが遊んどったぬいぐるみらしいで。家に置いておくと汚いと処分されてしまうからって、なんやもってきたわ。」


「わかりました。お預かりします。ありがとうございました。」

迅と紫音は橋口医師に頭を下げて診療所を後にしました。


瑠璃堂の2人が橋口内科に話を聞きに行っている頃、溝端邸に一台の荷車が入っていきました。

「すいません。杉田家具屋です。ご依頼がありましたソファーの回収に伺いました。」

作業服を着て帽子を目深にかぶった青年2人が玄関の呼び鈴を鳴らし声をかけました。

「あ、はいはい。お嬢様から伺っております。早かったんですね。聞いてた時間より2時間ほど早いじゃないですか。」

「あ、すいません。予定がちょっと変わりまして。ご都合悪かったでしょうか?」

「あ、いいのいいの。仕事が早く終わる方がいいわ。

あら?新しいソファーはお持ちじゃないんですか?」

お手伝いさんが、応対をしております。

「はい、僕たちは回収だけを指示されておりまして、商品の搬入は別のものが伺いますので。」

「あ、そうなんですね。では、お部屋にご案内しますから、こちらへどうぞ。」

お手伝いさんに案内されて青年2人は屋敷の中へ入ってまいります。

そして、2階の杏子の部屋の前でノックをしました。

「お嬢様、家具屋さんが起こしになりましたよ。お部屋失礼しますよ。」

お手伝いさんが部屋に入りましたが、部屋の中には誰もいませんでした。

「あら?お嬢様、どちらかへお出かけなんでしょうか?まぁ、いいわ。

回収のソファーはこちらのものになりますの。お願いできます?」

「わかりました。では、このソファーを回収させていただきますね。」

青年2人は部屋にあった赤いソファーを2人で抱えて回収していきました。







 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る