曖昧な関係に終止符を。

とりあえず、匿名希望で。

本編

「君が好き」



 何度目かわからない告白をしても、彼は「ああ」としか言ってくれない。同じ好きを返して欲しい、とは言わない。私と彼との関係は、恋人でなければ夫婦でも、ましてや友人でもないのだから。


 ただ、小学生の時に何度か同じクラスになり、私が一方的に彼に惚れて以来、ずっと彼に恋煩っているだけだ。友人には、重いと散々言われた。彼の友人からは望みのない恋など諦めろと言われた。両親には、良い歳なんだから、さっさと結婚して親孝行をしてくれと言われた。


 それでも、私は変わらず、無謀に、彼に恋をし続けている。



 ――きっかけなんて忘れた。ただ、気づいた頃には、私は彼を好きになっていた。不愛想で、口数が少なくて、サッカーのことしか興味のない、サッカー馬鹿の恋愛不適合。


 幼い頃に、頭角を現して以来、世界を相手にするため、サッカーに人生を捧げている人。私とは住む世界の違う、手の届かない人。それなのに、私は愚かにも彼に恋をして、青春時代を棒にふるってしまった。



「……うう、好きぃ」

「アンタ……また、言ってんの? アイツに恋するの辞めなさいよ。私達とは住む世界が違うのよ?」



 小、中学校に高校、大学、就職した今もなお、馬鹿みたいに彼に恋をしている私に友人は呆れたような顔をする。



「アンタ、一生結婚しないつもり?」

「……結婚は、したい」

「なら、さっさと夢から醒めなさいよ。アンタの好きな人は、アンタ意外と結婚するのよ。この前だって、アナウンサーとの熱愛が出てたじゃない」

「あ、あれは! ……相手が彼を狙って、匂わせてたっていうデマだもん」



 噛みつくようにそういう私に友人は「今回はね」と意地悪な言葉を吐き捨てる。友人の言う通り、彼は今まで幾度となく熱愛の報道がされてきた。アナウンサー、女子サッカー選手、一般女性、女優。ありとあらゆる女性との噂が流れ、その度に彼は「くだらねぇデマ流してんじゃねえよ」と否定するまでがワンセットだった。


 だが、これからもそれが続くとは限らない。もしかしたら、今までのだってマスコミを黙らせるための嘘で、本当は付き合っていたのかもしれない。本当は、今も誰かと付き合っているかもしれないし、何なら結婚をしているかもしれない。その可能性を考慮してもなお、私は彼に盲目的に恋をしている。


 友人に、彼を諦めろと言われてから数日後。私は、なんとなく車を走らせて、一人でドライブを楽しんでいた。流行りとは程遠い、昔から好きだった音楽を流して、目的地の存在しない旅をするように自由気ままに車を走らせる。ショッピングをして、喫茶店で昼食をとり、再び車を走らせ向かった先は海だった。


 車を駐車場に止め。眺めの良い所を探すように辺りを散策する。一人で海なんて寂しい女だな、と思いながらも海を眺めていると嫌なことを海が波と一緒に何処かに持っていってくれるような気がして、気が付くと海ほ方へと足を進めていた。丁度良い位置を見つけた私は、その場に腰を下ろして、ぼーっと海を見つめる。



「……この海の先の何処かに、彼がいる国があるのかな」



 水平線の広がる海は、今視界に映るものだけでも途方もない広さだ。彼がいるのは、私が想像しているよりも、ずっとずっと先にある国。きっと、私の恋の叶う確率と同じくらい遠くにある場所。



「寂しいなぁ……」



 ボツリ、と呟いた言葉は波と一緒に消えていく――はずだった。誰の悪戯か、私の声を拾ったのは並ではなく、風で。その風は、私の言葉を誰かの耳に運んでしまった。



「何が寂しいんだ」



 何度もテレビ越しに聴いた大好きな声。その声が直に私の鼓膜を震わせる。思わず、バッ、と音が出そうな勢いで声のする方向へ顔を向けると、そこには私の世界で一番好きな人の姿があった。此処にいるはずのない彼の姿に、私は思わず「どうして」と口を動かす。

 

 そんな私の呟きに彼は「仕事」と短く答えると、私の側へとやって来て当然のように隣に腰を下ろした。そして、急かすように再び「で、何が寂しいんだ」と口にした。


 好きな人が私の隣に座り、私に話しかけている。夢のような現状に私の頭はショート寸前で、あ、え、と母音以外の言葉が上手く発せずにいると、彼が首を傾げて不思議そうな顔で私の苗字を口にする。



