第2章 リュージュ村のタシム

第11話

  ◆


 初秋の柔らかい日差しが背中を温め、進行方向に影を落とす。

 村へと荷馬車を走らせるタシムは、今日は五分おきくらいに深い溜息を吐き、溜息を吐く時五回に一回の割合で後ろを振り返る。

 荷台には頼まれていた三分の一も購入できなかった、村の必需品の小さな山があった。


 タシムの生まれたリュージュ村は国境地帯となる火の山の南麓にあり、人口も六十人ばかりの本当に小さな村だ。

 ここは百年ほど前に曾祖父たちが寄り集まって未開の森を進み、猫の額のように開けた土地を開墾して作り上げた村だった。

 土地は山の斜面に岩がいくつも突き出している、土壌にあまり恵まれない一帯だ。土も痩せているから必然的に生活は貧しく、伐り出した材木を売りに行こうにも近くの村ですら悪路を三日かかる。そのためまずはその日生き残る事が至上命題となり、山野草や野獣を狩って糊口をしのぐ年月が長く続いていたと聞く。

 ようやくタシムの親の代から多少は余裕が出て、少しずつ道を整えてようやく馬車が通れるようになり、近隣の村との交流も二十年前に始まった。

 さらにそこから南に三日ほど下った河口にあるシャーンの街にも、十五年位前から市場に出向いて行商する事が出来るようになっていた。


 しかしそれは市場に行けるようになっただけで、まともに商売できるようになった訳ではない。

 そしてまたタシムは溜息をついて荷台を振り返る。

「これでまた……村長のがっかり顔を見るとなると……辛い」

 すっかり増えた独り言を今日も呟きながら、タシムはゆっくり移ろう空の雲を眺める。

 村唯一の行商を始めてはや十年。右も左もわからぬ市に十六歳から乗り込み、騙されたり脅されたりしつつも、同業者や馴染みに陰に日向と助けてもらい、何とかここまでやってきた。

