第二話
連絡を取り合うようになって何ヶ月か友人として過ごした。
君も私も映画と音楽が好きだけど、ジャンルの好みは合わない。でも食の好き嫌いは似ていた。特に嫌いが。
待ち合わせして映画を観たり美術館や博物館を巡り、夜になると飲みに行く毎週末。私は会社を辞めて在宅の業務を始めた。法律関係だけは諦めきれなかったから仕事にできたのは嬉しかった。その期間中に君の誕生日がきた。いろんなことがあったね。
タイフェスもジャマイカフェスも一緒に行く人ができた。話題のお洒落なカフェよりも大盛自慢の喫茶店や渋い定食屋が好きで、君といるのは楽ちんだった。待ち合わせの後は駅近くにあるカフェの2階でその日の予定を立てる。勿論チェーン店だ。
いつも君は「テレビで見たから」と博物館やお寺を調べてきてくれた。
私はテレビなんて所有しないから知らない場所が多くて。地デジに変わった時に買い替えたけれど貧しい友人に譲ってしまったからさ。あの舞台役者の彼を憶えているかな。
「一緒に舞台を観に行ってくれない?チケット買ってあげたいんだ」
ほら、まだお付き合いする前に君を誘った蔵前の劇場に出てた。
六義園は君が調べてくれて初めて知った場所。オレンジ色の羽が落ちてくると言ったら、それは
はっきりと好意を伝えてくれて交際を申し込まれたのは、ジョンレノンの命日だった。なかなか男らしいところもあるじゃないかと惚れ直した。そんなことになると思っていなかった私はその後に女友達とホルモン焼きを食べに行く約束をしていて、その日は夕方まででお別れになった。
***** ***** *****
君とは三年半お付き合いをした。
手をつなぐのがせいぜいの
本当は温泉にも沖縄にも行きたかったな。それが不可能なのだと知ったのは、友人ではなくなってすぐのことだった。そのことは薄々感じていた。
君の話から想像する限り、ご両親は特別に君を大事にしていたように思う。ただ、でたらめに甘やかしていたかというとそうではなかったのではないか。どうやらお給料も母上が管理している。外泊は一ヶ月に一度と決められ、許可が下りない場合もあるという。君はそれを一般的だと信じて疑わなかった。
外泊がいけないのだから当然門限もあったのだろう。自宅の最寄駅から電車で何駅以上離れてはいけない、という決まりもあったのではないか。それに気付いたのはお別れをした後のことだった。
君が指を折り曲げて何か数える仕草を何度も見たことがある。思えば、駅で路面図を見上げて数えることもあった。
月に一回の外泊を君は高校時代の親友との旅行に費やした。
一ヶ月に一度の外泊を私と一緒に温泉でも行かないかと伺いを立てたことが何度かある。「何回かに一回で構わないから」と。
君の答えはいつも「考えてみるよ」だった。
洒落たスーパー銭湯を見つけて行ってみたくなり君にURLを送ると「参考にさせてもらうよ!」という
つまらないあの温泉街を嫌って飛び出した私を、温泉の神様が許さないのかもしれない。
***** ***** *****
金曜の夜、仕事帰りに飲みに行ったのだと思う。そのままスーパー銭湯に宿泊したことがあった。土曜日の午後から雨が降り始めて傘を買った。御茶ノ水の中古レコード屋さんの下だと思う。使い捨ての傘を買うことに抵抗があって、それなりの傘を選んだ。黒い傘、君が差して帰っても変じゃないように。
夕方になって居酒屋で話していると彼の電話が鳴った。
説明されたわけではないが、父上からで「いつまで遊んでいるのか。早く帰るように」という内容だったのだろう。
事情がわからず、なかなか帰り支度を始めない私に対し君がイラついているのは明らかだった。急いで店を出ると君は振り向きもせず改札を通り過ぎた。
なのに私は気付かないんだ、お幸せだったね。いやぁ、おめでたい。君が雨に濡れて風邪をひくとか、怒られてしまうって心配しかしていなかった。無言で突っ返された黒い傘を握りしめていた。狭い空から虚しさが降る。
何十年か待てば変わるのかな。そう考えたことも何度かあるけれど、終わりはもっと早くに訪れた。
気ままに振舞う彼に羨望を抱いていた部分もあるかもしれない。それが私には、月並みだけど籠の鳥や飼い慣らされた座敷犬みたいに見える時もあった。衣食住の心配が無いのは素晴らしいことだ。それだけでも享受できて保持していられて、それと引き換えのような制限があっても。自由だと疑わないのなら、それは幸せなのだろう。
君は昔から素直な子だったのだと思う。ご両親は可愛くて仕方が無かったことだろう。大人になってからもあんなに素直で、同い年の私だってそう思うくらいなのだから。
だから騙されやすくて、人の
「実は俺オオカミのバンドのメンバーなんですよ」とかね。
思考するまでもなく嘘と判る偽メンバーの言葉を君は信用して、
「今年一番テンションが上がった」などと浮かれて嬉しそうに私を呆れ返らせた。
そのくせ簡単には心を開かない疑い深さを持ち合わせていた。人付き合いが下手で、それが私を安心させた。私が守ってあげなければならない。そんな使命感があった。
翌日は茅ケ崎へお墓参りに行くから飲みには行けないと一ヶ月以上も前から断っておいた週末。君は私の自宅の最寄り駅まで来てしまった。
帰るようにやんわり諭しても、君からは飲みに行きたいとかカラオケに行きたいという様子が伝わってくる。またある夜は「その日は親戚の家に行く」と伝えておいたのに最寄り駅に来ていると連絡が入った。
こういう時、思い付きで行動する君の危うさに正直ゲンナリした。親戚宅には母から命ぜられた用事でお邪魔していたので「彼氏が迎えに来たから」と立ち去ることはできない。電話でそう伝えながら、これは私が謝らなければいけないことなのだろうかと疑問が湧いた。
「急に出かけると親から言われちゃうんだよ」と君から苦言をもらったこともあったからね。
君の機嫌が悪くなってゆくのを感じながら、こうならないように
君はそうやって私を困らせた。
誕生日にもクリスマスにも君からプレゼントをもらったことは一度も無い。誕生日は聞かれた時に教えたけど覚えなかったみたい。クリスマスまで知らないってことはないんだろうけど。
ただ時々、近くの本屋さんで展示会があったりした時。屋久杉で作られたスプーンとフォークのセットであったり、開ければ中に小さな小さな南天の実や小判の詰められた小槌のお守りの根付なんかを贈ってくれることがあった。それらはどれも私好みで心躍るものばかりだった。それに連絡は毎日くれる。
それだけで、それだけのことなのに愛されているつもりでいた。
嬉しくて、君のことを考えていれば眠くても寒くても、所在がなくても頑張れた。
君と出会ってからの時間にはいつも光が降り注いでいた。
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