第9話 宿屋
「あなたのおすすめと聞いてきたので付いては来ましたが少し遠すぎじゃないですか?」
入団試験一日目が終わり、オリベルがオルカを自身のお気に入りである宿屋『キャッツ』へと連れて行くと第一声でそう言われてしまう。
「そうかな?」
「そうですよ。中心街から30分くらいは歩きましたよ?」
オリベルからすれば村では歩いて30分など普通の事なのだが、ここは王都である。
少し歩けば必要なものが事足りるようなこの町で30分歩くという事はかなりの遠出という事になるのだ。
「まあ歩いただけの魅力はあると思うよ」
「でないとあなたをこの剣で貫きます」
「……冗談だよね?」
「どうでしょう」
にっこりと微笑むオルカに底知れない恐怖を感じたオリベルはこの空気感から逃げ出すかのように宿屋の扉を開く。
「すみません。食事を摂りたいのですが」
「いらっしゃーってあれ? オリベルさんじゃないですか! 試験はどうなったのです?」
「それが予想以上に人が多かったもので二日に分けての開催になったんです。あっ、というか今日の宿泊分空いてます?」
「空いてますよー。お母さんをお呼びしてきますのでちょっとお待ちくださいね」
そう言うとこの店の看板娘であるアーリが奥へと行ってくる。それから少ししておかみさんがカウンターへと姿を現す。
「ごめんなさいね。毎度毎度呼び出させてしまって。それでオリベルさん一人で泊まるのかい? それともそちらのお嬢さんも泊まるのかい?」
「いや、オルカは王都に住んでるから……」
「私もでお願いします」
オリベルが断ろうとすると横からオルカが割って入ってきてそう言う。
王都に住んでいるって言ってなかったかとオリベルが不思議そうに見つめるが当の本人は何食わぬ顔でその場に立っている。
それから昨日のようにご飯も含めた宿泊代を二人分支払うと、晩御飯まで時間があるからと部屋で待つこととなる。
「……何で二人部屋にしたの?」
「だってそちらの方が節約できますし」
オリベルが一人部屋を二つと言おうと思っていたら先にオルカが二人部屋を一つと言ってきたのだ。結局、押し切られて二人部屋になってしまった。
「というかそもそも王都に住んでるんじゃなかったのかい?」
「住んでますよ。ですが家は楽しくありませんので」
「いや別に僕と過ごしても楽しくはないからね」
「そうでしょうか?」
オルカは今まで鍛錬しかしてこなかったため他人との付き合いが希薄であった。だからこそオリベルに対しての距離感が若干おかしい。
一方でオリベルはオリベルでまた距離感の測り方が分からなかった。
同世代との接触がステラ以外なかったため女性と同部屋であっても少し抵抗はあるものの金が安くなるからという理由ですぐに受け入れたのである。
「それはそうと試合で少し汗をかいてしまいました。お風呂に入ってきます」
「はいはいどうぞ」
そう言ってオリベルは二つあるうちの自分のベッドと決めた方へと腰掛け、剣を取り出す。部屋には一つしか風呂が無いため、やることと言えば剣の手入れだけなのだ。
オルカが脱衣所へと入って少しして衣が擦れる音が聞こえてくる。オリベルも年頃の男の子だ。全く気にならないと言えば嘘になる。
若干集中力が途切れながらもオリベルは剣を磨く。
「よしこれくらいで十分か」
オリベルが剣を磨き終わってもなおオルカが風呂から上がってくる気配はない。暇になったオリベルはそのままベッドへと寝転がる。
「死期は相変わらず見えるな」
王都に来れば母数が増えることで以前のステラのように死期の見えない人がいるかと考えていたオリベルだったがそんなことはなかった。
すべての人に、オルカの顔にすら赤い数字が刻まれていた。今日会ったばかりとはいえ王都で初めてできた気軽に話せる人物だ。心苦しくもなるだろう。
仲良くなればなるほど赤い数字の重荷がオリベルの胸にのしかかってくる。この重荷に耐え切れなくなって幼少期では村の皆と関りを絶っていたのだ。
今でもこの感覚は変わらない。この心境で果たして騎士として王都でやっていけるのかオリベルは不安であった。
「……っと。ちょっと聞いているのですか」
「はいはい、何でしょう!」
オルカの急かす声でオリベルは意識を現実へと引き戻す。
「タオルを忘れたので取ってほしいのですが」
「分かった分かった。今持ってく」
オリベルが周囲を見渡すと机の上にタオルが置かれていた。これの事だろうとすぐに察したオリベルであったが、それ以上の事は察することが出来なかった。
「脱衣所に置いとくよ」
「ちょ待って……」
オルカがまだ風呂に入っているだろうと思って確認をすることなく脱衣所の扉を開いたのである。
そして次の瞬間、オリベルの視界に飛び込んできたのはタオルを持っていないがゆえに一糸纏わぬ姿のオルカであった。
「ご、ごめん!」
それからのオリベルの行動と言えば脱兎のごとき速さであった。タオルをその場に投げ捨てると瞬時に脱衣所の扉を閉めて真っ赤な顔のまま謝罪の準備をするのであった。
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