(わ、私の名前……覚えててくれたんだっ……)



 小学生の時以来、会うことのなかった彼に名前を憶えて貰えていたことに驚いた。特別、仲が良かったわけでもないし、私は見た目も目立つタイプではない、所謂、地味なタイプなので、彼が私を覚えていたという事実はまるで夢のようだった。



「な、名前……覚えててくれたんだね」

「他の奴との会話で、たまにお前の名前が話題に上がってたからな。で、いい加減俺の質問に答えろよ。何が寂しいんだ?」」

「……忘れちゃった」



 私の言葉に、彼は「なんだそれ」というように眉を寄せ、眉間に皺を作り、不機嫌そうな顔をする。


 それから、私と彼は今かでの近況を語り合うわけでもなく、ポツリポツリと自分達の好きなものについて会話をしながら、ゆっくりと海を眺め続けた。意外なことに、彼は友人との出来事や、マスコミへの愚痴、最近の家族とのやり取りなど、かなりプライベートのことを私に教えてくれた。まるで親しい友人に話すように。その事実が、私の心を温かな気持ちで満たしていく。



「……お前は」

「え……?」

「ないのかよ。最近の話」



 さっきから俺の話ばっかだろ、と彼は口にした。確かに。彼の話を聴けることが嬉しくて、珍しく彼が饒舌なことが嬉しくて、ついつい聴きにてっしてしまった。


 黙り込む私を待つように、じっと黒曜石のような彼の瞳が私に向けられる。その瞳に吸い込まれるように、心の中に秘めていた言葉がぽつりと口から溢れる。



「好き」



 彼を好きになった時に、決して口にしないと決めた言葉。ずっと好きだった癖に、一度も本人に口にしなかった言葉。


 目を丸くして、私を見つめる彼を見た瞬間、蓋をしていた想いが、もう限界というように濁流のように流れ出て、私の口から吐き出される。


 柔らかそうな黒髪が好き。風に揺れる度にふわりと舞うその髪に触れてみたい。黒猫を見ると、その毛色が彼とそっくりで思わず触れたくなってしまう。


 知的な黒曜石の瞳が好き。ちょっぴり目つきが悪くて、怖い印象を与えるけど、その瞳が好きなものを映す時にキラキラ輝いているのをいるのが好き。


 無愛想で口数が少ないけど、実は優しい所が好き。面倒見がよくて、歳下が好きなくせに見た目のせいで怖がられやすくて、そのことを気にしている繊細なところが可愛い。驚いたときに、目が丸くなって口がちょっと開くところとか、綺麗な顔に似合わない口が悪い所とかギャップがあって好き。


 彼に対する好きが溢れて止まらない。思っていることを一気に口にして、ハアハア、と肩で息をする私に彼は何も言わない。流石に引かれたかな、と視線を挙げるとほんのりと目尻あたりを赤くして、耳を真っ赤に染めた彼の姿が目に入る。その予想外の反応に、私にも朱が移る。



(え、は……ッ、な、んでそんな反応をするの⁉)



 今まで数多の熱杯報道があって、その度に無表情dデマを伝えてきた彼が、そこらへんにいる一般人である自分の告白に表情を崩している。ただの同級生の告白で、そんなに顔を赤くする彼が私には理解できなかった。


 だって、彼の反応はまるで彼も私のことが好きなように見えてしまうじゃないか。そんな夢のような話があるはずもないのに。


 しばらく、二人で顔を赤らめ、見つめ合っていると突然、彼が大きく息を吐き、その場にしゃがみ込んでしまった。



「え、えと……」



 しゃがみ込む彼に思わず声を掛けると「……ふざけんなよ」と彼から地を這うような低い声が聴こえた。思わず、ビクッと肩を震わせるとギロリと彼の鋭い瞳が私を射抜く。彼に、ごめん、と手を差し伸べようとすると、その手を強く引かれ、私の体は彼の方へと引き寄せられるように倒れていく。ヤバイ、と目を瞑り衝撃に備えたがいつまで経っても体に衝撃はやってこない。それどころか、私よりも少しだけ温かく硬い何かに体を包まれているような感覚に襲われる。


