ニ 煙

 さて、そうこうして三泊四日ほどになる田舎暮らしを始めた俺は、案の定、何もない村に暇を持て余し、けっきょくほとんどの時間をSNSしたり、動画を見たり、スマホゲームをしたりして過ごした。


 しかし、それにもさすがに限度がある……三日目、そんなインドアな遊びにも飽きてきた頃、トイレへ行った帰りになんとなく廊下から座敷へ目をやると、俺の視界にあの木の箱を祀った祭壇が飛び込んできた。


 恐ろしいバチが当たる…と祖父は言っていたが、見た目はただの古びた木箱だし、俺に霊感というものはないが、まったくおどろおどろしいような感じもしない……。


 よくよく考えてみれば、ほんとにあれはそんな恐ろしいものなんだろうか? 


 確かに古くから信仰されてきたものなのかもしれないが、言ってみれば田舎に伝わるただの風習の一つにすぎない。別に中を開けて見たところで何か起こるというわけでもないだろう……。


 祖父にはああ答えたものの、改めてそう考え直すと、俄然、俺の好奇心はむくむくと頭をもたげはじめ、暇つぶしに箱の中身を確かめてみたくなった。


 幸い、祖父母も両親も今は用事で隣家へ行っていて、家の中には俺一人しかいない……おとなりさんといってもけっこう離れているし、これは絶好のチャンスだ。


 俺は座敷に足を踏み入れると、恐る恐る注連縄の内側へと手を伸ばす……そして、慎重に木箱を持ち上げると、畳敷の床へとそれを下ろした。


 持った感覚だと重さは一升瓶の日本酒くらいで、重すぎもせず、さりとて軽すぎもせずといった感じだ。


「どれどれぇ……」


 若干の緊張感を抱きつつ、縛ってある中央の紐を解くと、掴んだ右手の指に力を込めて、俺はその上蓋をぐいっと上へ引っ張ってみる……すると、あまり抵抗感もなく、それは簡単に外れたのであったが。


「うわっ…!」


 蓋を開けた瞬間、何か黒い煙のようなものが、箱の中からぶわっと勢いよく溢れ出したのである。


 ……いや、黒い煙というより、半透明の黒い人影のようなものが、何体も何体も重なり合わさっているようにそれは見える。



 その黒い影を顔からまともに食らった俺は、思わず退けぞって尻餅を搗いてしまう。


「ひっ! ……あれ?」


 だが、わずかの後。咄嗟に瞑った目を開いてみるとそこには何もなく、しん…と静まり返った座敷の中、蓋の開けられた黒い木箱が畳の上にぽつんとあるだけだ。


 それに、黒い影に覆われた体も別になんともない……ただ少し、カビ臭いようなニオイが鼻腔をかすめているばかりである。


「見間違え……か?」


 一瞬で消えてしまったそれに、今見たものが現実だったのか? それとも何かの錯覚で見た幻だったのか判断がつかず、狐につままれたような気分に俺は晒される。


 まあ、特に体に異常もないし、きっと無意識の内に感じていた恐怖心や背徳感のようなものが、そんな幻覚を俺に見せたのかもしれない……。


 とりあえず、そう解釈することにした俺は気を取り直して木箱の中を改めて覗いてみる……すると、中には濃紺の色をした錦の袋が、みっちりと細長い箱を埋めるかのように入っていた。


 こちらもまたずいぶんと古いもので、絹織の生地もだいぶ色褪せている。


 なんとなく、たぶん、お札かあるいは仏像みたいなものでも入っているんだろうな…と想像していたので、その予想は大いに裏切られた。


 イメージ的には神様を祀るための御神体というよりも、骨董品をしまっておくための箱と袋…といったような、そんな感じである。


 形は細長いし、日本刀の短刀でも入っているんだろうか?


 今度はそう予想しながら、もちろん俺は袋も取り出すと、縛られた口の紐を解き、袋の中身も確認してみることにする。


「なんだ……?」


 狭い口から覗く、真っ暗な洞窟が如き絹織の袋の中……その暗闇にぼんやりと浮かびあがり、何か白い小石大ほどをした欠片が無数に折り重なって詰まっていた。


「骨……?」


 そう……それは骨だ……所々黒ずんだり、黄ばんだりもしていたりはするが、全体的には完全に白化した、カラカラに乾いた骨の欠片である。


 細かく砕かれているのでなんの骨かまでは判別できないものの、少なくとも四つ脚の、犬猫以上の大きさの動物であることだけはその太さからわかる。


「まさか、人間の骨なんてことないよな……」


 そんな想像をすると、急に怖気おぞけが背筋に走り、俺はひどく気分が悪くなってきた。


 と、そんな時、玄関の方でガヤガヤと人の話す声が聞こえてくる……どうやら隣家へ行っていた祖父母や両親が帰ってきたようだ。


「やっべ……!」


 それで一気に現実へ引き戻されると、俺は慌てて袋の口を縛り、木箱へ戻して素早く証拠隠滅を試みる。


「ああ、おかえり……」


 ギリギリなんとか元の状態へと戻し、怪しまれないよう座敷を離れて居間へ行くと、何食わぬ顔をして炬燵でみんなを出迎える。


「……ん? どうかしたか?」


「い、いや、別に……」


 それでもどこか不自然な態度に、わりと勘の鋭い祖父が疑念の目を向けてくるが、なんとか木箱のことは気付かれずにすんだようだ。


 だが、その夜のこと……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る