序章 琥珀編

第一話「幻琥」

 日曜日。日の出と共に起床。トイレ、手洗い、歯磨き、洗顔。飲み物を持ち、外へ。


「おはよう、隠子夢おねむ

「おはよう、爺ちゃん」


静寂の青が少しずつ琥珀色に変わる。色が混ざる瞬間、太陽光の温かさ、風の匂い。そして、爺ちゃん。僅かな刻の中で永遠を感じる事ができる。僕はこの時間が好きだ。


「始めるか」

「うん」


朝は瞑想から。陽光を浴びながら心を‘‘くう’’にする。無の境地は未だわからない。何も考えないようにそれっぽくしている。本当は別の事を考えているのは内緒だ。そして柔軟。これは得意だ。じんわりと汗が出る。水分補給し、次は古式ムエタイの型。数年前まではよく直された。今は綺麗に出来てると褒められる。ただ爺ちゃんには敵わない。爺ちゃんのそれは、美しく、疾く、力強い。


爺ちゃんの名は幻琥げんこ。かつて共人の長─創造主を守護していた四神と呼ばれる戦士の一人だった。西の門を護る‘‘白虎’’と言っていた。今は息子が継いだらしいけど、僕には想像できない。爺ちゃんは強いけど、虎っぽさや猛々しさはないのに。爺ちゃんの第一印象は‘‘優しい’’だ。あと昔モテただろう無駄に男前感はある。体は小さい方だと思うし細身だ。拳とか脛とか凄く硬いし、筋肉バキバキだけど。


一通り終えたら一度家に戻り、手洗いうがい、洗顔、朝食。そして、朝の散歩へ。

家の周辺には爺ちゃんの好きな建物が幾つか造られている。カンボジアのアンコール・ワット、タイのアユタヤ遺跡やワット・アルン(暁の寺)の様な東アジアの遺跡や寺院に似せてあるみたい。前に嬉しそうに話してた。そういった建造物の周りを歩く。体が温まってくると軽くジョギング。と言っても速度は徒歩と変わらない。それを四十五分程。景色を楽しみながら、爺ちゃんと話しながら、時には黙々と。これが地味にきつい。


そして午前のトレーニングの締めはシャドーボクシング。最高の自分を想像し、全盛期の幻琥と闘う。‘‘白虎’’の特技は立ち技。打撃で相手を倒すことを主とする。倒される前に倒す。組ませない、投げられないだ。僕もムエタイで応戦する。いつもよりキレがいい。虎視眈々と窺い、水月に前蹴り《ティープ》!……が決まった直後、横から声が聞こえる。


「よし、いい蹴りだ。昼飯にしよう」

「はぁ、はぁ。やった。チャーハンがいい。チャーハン!」

「わかった、わかった。チャーハンにしよう」


絶品のチャーハンを食べた後は昼寝の時間。一時間半程寝る。休息もトレーニングだ。アラームが鳴る。トイレ、洗顔、水分補給をし外へ。軽く柔軟した後はグローブをはめてミット打ち。ここからが本番。午後練の始まり。


爺ちゃんはミットを持ちながら格闘技談義をする。その種類、どう対応するか、捌き方、防ぎ方、カウンター等。僕は本当はミット打ちに集中したいのだけど、これも勉強。それにわざと注意を散漫させてるようにも思える。とにかく油断すると爺ちゃんの攻撃が来る。大変だけど面白い。一番成長が感じられるトレーニングだと思う。


「よし。いい音だ。バナナキック行くか?」

「えー」

「嫌ならいいけど」

「強くなりたいから行くよ(あれ痛いんだよな)」


森の中に入る。トレーニング用のバナナの木には麻が巻かれている。肘、膝当てとレガースをはめ、グローブをつけ直す。爺ちゃんは素手と素足でバナナやヤシの木を折るけど、僕には無理。拳、脛、膝、肘、体はもちろん、痛みに負けない精神力を鍛える為、ひたすら打つ。右、左、ロー、ミドル、ハイ、膝、肘。そして前蹴り。始めは痛過ぎだったけど何年も打ってると慣れてきた。時折休憩しながら飽きる程打ってると、涼しいそよ風が額の汗を冷やす。


「随分打てるようになった。よし、終わり。少し冷やして、いつものスパーリングだ」

「やっと終わった。このトレーニングって爺ちゃんの好きな映画でやってたよね」

「おう。『キックボクサー』だ。あれから取り入れた」

「でもムエタイっぽくないよね」

「あぁ。あれは空手かな。でも憎めない面白さがある。アユタヤの夕陽も綺麗だし。子夢見たことあったか?」

「修行シーンとラストバトルだけ」

「お、おう。今はそれでいい。さあ、休憩終わり」

「はーい。そう言えば爺ちゃん、あの映画のムエタイの達人に似てるよね?」

「ふふふ」


一日のトレーニングの締めはマススパーリング。丁度、日が沈む時間帯で、場所はアユタヤ遺跡に囲まれた武舞台。漫画「ドラゴンボール」の天下一武道会を参考にしたらしい。観客席はないけど夕陽が綺麗で僕も好きなトレーニングだ。素手素足で、爺ちゃんは触れる程度でしか当てない。僕はほぼ本気。自分が怪我しない程度に当てていく。まず当たらないけど。さらに爺ちゃんは逆光を上手く使って攻撃してくるし、わざと受けて油断させてカウンターの膝とかしてくる。クセ者だ。でも、僕にとって一番大切な時間だと思う。


「日が暮れたし、帰るか」

「うん。今日は唐揚げがいいな」

「おっ。俺も食べたいと思ってたところだ」

「楽しみだなー」

「手伝えよ」

「はーい」


爺ちゃんとのスパーを終えて帰る時、僕はいつも意気揚々と歩く。映画の主人公の様に、この地を救ったヒーローの様に、夕陽がそうさせるのかな。今日は特に気分が良い。今夜はよく眠れそうだ。


二人で夕食を作り歓談。

「爺ちゃんレモンかける?」

「かけない」

「だよね。あ、流れ星」

隠子夢がふと窓の外を見る。

「え、見えなかった。本当に?(そんな情報あったか?後で調べないと……)」

「うん。そっちからじゃ見えないかも。珍しいね」

「そうだな。ほら、もっと食べていいぞ。いっぱいあるからな」

「ゔん」

「よく噛みなさい……」



隠子夢が寝た後、静かに外へ出る幻琥。辺りを見回しながら、広い‘‘瞑想の場’’まで歩く。深呼吸し、体全体に気を張り巡らせ、集中し、満天の星を見渡す。


(何も感じない。あの子の勘違いだといいが……)


百戦錬磨の幻琥と本気で闘い破れた者は皆、幻を見ると云う。地に落ちる刹那、夢の中に入り、幻と出会い、現を知る。過去の自分と向き合い、悟る。


そんな伝説の白虎も老いには勝てない。銀色に輝く星空の下で、その背中は、少し小さく、そして、どこか寂しそうに映っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

次の更新予定

2025年1月9日 20:25

空月斗伝 地禅 @topaz_jizen2025

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