 しかしそれは『何とかやって来た』だけで、日々の売り買いに忙殺されて蓄えも芳しくない。

 先月荷馬車の車輪を修理して妹の成人の晴れ着を仕立てただけで、手持ちは殆どなくなった。

「村長はいつかひとかどの商人に成れるといつも言ってるけど……毎日あんなきっつい言葉でやり合ってる人たちと渡り合うとか、絶対無理だと思うんだよなあ……」

 生活が厳しいとはいえ大らかな人々に囲まれて育ったタシムには、生き馬の目を抜くかの様な市場の人々とのやり取りは厳しいものだった。

 生来のんびり屋のタシムには、会うたびに態度が変わったり、長い付き合いがあっても平気で嘘を吐かれたり出し抜かれたりする、精神をガリガリと削られる場所だった。

 そんな苦手な駆け引きの世界を十年も関わっているのは、ひとえにリュージュ村の生活を少しでも良いものにしたいという一念だった。


 村にはタシム以外に行商に関わる人間はいない。

 というか、そんな余裕などない。


 タシムが十歳の頃の事。

 村の中で一番利発で物覚えが良かったタシムに目を付けた村長は、数少ない村の文書を惜しみなく提供し、読み書きと計算を教えた。

 きっかけとなった出来事は、当時村に出入りしていた行商人が二年後に引退すると言って村長を慌てさせたことに始まる。

 モリソンというその行商人は、村長と気が合うからというそれだけで、損得抜きで村に来てくれる変わり者だった。

 しかし寄る年波には勝てず、余生をのんびり過ごしたいと思ったとかでそんなことを言って来たそうだ。

 急慮作ろうとした代役は十歳のタシム。二年後はまだ十二歳で、後継に成り得るわけがない。そんな計算も頭から飛んでしまうくらい、当時村長は慌てていたらしい。

 しかしモリソン氏は責任感も強かったため、引退を延期してタシムが十六歳になるまで引退するのを待ってくれた。

 その三年ほどの時間は、タシムの荷馬車に同行してくれたり、市場では交渉の仕方を実地で見せてくれたりした。

「今から思うと、モリソンさんも結構騙されてたんじゃないかって思うこと、多かったんだよなあ……」

 タシムにとって師匠ともいえる先輩行商人のモリソンさんだが、幼いタシムを放っておけないくらいにはお人好しだった。

 そしてタシムの目に見えない所であれこれ失敗をしていたのを、今のタシムなら理解できる。とはいえそんなモリソンさんがタシムは大好きだったが……


 村の中の人間しか知らなかったタシムが、初めて交渉の当事者になった時、モリソンさんはこう言った。

「タシム、商人は一筋縄でいかない人間の集まりだ。そして悪い事を考える奴や、欲に目がくらむ奴もごまんといる。

 ハッキリ言ってお前はそんな奴らと同じには振る舞えない。

 だからお前は誠実であれ。だが馬鹿正直になるな。約束は守れ、だが出来もしない事は約束するな」

 これまでモリソンさんの言葉事を、タシムは忠実に守ってきたつもりだ。

 けれども残念ながら、未だに誠実と馬鹿正直の境目も、果たせる約束とそうでない約束の境目も良く分からない。

 未だに自分でどこが必要な線引きなのか解らないからこそ、寂しい荷馬車の戦利品の数になってしまっているようにしか思えない。


 そろそろ野宿は辛いなと思いつつ、タシムはまた馬の尻に向けて盛大に溜息を吐く――――


  ◆


 荷馬車は橋の手前で左に曲がり、支流沿いの踏み固めが甘い道に入る。

 まだこの辺りは隣村の人の往来があるからいいが、リュージュ村の人間しか往来しない最奥に差し掛かれば、大雨の後などはあちこちが泥濘になってしまう。

 時折車輪を取られて立ち往生する事もある難儀な道程なため、車輪も傷みやすい。仕方ないとはいえ、シャーンの街に出た時にあちこち修理する事も多い。


 それでもタシムにとって見れば、居心地の良い気心の知れた人々の待つ村だ。生活が苦しくとも、帰りたい場所には違いはない。

 最後の峠道を荷馬車は越え、大きくカーブした狭隘ながけ地を通り過ぎると、二十軒ばかりの家々が寄り添うように立ち並ぶ集落が遠目に見えてくる。

 貧しい上に取り立ての手間だけで赤字になるからと訪れる税吏もおらず、奥地過ぎて教会が建つどころか宣教師すら一度来たきり姿を見せない。

 人より山羊の方が数が多く、偶々懐いてくれたオオカミ犬のつがいがいなければ、家畜は周囲の獣に悉く狩り尽くされていたに違いない。

 最後の登り路に差し掛かった時、川向こうの斜面から角笛の音が鳴り響く。

「あれはミリキか。相変わらずへたくそだな……というか親父さんまた腰やったのかな?」

 随分前にミリキの親父さんの古傷対策を頼まれてはいたが、今回もとても手の届かない値段の飲み薬は手に入らず、市場の同業者に聞いた怪しい健康法を伝えるくらいしかできそうにない。

