夜伽に代えまして

ritsuca

夜伽に代えまして

 夕闇が窓から部屋を侵蝕する頃、二人の男が差し向かいで話をしていた。

 薄暗い部屋の中、小さなランタンを間に挟み、一人はどこか困ったような面持ちで窓に寄りかかって立ち、もう一人は書類と睨めっこしている。

 なんだか入りづらい。診療所唯一の看護士である和泉は、嘆息して事務室から離れた。

 そんなこともつゆ知らず、二人の男は事務室で話をしていた。

「まったく。どうしてこんなに面倒なことばかり僕のところに持ち込むんだ」

 いい加減にしろ、とばかりに宮城は呻く。だって仕方ないじゃんよ、と笑う向かいの男の横っ面を張り飛ばしてやりたくなった。

 ここは、宮城の診療所だ。

 毎度のごとく、診療が終わる刻限を見計らって玄関からも裏口からも入らずに事務室に現れた福島(今回はどうやら窓から入ったらしい)から渡された書類は、やはりと言おうか何と言おうか、やはり依頼に関するものだった。もちろん、血腥さにかけては保証書つきだ。……とはいえ、その血腥さが直接福島への依頼に関わっているわけではないようで、宮城は安心した。血腥い事件には、あまり直接関わりたくはない。

 それを知っているからか、福島から持ち込まれるものはいつも血腥い事件の本体ではなく、それに関連する、役人から見ればどうでもいいような、けれど遺族からは無視しがたい事柄のみに限られていた。

 正直、ありがたい。

 宮城の診療所は小さいし看護士も一人雇ってはいるけれど、生計が成り立たないわけではない。それでも毎回依頼を受けてしまうのは、やはり好奇心と、福島の気遣いの賜物だろう。

「だって面倒じゃない事件なら俺一人で解決できるしさ」

「だったら面倒な事件は同業者と協力して解決しろよ」

「嫌だよ。そりが合わないから。それにこれ俺じゃ無理だし宮城の能力使わないと無理だし宮城以上に高い能力持ってる人俺知らないから宮城以外に頼めないし頼みたくないんだよ」

 にべもない。

 初めて福島が厄介な事件を持ち込んできたときも、似たようなやり取りをした気がする。

(ひょっとして僕ってまるで進歩がないのかな)

 眼鏡を外しながら溜め息をついた宮城は、胸中で一人ごちた。意味もなく。


 元同級生の宮城は、それはそれは腕の良い『認識者』だ。

 楽園がくえん在学中から、展示されている作品や、注文を受け付けるために見本を展示してある写真を見て気絶すること幾度。その度にルームメイトの誼で介抱するこちらとしては面倒くさいことこの上なかったけれど、それだけ腕の良い『認識者』なのだと思うと、なんだか誇らしかった。

 『認識者』。彼らは、他人を『読む』。人によって能力の傾向に違いはあるものの、大体は二分される。一方は、生きた人間を直接『読む』者。もう一方は、生きた人間の残滓を『読む』者。警察・探偵に需要が高いのは後者だ。なぜなら、前者の彼らは死んだ人間を『読む』ことはできないし、警察・探偵が『認識者』を必要とするのは、それは大抵殺人が絡んだ難事件の解決を急ぐときや、時効の近付いた事件を解決するためからだ。

 そのため、宮城も引く手数多と言われていたのだが、結局彼は楽園を出て、医学の道を志したらしい。元々興味があるとは言っていたのだ。医療の現場にも、『認識者』は必要とされないわけではない。

 しかし、大部分の人間は『認識者』を気持ち悪いからと遠ざける傾向にある。

 小さな町の診療所というのは、ある意味うってつけなのかもしれない。彼もどうやら今の職を気に入っているようだし。

 正直に言えば、事務所に一人も『認識者』がいない現状を打破したい福島としては、宮城を正式に事務所で雇いたいのだが、まず無理だろう。他の事務所に奪られないなら、まぁ、良いか。

 毛布を頭までかぶりながら、福島はひとりごちる。

 隣の宮城は事が済むなり処理を済ませて眼鏡をかけて事件に関する書類を読んでいる。枕もとの小さな灯りで彼は足りるらしい。部屋全体は、暗いままだった。

(もうちょっと、情緒とかムードとか、そういうもんを考えてほしいんだけどなぁ)

 胸中のぼやきは、きっと宮城に届くことはないだろう。考えずとも、そのくらいはわかる。

「ね、福島」

「ぇっ、あ、何?」

 半眼になって宮城を凝視していたがために名を呼ばれたかと慌てた福島は、宮城のどこか呆れたような視線とかち合う。どうやら違ったらしい。

 ほっと胸をなでおろした福島は、それで? と宮城を促す。

「あのさ、この人って、同性愛者?」

 一番上にある紙のど真ん中、被害者の生前の頃の写真を指差して宮城は問う。

 いくらなんでも直球過ぎるだろう、と眉を顰めながらもまさか、と首を振って福島はそれに答えた。

「一応旦那と子供が二人だったかな、いた気がする。夫婦仲円満だったらしい」

「ってここにも書いてあったけどさ」

 と別の紙の一点を指差しながら、宮城は言う。

 どうやら自分が意識を手放していた間に彼はあらかた書類を読んだばかりか、『読』んでいたらしい。眼鏡をかけていたからまだ『読』んでいないのかと思っていたのだが。

「彼女を『読む』と彼女の旦那よりも子供たちよりも彼女にずっと近い位置に、寄り添うように一人の女性がいる」

 律儀にも『読』める情報はすべて『読』んだらしい宮城は淡々と言う。

 彼が『読』んだ情報を同じように見てみたいとぼんやり思いながら福島は問うた。

「名前は?」

「『ちひろ』って呼んでたみたいだね。だけど、偽名みたいだ」

「他に特徴は?」

「あぁ、ちょっと待って。もう一回『読む』から」

 言いながら、宮城は眼鏡を外す。

 楽園在学中はなんでもかんでも『読』んでしまっていたけれど、眼鏡をかけることで、手当たり次第に『読む』ことはなくなったらしい。どうしても『読』まなければならないときにのみ、眼鏡をかけるのだと言っていた。

 じっと書類を見る宮城のまなざしは、ひどく鋭くて、触れればそれで殺されてしまうような、そんな錯覚に陥る。

 楽園在学中よりも精度が高くなった宮城の能力は、同時に処理速度も上がっていたらしく、以前よりずっと早く。『読』んだ結果が返される。

「髪は長くて黒い。細い眉に、糸目。左目に泣き黒子。右肩を下げて歩く癖。左手首に自傷の痕。下腹部に火傷の痕。足は義足。それもかなり良いもの使ってるよ、彼女」

 少なくとも僕の患者の中にあんなに良い義足使ってる人はいない。

 眼鏡をつけながら言い終えた宮城は、書類から目を背けて仰向けに横になる。

 気絶するようなことはなくなったが、相変わらず心身に及ぼす影響は大きいらしい。いくらか荒い息を整えることもなく、宮城は天井を見上げていた。

 あぁ、そうそう。

 何とはなしに、宮城が声を上げる。起き上がりざま、福島は続きを促した。

「彼女、被害者の人から何かを預かってるみたいだ」

「……そうか。ありがとう」

 枕元に投げたシャツを拾いながら、福島は表情を緩める。今回の依頼は、被害者の遺族から、遺品の中に婚約指輪が欠けているから探してほしい、というものだった。少なくとも、福島にとっての事件は、これで解決した。犯人探しは警察の仕事だ。少なくとも今回の依頼とは関係がない。

 のんびりと服を着る福島の表情は、どこか明るかった。

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