side 井上公孝
第1話
俺がそいつ――
泉坂とは住んでいる区域が違っていたから、通っている保育園は別だった。だからその日が来るまで、俺は泉坂の事なんて全然知らなかったし、当然だが泉坂も俺の事なんて知らなかった。
自分で言うのも何だが、俺は物心つく前から運動神経がかなり高かった。両親が後生大事にしているアルバムの中には、ようやくまともに歩き始めたと思しき二歳くらいの俺が子供用の鉄棒を掴んで、一人ぶら下がっている写真がある。俺自身は全く覚えちゃいないが、公園を散歩していたら、鉄棒で遊んでいた小学生達の真似をしたいと駄々をこねたという。
とりあえずちょっと触らせておけば満足するだろうと高をくくった母親が小さかった俺の体を持ち上げたところ、俺は意気揚々と両手を伸ばして鉄棒を掴み、そのまま母親の腕の中からすり抜け、一分以上もの間、余裕でぶら下がっていたそうだ。その決定的瞬間を収めてやったと父親はアルバムを開くたび、嬉しそうに言っていた。
保育園に入っても、俺の運動神経は留まるところを知らなかった。誰よりも早くジャングルジムをするすると昇れたし、縄跳びの二重飛びだって余裕でマスターした。跳び箱だって軽々と高く飛べた。そして何より、かけっこが一番得意だった。
年中組に入る頃には、同じクラスはおろか、次の年には小学校に上がる年上の奴にだって大差をつけて勝てるほど、俺の足は速く走る事ができた。その様子をたびたび見ていた両親はもちろん、他の子の親や保育園の先生にもよくこう言われた。
「公孝君は、本当に足が速いねえ」
「公孝君はすごいよ。将来はオリンピック選手になれるんじゃないかな?」
「小学校に上がったら、地元の陸上クラブに入るといいよ。きっと、すごい選手になれると思う!」
そんな事を何度も言われたら、まだ思慮の浅い小さな子供だった俺は当然のごとく有頂天になった。
世界中で、一番足が速い子供はこの俺だ。誰も俺に敵いっこない。皆の言う通り、大人になったらオリンピック選手になって有名になるんだ。
そうなれるって、信じて疑わなかった。自分の未来は、確実にそうなるって心から信じ切っていたんだ。
だからあの日、上には上がいるって事を教えてくれた泉坂との出会いは、俺にとってまさに青天の霹靂だった。
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