第2話 大脱走
「おい!今の攻撃ガキのいる部屋に当たらなかったか」
「大丈夫だ。建物には傷一つない」
「お前もうそこで建物を守っとけ。ガキが死んだら元も子もねえぞ」
建物の周りをうろつく襲撃者たちの会話が聞こえてくる。
バカめ。すでに俺はそこにはいないわ!
俺は周囲に人がいないのを確認して、流れ弾で壊れた壁から建物の外に出ると、急いで瓦礫に触れて壊れた壁を元に戻したのだ。俺が触れた瓦礫以外もフワフワと浮き上がって、時間が逆行するかのように元に戻っていった。巨大なパズルみたいで圧巻だったな。
この小細工によって俺の脱出がバレるまで時間を稼ぐことができるだろう。せいぜいもうそこにいない俺を巡って無駄に闇ギルド同士で潰し合っててくれ。
俺はアジトから離れるためにひたすら走った。
俺が異世界に来たところとこのアジトが近かったようで、この辺はずっと森が広がっている。ファンタジー世界の獣がでるかもしれないし、魔物なんてものいるかもしれない。
だがそれは今はどうでもいい。魔獣が出たらそこまでの人生だったってことだ。
軟禁されて不自由なまま生き永らえるくらいなら、自由を求めて死んだ方がましだ。
あ、なんか遠くから頭から1本の角が生えた熊がノソノソと歩いてこっちに向かってきてる。完全に俺をロックオンして、獲物を見る目になっている。
いや怖えよ。やっぱ死にたくない。俺は生き延びるんだ。
俺は先ほどの前言を撤回して、生にしがみつくことにした。そんな簡単に死んでたまるか。
しかし俺には武器も戦闘技術もない。かといって近くに避難シェルターがあるわけもない。木に登れたらいいんだが、この辺の木は枝が高いところにしかなくて並みの身体能力では登れない。
早くアジトから遠ざかりたいのに、獣に進路を妨害されるとは。
俺はジリジリと後ずさりをする。熊もじりじりと寄ってくる。急に後ろを向いて逃げ出したり、変に音を出したりして刺激を与えないほうがいいと思ったが、その予想が当たってくれたようだ。
パキッ。俺が踏んだ枝が乾いた音を立てた。
『グオオオオオ!!』
「あ、やべっ!枝踏んじゃった!」
なんて典型的なミスを。枝の音で熊の魔獣を刺激してしまった。この音を合図にして熊は突進してきた。
「終わった!このクソ枝がぁああ!!!」
俺は踏んでしまった枝を拾い上げて八つ当たりした。せめてもの抵抗でこれを熊に投げつけてやるか。
いや待てよ…
「これだ!」
俺は迫りくる熊を放置して、手に持った枝に回復魔術を施した。これによって地面に落ちた枝の片割れが元に戻る。これでこの枝は俺が踏む前に戻ったわけだ。
熊が近くまで迫ってきている。間に合うか。
そして枝はさらに回復する。
「うおっと」
俺の手元にある枝はそのままフワッと上昇を始めた。俺は手放さないように両手でしっかりと握る。上昇した枝は元々自分が生えていた木の元へと戻っていった。
俺は枝の再生を利用して木の上まで逃げることに成功したのだ。万が一また折れてもいいように手の回復魔術を継続したまま、俺は枝から丈夫な幹へと移った。
熊の魔獣はというと、急に獲物が浮遊するとは思わなかったようで、勢いを殺せずに木に突っ込んでしまったようだ。ドリルのような角が木にぶっ刺さってしまっている。そして逃げ出そうと暴れた結果、その自慢の角が折れてしまった。
『キャヒン』と泣きながら熊はどこかへ行ってしまった。
「人間を舐めるなよ獣め!」
俺はなんとか地面に降りると熊が突っ込んだ幹を見てみた。角がそこそこ太い木を貫通している。50センチくらいあるんじゃないか。こんなのが俺に刺さっていたと思うとゾッとするな。まあ即死じゃなければ治せるんだけど。でも食べられたらどうなるか分からないので逃げるのが正解だろう。
