令和怪奇事件録 ~はぐれ巫女のお祓い日誌~
蝉の弟子
第1話 学校 前編
カラッ、コロッ、カラッ、コロッ……
師走の夜の街から、耳障りな下駄の音が響いてくる。
「目立たない恰好で、とお願いしていた筈だが……」
近づいてくるトレンチコートの人影を見て、中学教師・永井東吾はため息を吐く。今は夜九時を回り校門周辺に誰もいないとはいえ、万が一にも変な噂が広まっては困るのだ。
今夜は曇り空で道は暗いのが、せめてもの救い。寿命間近で頼りない街灯の光がみが、トレンチコートから伸びる長い黒髪を照らしている。
「御坂さん、ですか?」
理事長が雇った霊能者が、まさかこんな若い女性だとは思わなかった、と内心思いながら永井は少し緩んでいたネクタイを締め直す。
「そうじゃ」
校門前に辿り着いたトレンチコートから、ハスキーで古めかしい返事が戻ってくる。
身長は170足らず、どことなく飄々とした印象を受けるこの人物は、微笑を浮かべていた。歳は20そこそこといったところだろうか? もしかすると、まだ未成年かもしれない。
「下駄……ですか」
「神木で作った下駄じゃ。こいつが仕事の役に立つのじゃよ」
暗に”もっと目立たない恰好で来い!”と注意したつもりだったのだが、御坂にはまるで伝わらない。それどころか彼女は、コートを脱ぎ捨ててその下に着ていた巫女の装束姿を露わにしている。その白い着物と朱袴が、薄暗い道でも良く目立っている。それが背広姿の永井と並んでいるとなれば、尚更そうだろう。着物の上からでも目立つほどに胸があるのも、夜の学校に巫女という怪しげなシチュエーションと相まって見る者の想像を掻き立てかねず、更にまずい。
「時間がありません、早速お願いします」
「うむ」
永井は慌てて門を開け、校庭にたすき掛けの巫女を招き入れる。校門前に長居させて、人に見られる事を恐れたためだった。
永井がそのまま校舎に向かって歩き始めると、校庭の土を噛む下駄の音に紛れ、チャプチャプと涼し気な音がすぐ後ろから聞こえてくる。どうやら御坂の腰に結わえられた大きな白い徳利がその犯人らしい。
「校内では、上履きを履いてください」
永井は前もって昇降口に御坂用の上履きを用意していたのだが、御坂は泥を落とした下駄のまま校内に上がり込んでいた。
「勘弁してくれんか。こんな邪鬼だらけ場所で、それでは間に合わんのじゃ」
御坂は学校の受付の机に、さきほど脱いだコートを二つ折りにして乗せている。
「邪鬼だらけ!? この校舎は、そんなに呪われているのですか!」
永井は今日一番大きな声を張り上げた。
昔からここは、七不思議などの噂が絶えない学校だったらしい。まだ20代の永井が知っているだけでも、その倍の14を超える噂がある。
今年はそんな怪談の噂が特に流行し、怖いと言って登校拒否に陥る生徒までいるほどだ。永井自身も、放課後の教室を覗く巨大な目を見かけてからというもの、落ち着かぬ日々を過ごしている。
この中学の理事長が霊能者を呼ぶと聞いた時、残業が厳しいにも関わらずその応対係に自ら名乗り出たのも、そのためだった。もっとも、この学校の教師達は残業を専ら持ち帰りでやっているので、今の校舎は二人を残し無人なのだが。
「呪われている、というのはちょっと違うかもしれん。邪鬼というものは、普通に生活していても自然と溜まっていくものじゃ。
例えば宮中では、”お隠れになる””上がる”などという言葉を使い、”死ぬ”という言葉は決して使わぬ。これは言霊により不吉なものを宮中に呼び寄せぬようにするためじゃ」
「では、ここの生徒の言葉遣いが悪いのがいけない、と?」
「問題本質は言葉ではなく心の方じゃ。心の内は自然と言葉に漏れ、そこには感情も乗る。
どうやらこの学校が好きな生徒は、殆どおらぬようじゃな」
「ははは、まさか、ここは人気の進学校ですよ。入試の倍率だって……」
「人気があるのは”生徒に”ではなく、”生徒の親に”じゃろう?」
それは胸に刺さる言葉だった。
