うなぎは旅に出る

孔雀と煙

うなぎは旅に出る

「初詣ですな」


『新年早々に晩酌の共探しですか』


鳥居の麓で人々が燥いでいる時、見知らぬ二人はうなぎ屋の二階の窓辺で一席の付き合いをしていた。


『あの人をご覧、あんなに楽しそうにしている。大人気ない、実に大人気ない』

「今日くらいは緩してやって下さい。あれでも色々あったのです」

『知り合いですか』

「そんな所で」


重の蓋を開ける。

閉じ込められたうなぎが顔を出す。


『貴方の知り合いは何にあそこまで憂かれているのでしょう』

「全てにですよ。波乱を携えて此処まで来れた全てにです。規則に疲々して、重要でないと気づいたのです」

『規則は必要だから規則なのです。守れば安全が約束されるのに、白痴だ』

「ソレに気を取られ、守れたモノを守れなかったのなら本末転倒です」


青山椒を人差し指で叩くとうなぎに化粧を施す。

「楽しい人はお嫌いですか」

『嫌いではありません。ただ私にとって遠すぎる気がするのです』

「笑いはお嫌いですか」

『いいえ、ただ近頃自分と他人の笑顔に触れる機会が減ってしまったのです。忙しいと言っても良いと思いますか』

「良いと思いますよ。但し、今の生活が変われば新たな言い訳を用意する必要がありますね」

『今の私が身を置くこの環境が変わるとは思えません。ふと思えば私はそこ迄生を真っ当していないのです。何が起こるのか分からないのです』

「その調子です」


うなぎが自分の醜さを知って絶望する。

うなぎは休息が必要なようだ。

「最近新しい事を始めたようですね」

『えぇ』

「続きそうですか?」

『続けますよ。私に出来ることは余りありません。せめても何かを心から愛し続けてみたい』

「それは惰性では無いですか」

『気付けば続いていれば、それは愛ですよ。それで良いんです。もし突然何かを愛したのならそれは盲目です。』

「そういうものですか」

『そういうものです』


うなぎは趣味ができたようだ。

うなぎは早々と身支度をしている。

『ご友人がお好きですか』

「えぇ好きですよ、何をやっても許すぐらいに。勿論貴方もです」

『聞いていません。私にとって人肌は心地悪いのです』

「それもいつか大丈夫になります。他人を信じれなくなってしまっただけなのでしょう」


うなぎは傷だらけの自分の心に気づいた。

うなぎはそれを心の金継ぎだと笑った。

「綺麗なヒビですね」

『そういう貴方はヒビだらけで金だけでなく色々なモノを注いでいますね』

「...鳥居のあいつを見てください」

『ヒビだらけですね。金で埋まってここからでも眩しく見えます』

『...』


『........』


『あぁなる事を、望ましいと思うべきなのでしょうか。

私は先が見えぬ事が怖いのです。何処に行けば救われるのでしょう』


「.....」


『いつも応えてくれませんよね』

「私達は初対面のはずですよ」

『えぇそうですね。でも違いますよね』

「そのとおり」


『私は人を許してきたつもりでした。して誰が私を許してくれるのでしょう』



「私はいつでもここにいますよ」



うなぎはお辞儀をして去っていった。

うなぎは世界の愛し方を学んだようだ。


「ご馳走様でした。一席のお付き合いを有難う御座います。貴方の分も勘定を済ませておきます。お付き合い頂いたせめてもの感謝です。」


『記憶に留め無いかもしれませんよ』


「それで良いですよ」


初詣、出店に食事処が排気口から煙を吐いている。

人がすっかり少なくなる中、一人鳥居の麓で佇んでいた。砂利を踏む音が聞こえる。鳥居に近づくと柱に塗られた漆を手に取る。


朱色に輝く漆を身体に塗り始めた。金と朱色は混ざりひとつの玉虫色になった。色は次々と重なる。


通りすがりのうなぎが言った。

『素敵ですね人の子。きっともっと素敵になるのでしょうね。羨ましい。故に私も向かわなければですね。私もなれるでしょうか』


『私もまさか己が此処に立つとは思いませんでした。私が成れたのだから貴方も成れますよ。』


うなぎは不安そうに言う

『この先、不安になったら誰かの手を借りてしまうかもしれません』


『私はいつでもここにいますよ』


うなぎは嬉しそうにその場に背を向ける。


『さてと腹ごしらえだ。』


店の戸を開けて軋む階段を上ると窓辺に別の客が見えた。

一人で食べるには致し方虚しいので声をかける。


『初詣ですな』

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