俺は木に触れて回復魔術を施す。すると木に空いた穴がうねって閉じ、角はぽいっと地面に排出された。
「これは戦利品に持っておくか。護身用の武器にもなりそうだし」
固くて丈夫な武器を手に入れた俺は再び走り出しアジトから遠ざかる。
しばらく走っていると次の問題が出た。後ろから足音が聞こえてきたのだ。闇ギルドの追手であることは間違いないだろう。俺の建物の小細工が看もう破されたか。
2年もの間建物の中でしか過ごしていなかったため、俺の運動能力はすこぶる低い。短時間しか走っていないのにもう息が切れている。
追跡者との距離はどんどん迫ってきている。そんな中で俺は進行方向の先に森が終わるのが見えた。
「川か。ここを下っていけば人がいるかな」
「そこまでです」
しかし川を目の前にして俺は追跡者に追い付かれてしまった。綺麗めな服にシルクハットと丸眼鏡が特徴的な、見たことない男だ。【
「な、なんですか。僕はただ山菜取りをしていただけの村人ですが」
「嘘をつきなさい。ただの村人が一角熊の角を採取してるわけないでしょ」
「う…」
「それにその肩の烙印は【卑屈な小鬼】のもの。あなたがターゲットである回復術のエキスパートですね」
全てバレている。どうするか。降参したら捕まってまた奴隷労働に戻るだけだ。それなら一か八かで戦ってみるか。
「くっ。うおーーー!」
俺は一角熊の角を持って刺客に立ち向かった。腹を一突きしてやろうと思ったのだ。
「こざかしい」
「へぷっ!」
だが俺の攻撃は受け流されて、逆に蹴りのカウンターを入れられてしまった。戦闘技術に開きがありすぎる。
それだけではなくて、刺客の蹴りは見た目以上の威力を持っていた。軽く小突かれただけなのに、腕が折れて青紫に変色している。
「いてええええ。なんだよこれ…」
俺は立ち向かったことを後悔し、涙を流しながら治癒をする。
「魔力を纏った攻撃ですが、そんな基礎もできないのですか。まああなたには回復だけしてもらえればいいので、その技術はいりませんが。それにしても腕の傷が一瞬で…ぜひとも我々の仲間になってもらいたい」
男は気味の悪い笑みを浮かべながら俺の能力を見ている。
「何が仲間だ!お前らも俺の能力を悪用したいだけだろ」
俺の叫びに怯むことなく、刺客はジリジリと俺に近づいてくる。
これはまずいと判断した俺は、一角熊の角に回復魔術をかける。角が浮かび上がり、森の方へと移動を始める。
「なんだと!」
「残念だったな!あばよ!」
俺は先ほどの枝のときと同じ要領で追手をまく作戦に出た。刺客は走って追ってくるが、角の回復速度の方がやや早い。
しかしこの脱出には問題がある。それはこの角の終着点がさっきの一角熊だということだ。今は無角熊になってしまった熊と再会したらどうなるか分からない。
「あ、もう見えてきた」
熊はまだあまり遠くまで移動しておらず、俺はすぐに熊の元へついてしまった。
『グモオ!』
熊が俺に接近に気づいて再び臨戦態勢に入る。
「お待ちなさい!逃がしませんよ!」
後ろからはシルクハットの刺客。
「…今だ!」
俺は角を手放すと、今度はポケットに入った枝に持ち替えてこちらに回復魔術をかける。これは先ほど刺客に蹴り飛ばされて川岸に倒れた時に、地面から拾ってきたものだ。これによって俺は熊の目の前で急旋回をして、再び川の方へ戻っていく。
そして俺を追っていた刺客と熊は…
ドシーン!とお互い勢いを殺せずに衝突した。
「やったか…?」
俺は枝の回復を一時止めて、追手の成り行きを見守ることにした。
「ぐあああああ!!」