 集落の手前で一軒の家の扉が開き、鼻先に煮炊きの際に着いたと思しき煤を付けた、見慣れた姿がタシムの視界に飛び込んでくる。

「お帰りタシム。いつもありがとうね」

「ただいまインファ。鼻に煤ついてるぞ」

「あっ!また擦っちゃった!」

 そう言って慌ててまた裾で鼻を拭うと、取れるどころか鼻周りに引き延ばすだけになった。

 タシムは笑いながら自分の手ぬぐいでインファの煤を拭ってやる。

 お礼を言いつつくすぐったがって逃げるうち、むずがゆくなったインファは思い切りタシムに向かってくしゃみをしてしまう。

「インファ―……せめて横向いてよ……」

「ごめんごめん、わざとじゃ。……っは……」

「ちょいまち、なんでわざわざこっち向い……」

 そのあとタシムは近くの湧水で顔を洗う羽目になる――――


 手ぬぐいで顔を拭いながら、申し訳なさそうなインファの頭をタシムは愛おしそうに撫でる。

「ごめんねタシム……」

「そんな謝らなくてもいいよ……それより村長どこのいるの?」

「んー、多分畑だと思うけど、もしかしたらハッサンのとこかも」

「ああ、栗の花が咲いたのかな?」

 行商に出る前に、今年こそ何とかなるはずだと栗の木を植えた一角で力説していたハッサンの顔をタシムは思い浮かべる。

「うん、なんか白いふわふわのが咲くんだね」

「へーえ、俺も今度見に行ってみるか」

「あ、一緒に見に行こうよ」

 ごく当たり前のようにタシムを誘うインファに、ちょっとタシムは赤面する。

「うんまあ、別にいいけど」

 じゃあ晩御飯の時に話そうねとインファは言い置いて、また家の中に帰って行った。

 タシムは足取り軽いインファの裸足の後姿を眺めつつ、胸に湧いてくる愛おしさと申し訳なさをぐっと押し込んだ。


 特に儀式めいた事はしていないが、タシムとインファは許嫁となってすでに六年が経過していた。

 四歳下のインファもすでに二十二歳。未だに婚約者止まりなのはひとえにタシムの甲斐性の無さによる。

 父親亡きあと母と弟妹二人を養いつつ行商人としての仕事に忙殺され、稼ぎも芳しくなく必然的に蓄えも思うようにできない。

 誰かひとり病気になれば生活が破綻するというギリギリの生活をしている状況で、インファに嫁に来てもらってもらうのは都合が良すぎる。

 今のままでは楽をさせるどころか、家族の世話を丸投げして苦労させるしかない現状で、とても嫁にこいとタシムは言えなかった。


 そのインファも昨年父親を亡くし、子供のころから暮らす家に一人で住んでいる。

今は畑仕事や村長宅の女部屋の世話係をして、村の生活を支えている。

 テキパキ働くインファを村のばあや達も気に入っており、タシムがばあや達に捕まる度に早く結婚しろと長々説教をされるのも、いつもの村の風景になってしまった。

 そんな甲斐性なしを自認するタシムにインファが愛想を尽かさないのは、生来のタシムの善性と、インファの懐の深さによる。

 とはいえ他に適齢期の若者がハッサンとその嫁以外にいないのも、インファがタシムに見切りをつけない大きな理由だった。


 タシムもそんな現状に甘んじているつもりは勿論ないが、どうにも現状を打破できずに藻掻き苦しんでいるだけなのが現実だった。

 この日村長はすぐに見つからず、とりあえず先に家に帰るかと思ってタシムは馬を小屋に入れた。

 それからひとしきり馬たちを労って馬小屋の中を整えると、いつものように喧嘩している弟妹の声のする方向に歩みを進めた。


  ◆


 いつものように……悲しい事にいつものように持ち帰りの少ない商売をしてきたタシムを村長は詰る事無く労りの言葉のみで迎え入れる。

 それがタシムには余計心苦しい。

 後悔と後ろめたさから明るい態度をとるタシムも、内心泣いて土下座したいのを呑み込んで、出来るとも思えない次の商売への意気込みを語る。

「次はきっともっとうまくいきますよ。この村のライ麦も大麦も、今年は出来がいいと市場では褒められてますから!」

 それは村の人々を安心させたい一心からの言葉。それがただの願望でも、相手のお世辞でも何でもよかった。タシムの本心や心無い市場の関係者の言葉を晒して、皆を落胆させるのが怖かったのだ。

 村長も一所懸命なタシムを否定するのを躊躇う。けれども村の誰もが、痩せた土地で出来る作物が市場でどんな評価をされるのか、タシムの先代の行商人だったモリソンの頃から薄々知っていた。

 けれどその現実を見たくなくて、タシムの絵空事の様な策に乗っていたかった。報われない現実を受け入れられなくて、わかっていても敢えて道化になりきるタシムの芝居に酔っていたかった……


 次の日のタシムは二頭の馬の手入れをじっくり行い、村の小さな子たちに文字を教えた。地面に書かれた歪な文字は、段々落書きから脱しつつあるのを示していた。

 その次の日はインファとタシムはハッサンの栗林を尋ねた。

 栗の花の匂いで猥談をするタシムとハッサンの話を、意味が解らず拗ねるインファの機嫌を取るのに、帰り道のタシムは想定外の労力をかける羽目になる。

 そのまた次の日は母の愚痴を聞きながら荷馬車の整備と積み込みを行い、積み荷のリストと買い物リストを再確認する。


 そしてあくる日の明け方、竈の煙が幾条か立ち上る集落を背に、見えなくなるまで手を振るインファを何度も振り返りながら、タシムはまたシャーンの街に荷馬車を走らせた。

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