 ドクドク、と早い鼓動は私のものか、それとも――? 鼻腔をくすぐる嗅ぎなれない男物の香水の香り、視界に映る射干玉色の髪。それら全てが私が彼に抱きしめられていることを裏付ける材料となり、私は抱きしめられているのが自分の妄想ではなく現実であると実感する。行き場の失って手は、彼に触れないように必死で宙をかく。身体を左右に揺らし、解放を促しても、私の希望とは反対に私を包む彼の腕の力は強くなる一方だ。



「ね、ねえ……はな、して?」

「黙ってろ」



 この状況の打破の希望が打ち砕かれ、私は彼が満足するまで今の状況に耐えるしかなくなってしまった。しばらくして、満足したのか彼が私から離れる気配がし、安堵していると彼は最後に私の頬に自分のそれを摺り寄せて離されていく。まるで、猫じゃない。



「さっきの」

「あ、と……さっきのはなかったことにして! 迷惑、かけたいわけじゃないの。本当よ? ただ、ただ私が勝手に貴方を好きになって……それで」

「なかったことになんかするかよ」



 彼から吐き出された言葉に、私は思わず申し訳なくて下げていた頭を上げる。見上げた彼の顔は、よくわからない表情をしていた。そんな彼に、なんで、どうして、と声にならない声で呟く私。そんな私に彼は言った。



「なかったことになんか、してやるかよ」

「な、んで」

「お前、俺がたかだか友人との会話で話題に上がっただけでお前のことを覚えてるとか、そんなことあるって本気で思ってんのか」



 彼の言葉に、私は彼と再会した時のことを思い出した。確かに、彼は友人から私のことを聴いていて覚えていたといっていたが、興味のない人間のことを友人に聴いたくらいで覚えているか? まず、興味のない人間の話を彼は友人としたりするのだろうか? 答えは、否だ。彼の性格上、興味のない人間に対して使う記憶力などは存在しないであろうことは、彼の友人が一番よく理解しているはずだ。つまり、彼は初めから私のことを置覚えていて、友人が私の話をしたのも、彼が何かしら私に興味のあるような素振りを友人達に見せていたからだろう。そんな夢のそうな現実が存在するということだろう。



「で、でも……私、君と仲良くなんてなかったよね?」

「お前、昔から好きなことには一直線だろ」



 彼が言うように、私は昔から好きなものに対して盲目的なところがあった。それこそ、友人達が呆れるほどに。



「好きなものについて喋るときのお前の瞳が印象的だったんだよ」



 いつか、その瞳で俺について話して欲しい、そう思っちまうくらいにな。そう語る彼の目尻が優しく垂れる。知らない、そんな優しい顔が出来るなんて知らない。彼が、それほどまでに私のことを見ていたなんて知らない。


 顔から湯気が出そうなほど熱くなり、身体中の血液が沸騰しているかのように全身が熱い。顔を真っ赤に染め、言葉を失う私を見て、彼は、ふはっ、と吹き出しながら珍しく声をあげて笑っている。



「その顔は、初めて見たな」



 そっと、手を私の方へと伸ばして私の頬を優しく撫でる。優しさの滲んだ瞳が細められ、段々と私と彼の距離が近づいていく。



(あ、ダメ……この雰囲気は……)



 キスされる。そう思った私は、咄嗟に体を強張らせ、固く瞳を閉じた。が、想像していたような感触はやって来ない。代わりというように、額に、ちゅっ、という可愛らしいリップ音が響く。前髪越しに、一瞬だけ柔らかな熱が私の額に伝わる。驚いて目を目を見開くと、視界いっぱいに意地悪な顔をした彼の姿が広がる。キスされると思ったのか、とでも言いたげなムカついた顔をした彼の姿が。



「期待したか?」

「……してない」

「ははっ、わかりやすい嘘だな」



 私の手を取り、自分の手と絡める。散歩をしよう、と歩き出した彼の横に並ぶように私も足を進める。横に並んでみると最後にあった時よりも、随分と背が伸びていることに気づく。テレビで見ると彼のは体は他の選手と比べて華奢に見えるから気づかなかったが、こうやって並んでみると彼との性差を感じずにはいられない。手だって、私のものよりも大きくて硬い。


 会話もなく、ただ一緒に歩いているだけの時間だったが何故だか心が満たされたような幸せな気持ちになる。言葉では伝えられていないが、彼が私に好意を抱いていることを匂わせる発言があったからか、それとも好きな人と一緒にいられるからかわからないが、一つだけ確かなことがある。