熊は俺の回復魔術で角を取り戻した角で刺客の心臓を貫くと、地面に押し倒して両腕で抑えつけた。そして内臓を食べ出す。
「うげええ。気持ち悪いものを見ちゃったな。早く逃げよう」
「逃がさないと言ってるでしょ」
振り返ろうとした俺に声が掛けられた。絶賛熊に食われている刺客から発せられている。まさかあれで生きているのか。
すると熊の様子が急におかしくなった。食事をやめて痙攣をして苦しみだしたのだ。そして口や目や耳などの体の穴から緑の流体が噴き出した。
このまま熊は動かなくなった。そして緑の流体はというと、地面に倒れる刺客の元へ集まっていった。
「ふう。こんなガキに能力を使わされる羽目になるとは思いませんでした」
刺客の熊に食われた箇所が再生していた。服には食われた痕跡が残っているため、たしかにさっきまでは食われたはずなのに。
「体をスライムにできるのか…」
「その通り!熊に食われる瞬間に腹だけスライムにしてわざと食わせたのです」
それじゃあさっきの俺の角攻撃も当たったとしても無駄だったということじゃないか。
「察したようですね。あがきは無駄だと。では大人しく捕まってもらいましょうか。どうせ再生できるから手足の1,2本を折る許可は下りていますが、できるだけ乱暴な真似はしたくない」
男がまたジリジリとよってくる。
これはどうしようもない。助からない。
俺が諦めた次の瞬間、俺と刺客の間に一人の人間が現れた。
それは女性だった。美しく煌めく水色の髪をツーサイドアップに結んだ女性だ。俺の方へ振り向いた彼女の横顔はとても美しくて見惚れしまう。
「一人でよく耐えたわね。私が来たからにはもう大丈夫よ」
「お、お前はA級冒険者、リーネ・ダートランド!」
刺客がそう言い終わる前に、リーネと呼ばれた女性は刺客に向かって手を振るった。するとその手のひらから突然全長10メートルはある細長い鉄の槍が現れた。槍の先端は刺客の左目を捕え、鮮血を散らした。
「ぐぎゃあああああ!」
「先手必勝よ」
「なんで。スライムになる能力なんじゃ」
あまりの一瞬の出来事に俺は理解が追い付かない。俺の呟きを聞いたリーネが話しかけてくる。
「あいつはスライム化の能力を持ってるのね。でもそんな強力な能力なら常に発動できるわけでもない。それに体がバラバラになる危険性もあるしね」
能力をまだ見てもいないのに分析をしてしまった。俺とは戦いの経験の差がありすぎる。
「それがバレたところで!これならもう攻撃は当たらない!」
リーネの槍攻撃に対応するために刺客は体全体を緑のスライムに変化させた。そして体を大きく広げて俺とリーネを丸ごと飲み込もうとしている。
「これは!早く逃げないと」
「大丈夫よ」
リーネが服のポケットを漁ると、次の瞬間手のひらに巨大な鉄製のうちわが現れた。
「おりゃああああ!!」
「ひゃあああ!!
リーネがそれを振るうと、その風圧で刺客のスライムボディはバラバラに散らばってしまう。
「私との相性が悪かったわね。観念しなさい」
スライムボディから戻った刺客は口から血を垂らしている。バラバラになりすぎるとダメージが残る制限があるのかもしれない。
「くそ…すでに協会の手が回っているとは。今日のところは撤退することにします」
刺客がポケットから取り出した玉を地面に叩きつけると、周囲に白煙が広がった。煙幕だ。
「逃がさないわよ!…いや、こっちが優先か」
リーネは追跡を諦めると、うちわで煙幕を晴らした。
「ふう。とにかくあなたが無事でよかった。改めまして、私はリーネ。冒険者よ」
俺は彼女の笑みを見て、乙女のように胸がときめいてしまった。
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