02 乙女ゲームは始まったばかりです

「おおお、お姉様!?」


 青ざめたリリーに腕を引かれ、ロベリアは後ろにズルズルと引っ張られた。


「申し訳ありません! 姉は、だいぶ具合が悪く、その、高熱があるようで! し、失礼しましたー!」


 リリーに引きずられながらも、ロベリアは愛しのダグラスから目が離せなかった。


 憧れのダグラスを間近で見られて、夢見心地になっていたロベリアは、妹の声で我に返った。


「お姉様! お姉様ったら!」 

「あら、リリー?」


 いつの間に学園内にある女子寮の自室に戻って来たのか、ロベリアは自分のベッドに腰をかけていた。側にいるリリーは心配そうにロベリアを見つめている。


「お姉さま、本当に大丈夫? お熱があるの?」


 リリーの白くて可愛らしい手が、ロベリアの額にそえられた。手からは優しい温かさが伝わってくる。


「大丈夫よ、心配させてごめんなさい」


 リリーの手を取ると、ロベリアは宝物を包み込むようにそっと握った。


「リリー、あのね……」


 ロベリアは、今起こったことをどう伝えたらいいのか一瞬悩んだが、ゲームのような悲惨なストーリーにならないために、とりあえず、自分はカマル王子にはまったく興味がないことだけでもリリーに伝えたほうが良いと判断する。


「私、カマル殿下にはまったく興味がないから!」

「お姉様、急にどうしたの? もしかして、本当はカマル殿下のことを……」


 とんでもない誤解に、ロベリアは慌てた。


「違うの、そうじゃなくて私、ダグラス様のことが好きなの!」


 その言葉を聞いたリリーの可愛らしい唇はポカンと開き、翡翠色の瞳がこぼれ落ちてしまいそうなくらい見開かれる。


「え?」


 少しの沈黙の後「ええええ!?」とリリーの絶叫が部屋に響く。


「え? うそ!? お姉様が好きなのは、カマル殿下じゃなくて!? あの、すっごく顔が怖い護衛のほう!?」


 真っ青になったリリーは、「嘘……。そっちなの……?」と呟きながら、フラフラとした足取りで部屋から出て行ってしまった。


「そんなに驚くことだったのかしら?」


 ゲームの設定では、ダグラスは王子の護衛につく前に、あの若さで騎士の称号を得ている。さらに、伯爵家の三男なので、侯爵家のロベリアと結婚して、婿養子に来ても身分の問題はまったくない。


「……私ったら、結婚だなんてっ!」


 先走った妄想にロベリアの頬は赤くなった。抑えきれない胸の高鳴りをフカフカの枕にぶつける。


「落ち着くのよ、私。まずは、ダグラス様と仲良くならなくっちゃ!」


 と言っても、ロベリアには男兄弟はおらず、今まで話したことがある男性は父と屋敷の使用人たちくらい。だったら、前世の記憶を使って、と思ったが、前世の華も男性経験はないようでまったく使える記憶がなかった。


「こうなったら、ゲームの主人公リリーの行動をまねっこしてみるとか?」


 確かゲームでのリリーは、巻き込まれ型主人公で、何もしていないのに、次々に周囲でイベントが発生してそこに居合わせた男性との好感度がどんどん上がっていくといった感じだった。


「そうよ! 浮かれている場合じゃないわ! 私がリリーを守るんだから」


 リリーには、本当に好きな人と一緒になってずっと幸せに暮らしてほしい。そのためにも、今後はできる限りリリーの側にいて、変な虫が寄ってこないように目を光らせる必要がある。


「ダグラス様のことは大好きだけど、それよりも先に妹の身の安全を確保しなくちゃ」


 妹を守ることを改めて決意したロベリアは、自室の机に向かうと引き出しからノートを取り出しペンを握る。大切な妹を守るためには、今ある情報をかき集めて整理しなければいけない。


 まず、この世界は『悠久の檻』という18禁乙女ゲームと何から何までそっくりだった。このゲームの攻略対象者は4人いる。


 ついさっき中庭で出会ったこの国の唯一の王子カマル、公爵家の令息アラン、世紀の天才レグリオ、そして、最後に聖ハイネ学園の教師ソル。


「えっと、今は、リリーが入学して、初めてカマル殿下に出会ったところだから……」


 ゲームのストーリーとして考えれば、序盤も序盤でまだ何も始まっていない。妹のリリーは、ゲームのプレイヤーと同じで、ちょうど今から18禁乙女ゲームを始めたところと思っていいようだ。


 時計を見れば、午後の授業が始まる5分前だった。ロベリアは慌てて立ち上がると、書きかけのノートを鞄に入れ教室へと向かった。女子寮から次の教室までは近いので、遅刻することはない。


 その途中で、すれ違う女生徒たちの囁きがロベリアの耳に届いた。


『ロベリア様よ』

『今日もお美しいわ』


 驚いて声のほうを見ると、目が合った女生徒達は「キャッ」と悲鳴を上げて走り去っていく。辺りを見渡せば、たくさんの熱い視線がロベリアに集まっていた。


(……私、すっごく、見られている)


 生まれてからずっと、見られることもウワサされることも当たり前だったので、今まで気にもとめなかったが、前世の記憶が蘇った今なら分かる。


 ロベリアはこの学園内でとても目立っている。視線が自分に集まることに居心地の悪さを感じていると、後ろの方から黄色い悲鳴が上がった。


「カマル殿下よ!」

「素敵!」


 声に流されるようにロベリアが視線を向けると、遠くにカマルとダグラスが見える。


 カマルはロベリアより学年が一つ上なので、今まで学園内で会うことはめったになかった。


(今日だけで二回も会うなんて、いよいよゲームのストーリーが始まったって感じね)


 遠目に見える凛々しいダグラスにときめきながらも、できる限りカマルには関わらないほうがいいだろうと、ロベリアは二人から逃げるように教室へと足を速めた。

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