 私は、今幸せを感じている。


 波風に乗せられて、彼の香りが鼻腔をくすぐる。その香りにつられるように彼へと視線を向けると、彼も同じように私のことを見つめていた。突然、彼が立ち止まる。そして、先程と同じように私に手を伸ばして頬に触れる。優しく引き寄せられ、距離が近づく。どうせ、また額だろう、と思いながら瞳を閉じると先ほど違い口元に熱を感じる、唇のすぐ隣に感じた熱に驚いて声を上げると、今度は唇に熱が落とされる。何度も、何度も落とされる熱に私は酔ったように足腰から地殻が抜け、彼に縋りつくように身を委ねる。しばらくして、熱が離れたと思うと彼の満足そうな顔が視界に映る。



「な、なな……!」

「……油断し過ぎなんだよ、馬鹿」

「っ~!」



 付き合ってくれとも、好きとも言ってない癖に唇を奪われた。私は、その事実に震えながら彼のことを睨みつけるが、彼は何処吹く風という顔をして、再び私の手を取ると歩き始める。何がしたいんだ、この男は。


 再開された会話のない散歩は、今度は何事もなく終わりを告げた。日も段々と落ち初め、解散しようという流れになった時、彼が私にスマホを差し出す。



「連絡先、教えろ」

「え?」

「……ダメなら、別にいい」

「ダメじゃない!」



 慌ててスマホを取り出し、連絡先を交換した後、よろしくという可愛らしいスタンプを送ると彼からも可愛い猫のスタンプが送られてきた。彼が買ったようには見えないそのスタンプは、きっと彼の友人が嫌がらせ半分で送ったものだろう。それを律儀に使っている彼がなんだが面白くて笑っていると彼は私に「また連絡する」と言ってその場を去ってしまった。



「結局、私たちの関係って何になるんだろう……」



 恋人というには遠くて、友人というには近い。キスまでしてしまっていることも関係に名前を付けられない理由の一つだろう。名前が付けられない、中途半端な関係に複雑な感情を抱きながらも、彼を嫌いになれない私はやはり馬鹿なのかもしれない。


 彼とキスをした日から、私は吹っ切れたように彼への想いを口にするようになった。しかし、彼と再会した日のような甘い空気が私達の間に流れる事はない。キスだって、あの日以来していない。あの日の出来事は、やっぱり夢だったのだろうか?


 しかし、夢にしてしまうにはあの日の記憶は私の中に色濃く残り続け、夢じゃないことを証明するように私のスマホには彼の連絡先が残されている。


 彼からの連絡なんてものは基本的にはなく、私が一方的に色々な話をして、彼が逸れに返事をする。一歩間違えれば、面倒な女と思われそうな行為だが返事が未だに来る辺り、嫌われてはいないのだろう。帰省する際には、連絡をくれ、時間が合えば少しではあるがあってもくれる。


 それでも、彼があの日のように私に触れる事はない。



「……潮時、なのかな」

「……アンタ、今更?」



 ある日の昼。

 友人と食事をとっていた時に呟いた私の言葉を聴き、友人は呆れ顔を晒す。私とて今更だとは思っている。だが、結婚適齢期を迎え、周りが続々と結婚していく中、彼氏の1人もいないというのは精神衛生上、「あまりよろしくないのだ。



「彼とは付き合えたんじゃないの?」

「知ってるでしょ。そんな関係じゃないって」

「キスはした癖に?」



 キスに一つや二つ、大人になったら恋人じゃなくてもするでしょ、という言葉は飲み込んだ。私は、好きな人としかそういうことはしないし、したくない。彼も好きじゃない人とするように見えないから私は彼は私のことが好きなんじゃないか、と感じたわけだし。ただ、付き合おうとも好きとも言われず、あの日以来、触れられすらしない私たちの曖昧な関係では、付き合っているとは嘘でも言えない。



「彼は、サッカーが一番だから」

「でも、人を好きならないとは言ってないんでしょ?」

「でも……」



 うじうじと悩む私に友人は「いっそ、ドッキリでも仕掛けてやれば」と投げやりな言葉をかける。



「ドッキリ?」

「そ。アンタが言葉にしないから、私は他の男と結婚します~って」

「……それ、止められなかったら、私……本当に他の男の人と結婚することにならない?」



 それは嫌なんだけど、という私に彼女はニヤリと悪い顔をする。そして、男役には当てがあると言って自分の彼氏を私に紹介してくれた。友人の彼氏も彼氏で、謎にノリノリでこの作戦に乗ってくれた。私の意見など知らないというように計画はどんどん進み、彼の次の帰省のタイミングでドッキリを仕掛けることが決まってしまった。もし、おめでとう、なんて言われたら私は彼と会えなくなってしまうのだろうか。それは、嫌だな。


