第4話

 ピッ、ピピピ、ピピピピピ……


「ぅん?マジか俺あのまま…」


 硬い机の上で腕を枕代わりにして寝ていた孝仁はスマホのアラーム音で目を覚まし、目の前にある書きかけの文章が載せられた画面を見て途中で力尽きて眠ってしまっていた事に気付く。


 三千字ほど書ききってちょうど二話目に突入した辺りで止められた小説は、改めて読み返してみるとなかなかに陳腐なものだった。


「文章力までは向上されてなかったか…」


 見た目も頭脳も運動神経も全てが過去の上位互換だというのに、もしかしたら一番欲しかったかも知れない文章力だけは前世と変わらなかった。


 使いたい単語、難しい言葉は簡単に頭に浮かんでくる。…されどそれをそのまま活用したからといって素晴らしい小説が書ける訳ではない。


 人の心に魂に、強く訴えかけられるような印象に残る何かを記すには、単純な頭の良さだけでは駄目なんだな…と孝仁はそっと息を吐いて背筋を伸ばす。


「まあ、でもかえって面白いかもな…」


 第二の人生で苦労をしたことは殆ど無い。何をしても人並み以上にこなしてしまう今の自分は、いつも世界から取り残されているような気がしてならなかった。


 長い夢を見ていたかのように思えた視界が少しだけクリアになり、今週末は久々に頬をつねらずにすみそうだと不出来な小説を前にして何故か嬉しそうに笑ったのだった。


 ▼


 孝仁の隣に蛇ヶ崎巳咲が座るようになってから一週間が経った。


「おはよう蛇ヶ崎さん」

「おはようございます鷹野さん」


 クラスの女子の中でも活発な部類に位置する鷹野たかの芽衣めいと朝の挨拶をする彼女は、言葉遣いもさることながらどこか落ち着いていて、日焼けした鷹野とのギャップも相まって、その姿はよりいっそう儚く見える。


「ししし、今日も可愛いねえ。そのサラッサラッの白い髪に紅い瞳…うらやましい。私も蛇ヶ崎さんみたいな美少女に産まれたかったよ」

「鷹野さんも十分可愛いと思いますが?」

「あはは、お世辞はいいって、蛇ヶ崎さんぐらいだよ?そんな事言ってくれるの?」

「お世辞じゃなく、本心なのですが…」


 ショートカットを振り撒きながら快活に笑う鷹野芽衣は、175センチある孝仁より少し目線が下ぐらいの長身で、蛇ヶ崎巳咲の言う通り十分な美少女である事に間違いないのだが、男性の庇護欲を誘うような雰囲気は持ち合わせていない為、思春期真っ只中の少年達にも些かウケが悪かった。


(本当に、なんで今さら俺の前に現れたんだ…?)


 仲良く談笑する元Vtuber推しを横目で見ながら机に突っ伏してそっと寝たふりをする。孝仁はこの一週間、授業中もずっと小説の事を考えながらも隣のリアルVtuberを観察していた。


 時に笑い、時に悩んだような姿を見せ、時にコクリコクリと眠そうにしていたりもする。


 紛れもなく自分達と同じように生きている彼女は何があって再びこの世界に生を受けたのか、中にいる人物にその事を問い質したい衝動を、孝仁は必死に押さえつけていたのだった。


 ▼


 それは何気ない午後の一時ひとときだった。いつもと変わらず孝仁は一人で昼食を食べ、隣では蛇ヶ崎巳咲と鷹野芽衣の二人がすっかり意気投合して笑いながらそれぞれサイズの違う弁当を食べ終えた後の五時間目の授業中の事だった。


(なんだ…?)


 普段なら黒板に集中して授業を受けてる筈の蛇ヶ崎巳咲が窓の外を向いたまま微弱にカタカタと身体を震わせている。


 孝仁からは背中しか見えないが、明らかに様子がおかしい事は伝わってくる。彼女が握るシャープペンの先までも振動は伝わっていて、チラリと身を避けて窓に映る姿を見れば、その顔はいつにも増して白く、顔面蒼白であった。


(なんだよ、何に怯えてやがる?)


 窓の外は暖かい日差しが差していて、もうすぐ残暑も抜けるだろうという気候の元、白雲がちらりほらりと泳ぐ中、その背景には綺麗な青空が染み渡っている。校庭には誰が使ったか分からないボールが一つ寂しそうに転がっていて、昼休みの喧騒を懐かしんでいるかのようにも見える。


 孝仁はそんな平和な風景を眺める彼女が何にそんなに怯えてるのか分からなかった。


 ▼


(ああ、まただ。また前世の彼女わたしが現れた…)


 これまでの一週間、巳咲は平和に日常を暮らしてきた。


 あの自転車のミラーに映った彼女を見て以降、その姿は学校のトイレや夜カーテンを閉める前の窓ガラス、さらには部屋の全身鏡にも現れる事は無かった。


 学校でも親しい間柄の友人と呼べるような話相手も出来て、相変わらず隣に座るいやに不愛想な男子は気になるものの…都会を離れ緑が多い空気の澄んだ場所へ引っ越してきて良かったと心底思っていた。


 ズキンッと既に塞がれた今はもう完治した筈の左手首が痛む。


 窓に映る姿は恨めしそうにこちらを睨む過去の自分。今世の作り物のような綺麗な容姿の自分ではない。…そんな前世がそっと囁く。


 "ねえ、楽しい?ねえ、どうして笑えるの?みんなみんな寂しがっているのに、本当の貴女はそんな綺麗な容姿じゃないのに…いくら外見が変わっても中身は私と同じ醜いままなのに…ねえ、どうして?"


「ひっ……」


 悲鳴が出そうになる。頭の中ではこれは自分が作り出した幻影だと分かっているはずなのに、身体中が冷たくなり、どうしても口から溢れでる悲鳴を押さえる事が出来そうにない。


 ガシャーン!


「……え?」


 カラン、カラン、カランカラン…


「な、なんだどうした相馬?」

「…あー、すみません先生。なんか怖い夢見て反動で筆箱落としちゃいました」


 急な物音に驚く教師に、いけしゃあしゃあと手を挙げて悪びれもせず言い訳をするのは、隣の席の「おはようございます」と声を掛ければ「…うす」、「さようなら」と声を掛ければ「ああ…」としか返さない相馬孝仁であった。


「怖い夢って…おまえ、小学生じゃないんだから...」

「すんません」


「やだー、相馬くん可愛いー」

「ちっ、何処が可愛いんだあんな奴…」


 一気にクラス内が騒がしくなり、騒ぎの張本人は周囲の声など気にせず黙々と散乱したペンたちを広い集めている。


「…あんまりジロジロ見んじゃねえよ」

「え、あ、ご、ごめんなさい…」


 そんな相馬孝仁に呆気に取られつつ見ていた巳咲だったが、たまたま目があった彼にまたも素っ気なく扱われてしまい、拾い終わった彼は静かに席に着き肩肘をついて顎を乗せ、それから一切こちらを見る様子は無かった。


 …巳咲は、静けさを取り戻した教室内で再び窓ガラスを見る。


(あ、いなくなった…)


 そこには、今世のまるで人形のように美しい見た目をした自分が紅い瞳をいつも以上に大きくさせて映っており、ふと前の方に目をやると真ん中の席に位置する鷹野芽衣が両手を広げて「やれやれ」というようなジェスチャーをして笑っていたのだった…

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