苦労して入試に受かった筈なのに、好き好んで勉強しようという生徒は稀だ。実際には、義務的に勉強する生徒ばかりで、むしろ中学受験に疲れ果てて勉強から逃げたがっている生徒の方がよく目立つ。永井は思わぬ指摘に目を伏せていた。
一方、御坂は懐から白い大きな紙袋を取り出し、中の粉を蛍光灯で照らされた廊下に向かってまき始める。
タスキによって袖が短くまとめられているため、彼女の白い腕の宙を舞う様が、やけにくっきりと見える。
「何を撒いているのですか?」
鮮やかな朱袴を翻して、御坂がこちらを振り返る。
「塩じゃよ。塩は邪鬼の動きを封じる効果がある。動きが止まった邪鬼を明日にでも塩ごとホウキで掃きだせばよい。
”鬼は外”という訳じゃ」
明日は冬休み前の生徒達に校舎の大掃除をさせる日だ。御坂がこの日に訪れたのは、それを見越しての事だろう。
しかし……
「それだけでいいんですか? お祓いというからには、校舎中を祝詞(のりと)でも唱えて周るのかと思っていましたが」
「祝詞なら、この塩を清める時に山ほど唱えとるよ」
御坂はそのまま”1-A”の教室のドアを開ける。常ならば放課後に鍵を開けっ放しにする事はないが、今夜内密にお祓いをするというので全ての教室の鍵は永井によって開け放たれている。
「やはり、教室の方が強烈じゃな」
御坂は腰に下げていた白い徳利の中身を口に含み、教室に向けプゥーっとそれを霧状にして吹きかけた。
「もしかして、酒ですか?」
「御神酒じゃよ。神様は酒の臭いを好むからのぅ」
「いや、しかし神聖な学び舎に酒の臭いを付けるというのは……」
「無茶を言われても困る。神道と酒は切っても切れぬ関係なのじゃ。酒を飲むのも仕事の内と、そうのたまう神主もいるほどじゃ。
どうしても酒が駄目だというなら、坊主にでも頼めばいいじゃろう。もっとも、校舎中を末香臭くされても、わしは知らんがの」
永井は肩をすくめて返事の代わりとした。御坂にお祓いを頼んだのは理事長なのだから、御坂がどうしてもというのなら、それを止めるなど彼の立場でできよう筈もない。
「夢の墓場じゃのぅ、ここは……」
教室に塩を巻きながら、御坂が呟く。
「墓場?」
「最近の子が最も憧れる職業はユーチューバーだそうじゃな。わしはユーチューバーがどういうもんか良く知らんが、そんなものを目指す人間がこの学校を好むかどうかくらいは分かる。
ここの生徒は、そんな夢を親に諦めさせられた者ばかりのようじゃ。その無念が、ここで大きな渦を成し、とぐろを巻いておるよ。
邪鬼にまみれておる訳じゃ」
「……しかし将来を考えれば、学歴があった方が社会では有利ですし……」
「わしは中卒じゃが、そこいらのサラリーマンとは比較にならんほど稼いでおるぞ」
「そりゃ御坂さんのように特別な才能のある人は、それでいいでしょうけど」
「では、ここに通う生徒達が、才能の無い者の集まりだとお主は考えておるのか?」
「……」
永井は言葉に詰まった。正直な話をすれば勉強には向いていない、もっと他の才能があるのではないかと思える生徒も数多くいる。だがこの学校は、そういった才能を開発する場では決してないのだ。
廊下に戻りつつ、御坂は言葉を続ける。
「要は、みんな自分の子供を信頼しておらんだけのことじゃよ。
信頼しておらんから、子が失敗するのを怖がる。失敗覚悟でチャレンジさせる事を嫌がる」
「余計な失敗などさせない方が良いのは、当たり前の事でしょう? 人生の無駄ですよ」
続いて永井も廊下に出て、”1-A”の戸締りをする。
「一度も失敗せずに成功する者などおらんのじゃ。決して失敗させないという事は、成功も決して味わせぬという事と同じじゃよ」
御坂は、”1-B”の教室の前で立ち止まり、塩を撒く手をとめた。
「ここは特に邪鬼が多いようじゃな」
そこは永井が担任を受け持つクラスであった。
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