 そして、迎えた当日。いつもと違う服装とメイク。それから友人の彼氏を連れて、私は待ち合わせ場所である喫茶店へと向かう。



「俺、有名人と話すのとか初めてだわ」

「……あっそ」

「ま、サッカーとか興味ねえし、面白そうだから話に乗っかっただけだけどさ」



 この愉快犯め、という言葉は飲み込み、彼の到着を待つ。時間通りにやって来た彼は、私と彼氏役の存在を目視すると少しだけ驚いたような顔をした後、不機嫌そうに顔を歪めた。



「誰だ、そいつ」



 まるで、浮気をされた彼氏のような発言。そんな彼の発現に彼氏役はノリノリに「婚約者です」と名乗りでた。婚約者、という単語を聴いたときに彼が勢いよく私を見たが、私は気まずそうに彼から視線を逸らすことしか出来ず、チクチクと刺さる視線は無視し続けた。彼氏役の人が説明を終え、私とはもう会わないでくれと言う。待って、私はそんなの聴いてない。そう口にしようとしたが、それを口にしてしまうとドッキリがバレてしまうため、急いで口を閉じる。



「茶番は、これで終わりか?」

「え?」

「だったら、コイツ貰ってくぞ」



 彼はそういうと、私の腕を引き、喫茶店を後にする。意味が分からず、彼氏役に助けを求めるような視線を送ると、男は頑張れというように私に手を振るのみで助けてくれる様子はない。


 彼に手を引かれるままやって来たのは、彼が宿泊していると思われるホテルで、彼に導かれるがまま部屋へはいると、そのまま閉じた壁に押さえつけられるように逃げ場を無くされる。



「なんで、あんなことをした」

「え、いや」

「お前は、俺と別れたかったのか」

「え? 嫌、そもそも私達って付き合ってない、よね?」



 噛み合わない会話に思わず本音が漏れる。私の言葉に、は?、とドスの効いた声を溢す彼。そこには、般若のような顔をした彼がいて、私はその姿に思わず肩を上げ、縮こまる。



「付き合ってない?」

「え、だって……好きとか付き合おうみたいな会話なかったし」

「キスはした」

「再会したその日だけね⁉」



 彼は、私と付き合っているつもりだったのか。予想外のことに私は思わず声を上げる。


 彼の口数が少ない事は知っていたし、大人になると付き合おうという言葉が亡くなることも知っていた。が、初日移行そういった雰囲気にならないのに付き合っていると思うはずがない。私がそういうと彼は「触れていいのか」と予想外のことを口にした。



「え、は?」

「俺は、お前に触れていいのか」



 それは、まるで私が許可を出せば触れると言われているような気分にさせられる言葉だった。何がどうなっているのだろうか、私は何処で確認を怠ったのだろうか。考えても、答えは出ない。



「ね、ねえ」




 ――君は、私が好きなの?



 私が彼にそう尋ねると彼は「ああ」と短い言葉を溢す。何それ、何それ。なんで、言葉にしてくれなかったの? 文句が頭の中に溢れたが、それ以上に歓喜が私の体を支配し、涙腺が緩んだ。急に泣き出す私に彼は驚き、慰めるように私を抱きしめると優しく背中を撫でる。



「す、好きなら最初から言えよぉ……!」

「すまん。伝わっているかと思ってた」

「伝わるか、馬鹿!」



 謝罪を繰り返す彼の硬い胸を、私は弱い力で殴り続ける。



「わ、私のこと好きなら」

「ん?」

「何処が好きか、教えてっ……」



 面倒な女代表のような言葉を口にした私に、彼は嫌な態度を示すことなく好きなところを教えてくれた。


 はにかむような笑顔が可愛い。ご飯を食べている時に、好きなものは最後に食べると言いながら、早々に食べてしまっている所が可愛い。海を見つめる時のキラキラとした瞳が好き。喜怒哀楽が激しいところが好き。



 ――自分のことを一途に思ってくれている所が、愛おしい。



 想像以上に溢れ出てきた言葉に、先程まで溢れていた涙が引っ込んでしまった。代わりというように、顔を真っ赤に染める私に彼は言葉を続ける。



「これだけ、お前を愛してやれるのは俺くらいだろ」




 ――だから、結婚するなら俺にしておけ



 彼はそういうと、再会した時振りのキスを私に落とした。

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